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【2023年5月閉鎖】ミズノスポーツプラザ千住 消えゆく平成の記憶 アメージングスクエア

北千住の大型フットサルコートが閉場


足立区千住関屋町にあるフットサル施設、ミズノスポーツプラザ千住が、5月31日をもって閉場する

ミズノスポーツプラザ千住は、広々とした人工芝コート4面に加えて室内コートも1面あるという充実した施設で、東京23区内では最大規模のものである。
休日はもとより平日でも多くの人が集まり賑わっていただけに、利用者にとっては突然の知らせとなった。

なんでも跡地には高層マンションが建設されるということ。
土地の所有者にとってその方が収益が上がるということならば、致し方のないことなのかもしれないが、これまで施設にお世話になってきた者としては残念でたまらない。

※伝え聞いた情報では「マンションが建つ」ということだったが、調べてみるとこの地区は足立区の再開発地区に指定されており、中高層の建造物を誘致し、複合市街地へと転換することが予定されているという。

※ちなみに京成本線で一駅となりの千住大橋駅にもミズノスポーツプラザ千住大橋があり、こちらは6月以降ももちろん存続する。

下町のテーマパーク「アメージングスクエア」


かつてこのミズノスポーツプラザ千住の敷地には、遊園地があった。

その名を「アメージングスクエア」という。

「こち亀」でもその名が登場するように、東京では良く知られた遊園地だった。

こち亀74巻「南千住に吹く風は」より

アメージングスクエアは、日本がバブル期と言われていた昭和62年(1987年)に鉄鋼メーカーの工場跡地(約1万坪)に誕生した
京成関屋駅または東武伊勢崎線牛田駅から徒歩5分という立地で、規模は小さいものの、都心や埼玉、千葉方面からもアクセスしやすい遊園地だった。

入園料は 大人800円・子供400円で、当時としても比較的割安の設定。
「隅田川のほとりに不時着した不思議空間」というコンセプトで、とぼけた顔のロボット「アメットくん」がマスコットキャラクターだった。

園内には16の体験型アトラクションがあったが、何といっても遊園地の目玉は巨大迷路とバンジージャンプだった。

マスコットキャラクターのアメットくん
http://www.hasupy.com/sepia/play/amzsq.htmlより

巨大迷路

アメージングスクエアの看板アトラクション、巨大迷路。
開設時は「都内最大の広さ」「壁面全長10km」をアピールし、スタートからゴールまで平均50分を費やすほどの長さで、途中に休憩所もあった。
危険という理由からハイヒールは禁止で、入り口にはスニーカーの貸出があったほど。傘の持ち込みも禁止で、どしゃぶりの雨に濡れながら迷路にトライしている人もいたという。

ちなみに巨大迷路は1980年後半に爆発的なブームとなり、一時は全国に150所もあり、「迷路マガジン」といった専門誌も出版されるほどの人気ぶりだった。

数は少なくなったが巨大迷路は全国にまだまだ所在しており、箱根彫刻の森美術館や横浜の八景島シーパラダイスにある。

バンジージャンプ

巨大迷路同様、バンジージャンプが世の中で流行りだしたのもちょうどこの頃だった。
バンジージャンプは流行の最先端のアトラクションだった。

バンジージャンプというと渓谷に架かる橋から飛び降りる、というイメージがあるが、かつては遊園地のアトラクションとしても数多くあった。今でもよみうりランドでは現役で稼働している。

YouTubeには当時のアメージングスクエアを撮影した映像が残されている。
巨大迷路を上から撮った貴重なもので、ここから現在のフットサルコートは駐車場であったことがわかる。


2023年現在の空撮図

アメージングスクエアが開園したのが1987年。
この頃には隅田川沿いの再開発によって区画整理が為され、何棟ものマンションが建った。

ちなみに1992年に死去したミュージシャンの尾崎豊は当時すぐ近くに居住しており、今でもそのマンションは隅田川にほど近いところに建っている。

※アメージングスクエアに関する情報は主に下記二つのページに拠った。


積み重なる記憶 閉園を惜しむ声


アメージングスクエアは、オープンから13年が経った2000年春に閉園。
すでにバブルはとうの昔に過ぎ去り、長い平成不況に突入していた。


閉園直後の様子はこちら(世紀末的廃墟風景 (1) 廃墟?現役?瀬戸際のアメージングスクエア)の記事に詳しい。
この記事によると、アメージングスクエアの跡地はしばらく廃墟のような状態であったらしい。

それでも跡地にはフットサルコートの他、スケートパーク、釣り堀、バッティングセンター、レーシングカーサーキット、ゲームセンターが建てられたことから、若者や家族連れ、子どもたちが集まるようになり、かつてのアメージングスクエアは活気を取り戻した。

アメージングスクエアがあったのは13年の間だから、それ以上に長い歴史がこれらの施設には刻まれてきたことになる。

しかし、今回の再開発に伴ってアメージングスクエアの敷地内にあった施設は軒並み立ち退きの対象となったようで、スケートパークのムラサキパーク東京はすでに5月7日に閉店している。

このスケートパークには27年の歴史があり、東京のスケーターやBMXライダーのメッカとして多くの実力者たちもここで腕を磨いたという。

スケートパークにしろフットサルコートにしろ、寂しい想いをしている人は沢山いる。
私もとにかく残念でたまらず、この記事を書いた。

今もこんなに賑わっているのにこのコートが無くなるなんて信じられない。

私が「アメージングスクエア」の存在を知ったのは、現在でも残されている壁面に描かれたイラストに興味を惹かれたのがきっかけだった。
インターネットを辿っていくうちに、それがかつてこの地にあった遊園地のマスコットキャラクター「アメットくん」であったことを知った。

塗り直されることもなく、撤去されることもなく、ただそこに放置されてるだけの過去の遺物であるはずだが、この壁画によって「平成」の時代の消えかかろうとする記憶に触れることができた。

そしてまた、時代は移り変わり、更新されていくことになる。
人の記憶は、積み上がる地層のように土地に残っていくものなのだろう。

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