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Case.2 心因性健忘について当事者が書いてみる

心因性健忘。聞き馴染みのない言葉だと思うので当事者が説明してみます。

症状

僕の場合はランダムに様々な記憶を忘れます。ど忘れではなく完全に消去されます。
遡れば遡るほど記憶は少なくなっていく傾向にありますが、今日のことでも普通に忘れます。
毎日習慣にしていたことも突然忘れます。例えばソシャゲのログボを頑張って毎日もらっていたのに、突然そのソシャゲの存在自体を忘れたりします。
基本的に目に見えていない物はどんどん忘れていくので、忘れたくない物事は常に目に見える場所に置いておきます。

最初に起こったのは幼稚園児時代でした。
その頃塾に通っており、割り算を教わる場面でそれは発覚します。
先生「この数字を引いて---」
僕「引くって何?」
先生「この数字とこの数字を引き算するんですよ」
僕「引き算って何?」
塾の先生が言うには本当に引き算のことを全て忘れていたらしく、これは保護者にすぐに報告されました。
しかし引き算をもう一度教えると普通に方法を覚えたので大事にはされず、その後塾の計らいで常に加減乗除全てを使う問題や宿題を出してもらうことで忘れるのを防いでいました。
学生時代はそれなりに使っていたので覚えていましたが、今九九を言える自信はありません。

その後成人するまでこの症状は家族に理解されることも自覚することもありませんでした。
自分にとっては忘れることが当たり前だったし、家族とはそもそも顔を合わせるタイミングが少なかったので昔の話もしなかったからです。
高校を受験するタイミングで親に症状を訴えましたが『勉強を怠けているだけ』と一蹴されたので、それ以来話すことを控えていました。
ちなみに要所を丸暗記するだけのテストはいつも高得点を維持していたのですが、それは瞬間記憶を使っていただけでひとつも身にはなっていません。

成人の段階で発覚したのは卒業旅行か何かを親族でしようと話し合いをした時に過去の旅行を一切覚えていなかったからでした。
旅行も遠出も買い物も、僕は全て忘れていました。思い出と呼べる物を持っていない。それで初めて家族は記憶障害を目の当たりにしたのです。
そして遥か昔に塾から報告されたことを思い出し、勉強も本当に『忘れてしまうからできない』のだと知りました。

原因と対策

『心因性健忘』という単語が指す通り、心が原因で発生する健忘(脳に損傷や病気は認められないが物忘れという症状は認められる状態)です。

僕の場合は虐待と日常的なストレスによって発生したと精神科から診断されています。
恐怖や不安から自分を守る為に忘却という手段を選んだ。
しかし日常には虐待の他にもあまりに多くのストレスが存在していた為、過去の記憶だけではなく全ての記憶を忘却の対象にした結果過去から現在に至るまで忘却が発生しているそうです。

この症状が治る可能性はありません。
もし万が一方法があったとしても、守る為に忘れていた過去を呼び覚ました場合精神がもつ保障が無いから勧められないとも言われました。

対策としてできることは限られています。
まず思い出は保持できません。
例えば日記を毎日詳細に書いたとしても忘れたことに関しては他人事なので思い出すことができないからです。
ただ日常生活において忘れてはいけない事への対策はある程度可能です。
やらなければいけないことはToDoとしてリスト化しておいたり、興味があることはメモ帳に書き留めておけばある程度の補填はできます。
特に誰かと何か約束をしたら必ず目に留まる場所に書いておくのは重要です。迷惑をかけないためにもこれだけはやっておきたいです。

困ること、理解してほしいこと

何でもかんでも忘れるので「前〇〇って言ってたよね」といった話をされると困ります。でも言った覚えがないと返せば人間関係は破綻します。
どんな関係性でも忘れられるというのはショックだし不快なできごとだ、ということは重々承知しています。だから怒るのも無理はないと思います。

でも少しだけ心に留めておいてほしいことがあります。
それは忘れている本人も辛いということです。
楽しかった思い出、一緒に頑張った思い出、辛くても支え合った思い出、喜びの瞬間の思い出。
良い記憶も悪い記憶も大切な記憶も、僕らは失ってしまいます。当時の写真を見返してもノートを見返しても何も思い出せない。そのシーンも感情も全て他人のそれになってしまう。それは辛いです。
凄く喜んでいる写真の中の自分は、どんな思いでそんなに喜んでいたのか。その背景にどんなエピソードが詰まっているのか。自分のことなのに全く思い出せない。もう一度喜びを体験することは不可能なのです。

そして年齢問わず困ることは仕事や家事や勉強に関することです。
努力の程度に関わらず記憶が損なわれる。しかもそれは唐突に起こります。
まず受験勉強は無意味です。1年間勉強を続けても試験当日に確実に覚えているのは試験会場に着くまで見返していた単語くらいです。あとは完全にランダムです。
僕の場合だと9か月分くらいはほとんど失っているのは確実です。
実際僕は受験をしませんでした。高校は面接だけで絶対に受かるだろうランクの場所を選んで推薦入学しました。
中学校の教師からは何度も考え直せと言われました。それは瞬間記憶や短期記憶に頼っていてテストの成績が良かったからです。そんなテストと受験を一緒にされても困ります。

家事や仕事も同じです。
何度も教えてもらったこと。今まで当然のようにできていたこと。それを突然忘れて一番混乱するのは自分です。
「これってどうやるんでしたっけ?」
そう訊いて怒ったり驚かない同僚や先輩はいません。怪訝な顔で訊き返すのは当然です。だけど冗談でも何でもなく、本当に忘れて困っているのです。
例えば蛇口から水を出そうとして「あれ、蛇口ってどうすれば水が出るんだっけ?」となった時の絶望感は壮絶でした。

僕は結構忘れることに慣れたし大きなショックもそれなりに受けなくはなりました。
それでも辛いことは辛いです。周りから理解を得られないことも辛いです。
病名や症状を伝えても「病気に甘えるな」「何でも病気のせいにするな」と言われることも多いです。
そういう時、どんなに悔しくても何も言い返せません。多分理解も納得もされないと思うし、共感も得られないと自分自身で思うから。
忘れたくて忘れている訳じゃない。だけど、相手に伝えられるのは忘れてしまったという事実だけなのです。
情けない。不甲斐ない。悔しい。それでも被害を出しているのは自分で、相手は被害者だから。言い返したり押し付けたりするのは違うと思うから。
だから頭を下げるしかないのです。
そういう病気があるんだということを知ってもらうだけでも嬉しいです。

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