解決困難になった氷河期世代問題について私なりに考えてみた。

バブル崩壊により産み出され、そのまま社会から捨てられた氷河期世代。

 バブル崩壊によって生み出された氷河期世代が長期間社会的に放置されたことで、8050問題(80代の親が経済的に自立困難な50代の子どもの面倒を見る)、少子化、貧困の拡大、経済の低迷などの社会問題を引き起こしている。しかも、氷河期世代問題が発生してから30年近く経過しているため、対応するにしても一筋縄では行かなくなっている。

 今回は、氷河期世代問題について、なぜここまで解決困難な状態に追い込まれたのか、自分なりに考察してみました。

1.氷河期世代に対して適切な投資が行われなかった。

 バブル崩壊後、企業団体の倒産・廃業が相次いだことに加え、公的部門・民間部門がともにコスト削減・スリム化を目指して人員削減を伴う大規模な縮小が行われた。当時はコスト削減・スリム化によって個別企業団体の経営はもとより、国家経済も活性化するような期待感があり、公的部門と民間部門がコスト削減・スリム化を競っていたようにも見えなくなかった。

 これによって、ちょうど第二次ベビーブームの年齢層の方々が社会に出る時期の新卒採用枠が大幅に激減。しかも、この国の雇用システムの関係もあって、新卒での就職を逃すと、よほど条件や運に恵まれないと採用されるのは困難。その結果、この年齢層の方々が経済的に自立可能な待遇の雇用を得ることが困難になってしまった。これにより、氷河期世代が生み出されてしまう。

 この氷河期世代当事者は、(本人の十分な衣食住確保が困難な)劣悪な待遇の雇用しか得られない、もしくは最初から雇用につながることができないなど理由から、暮らしが困窮している者が少なくない。住居を失って路上生活に追い込まれたり、心身を壊したり、ひきこもり状態になった当事者も無視できない。

 本人の衣食住だけでも厳しい氷河期世代当事者は、とてもじゃないが家族を形成したり、車やマイホームなどの高額商品を購入できるわけがない。世代ごと困窮したことで、少子化が加速したり、消費低迷に繋がってしまった。

 加えて、何らかの才能や専門性を持ってても、活用できる機会が得られないまま埋もれさせられてしまった氷河期世代当事者も少なからずいるのではなかろうか?

 氷河期世代を放置したことは、その世代の多くの者の人生を棒に振らせただけでなく、経済・社会に対しても大きなツケとなって跳ね返ってきます。中堅スタッフが育っていないなど、すでにその影響が出始めてます。

 もし氷河期世代に対して、政治や社会が何らかの形で適切な投資が行われていれば…。例えば、既存の企業団体が経営上の理由から雇用することが困難と見込まれるのであれば、国などが予算を投入して新規産業育成・起業支援などを行うといったような。これによって、この世代を吸収可能な新たな雇用の受け皿が作られるとともに、時代に合った産業構造への転換も見込めるようになる。

 このような投資が、氷河期問題が発生した時点で迅速に実行されていれば、この世代の困窮による少子化や消費低迷をある程度は食い止められたのではなかろうか?さらに才能や専門性を持っているであろう当事者に活躍の場を与えることで、この国の経済や技術力の成長に寄与してもらえたかもしれない。

2.政治や社会、親などが、氷河期世代当事者の実情に向き合わず、「上から目線」の対応をしたこと。

 氷河期世代当事者が経済的に自立するのが困難になったのは、まともな待遇の雇用枠が激減したなど、当事者個人ではどうにもならない要因が少なくない。

 しかしながら、この国の政治・社会、さらに当事者の親などは、氷河期世代当事者が経済的に自立できないのは、「自立心が足りない」「怠けている」などと捉え、個々の当事者の自己責任論で片づけるようなことをしてしまった。

 マスメディアなども、「氷河期世代当事者(その世代のひきこもり当事者なども含む)は『いい年齢になっても自立できない未熟な人』『親を困らせる困った人』『 異常な人 』である」イメージを作り上げるような番組を大量に垂れ流して世論を操作してきた。

 このように氷河期世代問題を当事者の自己責任で片づけることは、氷河期世代問題を生み出した国や社会の経済政策・労働政策などの失態に目が向かないようにする目的もあったのでは?と思う。

 政治や社会、親などが「氷河期世代当事者は怠けている」「働くように矯正する」などの自己責任論で氷河期世代問題を捉えていることから、「氷河期世代当事者がなぜ働けないか」「自立できるぐらいの収入を得られないか」について掘り下げるなど当事者の実情に向き合う姿勢がほとんどなかった。氷河期世代問題への施策を決定する際も、当事者抜きで一方的に決定することがほとんど。

 政府は「若者層が豊かになったから正社員にならなくても生活できる」などの「氷河期世代当事者の自己責任」で片づけ、当事者の実情からズレた支援を続けてきたことが、次の記事で指摘されています。

 こちらでも、社会が「ひきこもり当事者(氷河期問題に起因するケースも含まれる)を『犯罪予備軍扱い』と扱い、『社会復帰できるように更生させる』やり方で対応してきたこと」が触れられています。

 これでは、氷河期世代当事者に対して「上から目線」で扱うような支援団体・支援メニューばかり溢れるわけだ。

 中身のない訓練メニューで多額の金を取ったり、表向きの就職実績を良く見せるために待遇が劣悪な雇用に当事者を押し込むような支援メニュー、支援団体が少なくない。

 その中には、多額の金を払わせた上に、職業訓練と称して当事者を最低賃金以下の劣悪待遇(場合によっては無償労働)で働かせる超絶ブラックで悪質な支援団体まで存在する。

 これでは、氷河期当事者支援事業が、人件費節減のための裏技として使われてしまっているも同然では?

 このような氷河期世代当事者を食い物にする悪質支援に当たれば、当事者が経済的に自立できるどころか、ますます困窮したり、心身を壊して就労そのものが困難になるなど、却って自立から遠ざかってしまう。

 氷河期世代当事者が置かれた状態に向き合わないばかりか、当事者の実情を無視した「上から目線」の対応、さらに当事者を食い物にするのが目的の悪質支援団体まで幅を利かす。

 そして、このような悪質な支援団体・支援メニューが蔓延することで、氷河期世代当事者の側が既存の氷河期世代支援に不信感を抱き、支援を頑なに拒否するようになってくる。

 これでは氷河期問題が解決に向かうどころか、ますます泥沼化して解決困難になるのも仕方ないだろう。

3.氷河期世代当事者の権利運動が乏しかった。

 氷河期世代問題がここまで解決困難になったことについて、氷河期世代当事者の責任が全く無いとは言い切れない。といっても、氷河期世代の自立心やキャリア形成への意欲などの話ではありません。

 氷河期世代当事者は、政治や社会、親世代などに対して十分に声を上げてきただろうか?氷河期世代当事者による権利運動が乏しかったことで、氷河期世代当事者の実情を政治や社会などに対して十分に可視化することができなかった。

 このようなことも、氷河期世代問題への対応が当事者抜きで決定され、当事者の実情を無視した「上から目線」の支援メニューが溢れることに繋がった一因ではなかろうか?加えて、マスメディアによる氷河期世代への偏向報道が垂れ流された際に、当事者側から十分な反論や関係者の責任追及が十分にできず、偏向報道を既成事実化させてしまった。

氷河期世代当事者が置かれた状態を少しでもマシにするためには、当事者による権利運動が必要。

 社会的に放置されたも同然な氷河期世代当事者が置かれた状態を少しでもマシにするためには、氷河期世代当事者が権利運動を始めることがその第一歩になると思う。

 氷河期世代当事者の権利運動の目標としては、次のようなものが考えられます。 

・氷河期世代当事者の声を社会に対して発信し、当事者が置かれた状態を社会的に可視化を目指していく。

・行政などが氷河期世代問題の扱いについて意思決定する場に当事者側の代表を参画させるとともに、施策などに当事者の声を可能な限り反映させていく。このことは、氷河期世代を対象とした支援メニューが当事者の実情を無視したものになることを防ぐことにもつながる。

・マスメディアなどが「あたかも氷河期世代当事者は親や社会を困らせる人」みたいな当事者を貶めるような偏向報道を垂れ流した場合は、迅速に抗議を申し入れたり、何らかの責任追及を行える態勢を整えていく。

・氷河期世代を対象とした支援団体や支援メニューについての情報を収集し、これらの支援団体や支援メニューについて当事者視点でチェック・レビューを行えるようにもなりたい。これにより当事者に不利益しかもたらさない劣悪な支援団体・支援メニューを洗い出し、このような劣悪な支援団体・支援メニューに引っかからないように注意喚起ができるようにしていく。

・氷河期世代を生み出した政治や社会の失態責任を洗い出して明確化するとともに、洗い出した「責任の所在」について徹底的な責任追及をしていく。このまま氷河期世代当事者の自己責任論で放置されたままでは、この世代があまりにも無念すぎる。

 ここに挙げた目標を達成していくことで、氷河期世代問題の解決とまではいかないにしても、氷河期世代当事者が置かれた状態を少しでもマシにできればと思う。少なくとも、氷河期世代問題を当事者の自己責任論で片づけたり、「上から目線」の対応を当事者に一方的に押し付けるような空気は払拭させたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?