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込めたるは祈りにあらず |八|

生き残り


 ジャポが行う地母神教の弔いを待ち、準備が整い次第、アギレラは部屋に落ちていた古い燭台に火を灯す。油を撒いた屋敷にそれを投げ込む直前に、彼は何かを察知し、慌てて火を吹き消す。

「まさか!」自分を責めるふうに、ぴしゃりとうなじを叩く。「方々に気を散らせすぎた」苛立ちを隠さず、大股で部屋の隅へ進んでいく。「まったく、火薬庫のじじいがいなくて助かった…」倒れた戸棚をどかし、破壊された床の穴に手を入れる。

「まあ、なんてこと!」
 引き抜いた片腕の先にぶら下がる小さな子どもに、ジャポが驚愕する。

「火薬庫って?」だがキャリコにとってはアギレラの呟きのほうが気になる模様。「じじいって誰のことですかぁ」
「さあ、早くこれを」
 そんな変人を押しのけジャポが駆け寄る。急いで毛布を拡げ、意識を失い震える子どもを包み、アギレラの腕から奪うように抱き寄せる。
「なんと運の良い子。ああ地母神様…」
 率直に喜び、何度も祈りの言葉を口にする。抱いた子どもを優しく揺り、その場で回転した後に、不穏に黙る二人の様子に気がつき眉を寄せる。

「…なにか、問題が?」

「吸血鬼って可能性は?」キャリコがアギレラに訊ねる。

「それは無え。下級吸血鬼スメアニフの子供に、ああまで長く、おとなしく隠れ、化け続けるような、知恵も辛抱もねえ」

 二人のやり取りを受け、ジャポが抱く子をゆっくりとその場に寝かせる。

「じゃ、上級吸血鬼ストレイゴイだったら?」質問を続けるキャリコ。
「もっと無ぇな」
「なぜ?」
「ストレイゴイってのは、悪知恵も生命力も段違いだが、万に一、出るかどうかどうかの変異体だ。滅多に増えぬ仲間を、…モニーンといったか、もしあの、修道女に化けたスメアニフが宿してたとしたら…」

「宿してた!?」
 キャリコが嬉しそうに割って入る。

「ほーら、“宿す”だなんていう言い方。人間みたいだ。母体が子を産む。人間と同じようにね」

「飛んだ揚げ足取り野郎だぜ」
 妙に勝ち誇るキャリコに、アギレラが声を荒げる。極力押さえたその声音と指先の合図に、ジャポは子どもが人間であることを確信し、再び、その水枕のような胸に引き寄せる。

「魔物ってのは“発生”するもんだ。泥や死骸、腐った樹木や毒沼、時に呪われた者の体内からな。なら、吸血鬼だって似たようなもんだ。魔を“宿す”もの。おれが言いたかったのは単にそういうこった。不浄なる存在。ベラゴアルドの暗い影、ってなもんだ」

「そう思いたい。そうでしょ? アギレラ殿はそう思いたいだけだ」
「うるせっ」
「そこまでです!」
 言い争う二人にジャポが割って入る。
「いまは議論する場ではないでしょう!」彼女の正論に、二人は不服そうに押し黙る。



 ジャポはひとまずキャリコとともに子どもを連れ、屋敷の見えぬ林で待機する。嵐はすでに過ぎ去り、眩しい光が木々の隙間から差し込んでいる。彼女は柔らかい枯れ葉を敷き詰め、子どもを寝かせる。しばらく待つと屋敷のほうで黒い煙が昇り、アギレラがやってくる。

「まさか生存者がいたとはな」顔の脂を素手で拭い、アギレラは顔をしかめる。
「珍しいことですか?」キャリコが訊ねる。
「ああ、百年やそこらは、ないと聞いている」
 二人の男たちは眠る子どもを見もしない。

「…で?」少し間を置き再びキャリコ。
「話途中でしたよね?」そこからは顔だけを歪め、(や・ど・し・て・た)口真似だけで伝えてくる。

「ああ、そのことか」アギレラはうんざりしつつ、変わり者の相手をする。
「ようは、ストレイゴイが新たに仲間を増やすとすれば、やつらがこの場所を放棄するわけがねえ。まして、人の咒師なぞに、その生育を委ねるなんてことは絶対にねえ」

「スメアニフは仲間でもないと?」

「連中はそうだ。ストレイゴイにとっちゃ、あれは際限なく増える人形だ。言葉をろくに理解する知恵はなく、取り柄といえば、人間に化けるだけの人形。だが、命令には従順な番犬でもある。だからやつらはおもに、スメアニフを撹乱の道具に使う。数だけは多いぶん、人間の世界に出来損ないの人間を紛らせ、自分たちの存在を隠す」

「だからやつらは、いつでも尻尾さえ掴ませない」最期にそう締め括れば、「尻尾?」間を置き、キャリコが見当違いの食い付き方をする。

「例えだ」
「なんだ、てっきり尻尾のある個体、」
「吸血鬼に尻尾はねえ」
「知ってますよ、それくらい」
「今する話ですかっ!?」
 脱線する二人の掛け合いを見かね、ジャポがまたしても介入する。

「それで、」ジャポは二人から遠ざかり、はだけた子どもの毛布を包み直す。「どうなさるおつもりで?」

「この子はレモロ。イーゴーと一緒に野良仕事に出ていた子だ」ようやく子どもに関心を寄せ、その顔を覗き込んだキャリコが言い、アギレラが空返事をする。
「引き取るんでしょ? ラームで」

「それはできん」

「なんでです? レモロが亞憑つぐつきだから?」妙なことを言う。

「そうとは言ってねえ。…と、言いてぇところだが、外れてもいねえな」

「ストライダだって、亞憑きみたいなものなのに」冗談を言ったつもりのキャリコだが、誰も笑いはしない。

「理由はいくつか重なるがな、」アギレラは大真面目に話を続ける。
「まず、吸血鬼がらみの生き残りは、その土地の者に委ねることになっている。次に、ストライダとしての見込みのない子どもを、無責任に引き取ることはしない。それからおれは、これからも吸血鬼共の痕跡を辿らにゃならん」

「従事者…、」ジャポが不安げに意見する。
「ラームには、ストライダを補佐する者たちがいると聞きました」

「この子を従事者として育てるだと?」

「提案です」問いかけに頷くジャポを受け、アギレラが肩をすくめる。

「魔に触れた者をラームが監視下に置く例はある。だが、それは単に、従事者たちに、余計な仕事を増やすことになるだけだ」

「ははっ、それじゃあ、提案とはあべこべだね、ジャポ」キャリコが笑い、二人に睨まれる。

「亞憑きねぇ…」
 アギレラは倒木を見つけ、ささくれた木肌に構わずどかりと座る。
「ラームのさらに北にゃ、今は使われちゃいないが、『亞憑きの石牢』ってのがあってな…」
 吸血鬼に洗脳された者、魔物に憑かれた者、精神に異常をきたして狂暴になった者、原因も分からず狂った者、あるいは多種族と交わった者や、そうして生まれた子ども。そういった“魔”が絡み、危険と見なされた者たちをひっくるめて“亞憑つぐつき”と呼ぶ。そんな者たちは、あらゆる土地で爪弾きにされ、行き場を失う。

「かつては、そういう奴らを運び、監視するために牢には入れるが、不便のねぇようにある程度の面倒を見ていたらしいんだがな。今はそんな資金も人足もラームにはねえ。まあ、このガキが、危険な亞憑きだっつう可能性も、薄いとはおもうんだがな」

「そうですか」ジャポはひとまず納得する。そんな彼女に今度はアギレラの方から訊ねる。

「アムストリスモはどうだ? そっちで預かることはできねぇか、お前ら、これから戻るんだろ?」

「それは…」ジャポが困惑顔で口ごもり、「無理、無理ぃ」キャリコが軽く答える。

「できねえか、魔導士様なんだろ?」

「ですけど、あそこは孤児院じゃない」
「そりゃラームとて同じだろが!」やはり声を荒げてしまったアギレラは、慌てて口を抑え、身振りだけで詫びる。わかってる。眉間に皺を寄せ、指先を踊らせる。この件で面倒な取引をするつもりはない。そんな態度で首筋を撫でる。

「この子が、強いエレムでも持っていたら別ですがね」
「…エレ、なんだって?」
「ああ魔素ですよ。つまり魔法使いとしての素質ですね」
「持ってねえのか?」
「ないでしょ、多分」
「多分だと? 魔導士様なんだろう、それくらい分からねえのか」
「ない、うん、ない、ないない。やっぱりないですね」キャリコがいい加減に子どもの額に手を当て、何度もそう言う。
「かっ! 怪しいもんだ」アギレラは顔をしかめる。実際、彼はずっとそう感じている。そもそもキャリコは、魔法使いの杖さえ携えていない。

「おっと、また脱線しちまった」アギレラは立ち上がり、正面を向いて頼み込む。

「できるだろう? もし次に頼むとしても百年後だ」

「あなたは吸血鬼を追うのでしょ? だったら、またすぐに現れるかもしれない」
「そんときゃ、頼みやしねえよ。何もおれたちゃ、誓い合った旅の仲間ってわけじゃねえんだ」
「つまり、この子だけは特別だと?」
 やはり鼻につくキャリコの物言いにむっとするアギレラだが、なんとか耐える。

「いっそのこと、スミッチに引き渡したらどうですか?」

「ばか言え!なぶり殺されるぞ」やはり噛みつくような声を出してしまう。
「それはわからない」キャリコが冷静に反論する。
「わかるさ」
「彼らが弱いと?」
「なに?」
「スミッチの村人たちが皆、弱いのかと聞いているんです。もしくは、この子が弱いと?」
「強い弱いの問題じゃねえ」

「じゃ、なんの問題です? 強者が弱者を助ける、それが信条。それがあなただ。でしょ? アギレラ殿。ラームとかストライダとか関係ない、あなたがただそう生きたいと願っているいる」

 アギレラが唸り、ジャポを見る。こいつをなんとかしてくれ、そんな視線を送るが、今回の彼女は止めに入ってはくれない。

「あなたは、みんなを弱いと思っている。スミッチの村人も、この子も、イーゴーも、あの咒師の老婆も」キャリコが捲し立てる。
「実際はそうじゃないかもしれない。皆が皆、そうしたいからそうしたのかもしれない。強い意志を持って、運命を選んでいるのかもしれない。だとしたら、この子だけが特別だと言えますか?」

 アギレラは言い返さない。項垂れ、少し間を置き口を開く。
「お前さんの言い分はわかった。…だがな、」そのまま頭を下げる。

「無理ですってば」あまりのしつこさにキャリコがたじろぐ。

「なんとかできねえもんか」
 今度は、キャリコではなくジャポに食い下がる。

 しかし彼女は何も答えず首を振り、それからぎょろりした目玉で若きあるじに視線を送る。

「わたくしめが言えることは…」

 彼女がそう言うと、キャリコはなぜかぎくりと首をすぼめる。妙に空々しく彼女の視線を避けるふうに、三角帽子を引き下げる。

「なんだ? 言ってくれ」そんな挙動にアギレラが何事かを察知し、彼女を急かす。

「ぼっちゃんが、早口でもっともらしいことを言う時は。決まって、自分の内に、何か隠したい真意がある時です」

「…そりゃ、」ぽかりと口を開けるアギレラ。
「どういうこった?」

「うーん」キャリコはばつが悪そうに頬を掻く。詰めるような二人の視線を受け、渋々ながら小声で白状する。

「ぼくはあそこに、あんまり信頼されてないと思うんだ」

「アムストリスモに?」アギレラは目の前の当人ではなく、またしてもジャポに確認する。

「ええ」彼女が神妙に答える。

「信頼がないって?」

「ええ、ものすごく」気の毒そうに彼女が念を押す。

 そこで三人は同時にレモロを見る。ジャポとアギレラは浮かぬ顔をしている。ここでこうして言い争うこと事態が、その眠る横顔を厄介者として扱っている事実を示している。二人は互いにそれを認めつつ、その単純な罪悪感で子どもを直視できずにいる。

 ただ一人、キャリコだけは涼しい顔でそんな二人を見る。それから、決まりが悪くなったのか、はたまた時間の無駄と見てとったのか、ともかく彼は、大した考えもなしに口を開く。

「それじゃあ、折衷案ってのを、提案しましょうか」


─ 続く ─

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