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独り暮らし-飯ノルマからの解放-

「最後の一粒までと言いますが、最初の一粒が無い子供達がいます」

そんなCMがここ最近流れている。
そんな世知辛い世の中にあって恐縮だけれど、僕にはずっと辛いことがあった。
それが『飯ノルマ』である。

飯ノルマ。
それは独り暮らしを始めるまで毎日付きまとう苦行のノルマであった。
料理好きな母親は、毎日凝った料理を作っては『僕が食べる物とその量』をきっちりと定めていた。
毎日夕食は大量の食事を前に3~4時間かけて無理矢理食べきっていた。
美味しいとか、そんなことを感じる余裕などない。
だってそれは課せられたノルマなのだから。

昔、家族が4人であった時。
当時から母親が作る量は多かった。
それでも食べ盛りの長男がいたし、その量は4人でクリアできていた。
僕が小学生も半ばになる頃には母親は朝から晩まで仕事をし始めていて、レンチンだけで食べられるようにそれらは別に分けて冷蔵庫に置かれるようになった。

何やかんやあって母親と僕の2人暮らしになると、僕のご飯の量は毎日約2人前ほどまでに増えた。
僕が頼んだ訳ではない。
というより、むしろ「食べきれない」と量を減らして欲しいと頼んだ。
しかし母親は
「沢山一気に作った方が美味しくなる」
という謎の理論でそれを突っぱねた。

20代の頃に死にかけて以来、食事という物に一層弱くなっている。
まだ血糖値スパイクという概念が日本に浸透していない時代から、食事をしては倒れるということをずっと繰り返していた。
3~4時間かけて完食した後は血糖値スパイクで3時間ほど倒れる。
だから僕の1/4日は食事とそれによるダメージに費やされてきた。

母親が家を出ていってから一週間もしない内。
久しぶりに会ったパートナーは開口一番「なんかちっちゃくなってる!」と言った。
言われるがまま体重計に乗ると、なんと約3kg減っていた。
彼女の言う通り、僕は少し小さくなっていた。

飯ノルマから解放され、一先ず自炊に挑戦してみようと思ってスーパーに行った。
そこで呆然とした。
食べたいと思う物が1つも無い。
目の前に並んでいる食料品のどれにも、全く惹かれない。
再認識する。
---もうずっと長い間、僕は何かを食べたいと思ったことがない。
だって食事は達成しなければならないノルマでしかなかったから。

これなら食べてもいいだろうか?
今はそういう判断基準で、少しずつ食べたり食べなかったりしている。
しかしこれで新たな目標ができた。

何かを食べて美味しいと感じ、そして何かを食べたいと思えるようになること。

生き直しの始まりは、そんな食欲にまつわることから始めることにした。

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