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竜の仔の物語 −第四章|2節|−女神の庭

竜の仔の物語 −第四章|2節|−
女神の庭−その1−ラームの面々

 

 時は戻り紫千鳥十の月。


 ラームに舞い降りたクゥピオは、砦前の小屋に着陸する。すぐにウンナーナ団長が出迎え、皆を歓迎すると、飛び降りたフリセラがさっそく彼と何やら話しはじめる。ドンムゴは小屋の裏手に回り、三匹の山羊を連れてくる。すると喉を鳴らし鎌首を持ち上げたクゥピオが素早く山羊をついばみ、一瞬で丸呑みする。

 ラウとルグはそれを眺めながらも時間を持て余す。フリセラにどうすればいいか訊ねようにも、彼女は団長と話し込み、それどころではない模様。

 木陰ではマイナリシア婆が居眠りをしている。ラウの肩からファフニンが飛び、婆を呼び起こしてルーアンを指差す。すると婆はしわくちゃの笑顔で何度も頷き、敬意を込めたお辞儀で応える。

 「ねえ、まだ足りないって!」フリセラが未だクルクルと喉を鳴らすクゥピオを見てそう叫ぶ。するとドンムゴがはげ頭をこすり、もう三匹ほどの山羊を連れて来る。

 「こらっ、餌はもう充分だろう!?」それを見た団長が叫ぶ。「ったく、餌代だけで赤字になってしまう。」ぶつくさ言う彼にフリセラが噛みつき、口喧嘩がはじまる。

 「なんだか、忙しそうだな。」ルーアンが呆れる。

 「ふふ。いつもこんな感じだよ。」ファフニンが笑う。

 メッツはクゥピオ用の器具や、その試作品をドンムゴに見せて貰う。彼女が作成していた設計図を見せて、無言で指差すと、ドンムゴが何やら深く嘆息する。大男と小さな技師は頷き合い、さっそく何かの作業に取り掛かりはじめる。

 「退屈だから砦のほうにいってみるか?」ルグの提案に、二人はのんびりと歩き出す。坂を登っていると、フリセラが走って来て、「ブゥブゥから手間賃取らなかったのは、団長に内緒ね?」そう囁く。

 「お金にうるさいんだ。団長・・、」

 「・・ビカビも、だろ?」そう言うルグに彼女が目を丸くする。「そうそう!よく知ってるね!」ポーターに転職しても、金持ちにはなれないみたい。彼女は口を尖らせる。

 「あのじいさん、お金にがめついよぉ。」

 「知ってる。」ラウとルグが溜め息交じりに同意する。


 砦の前には沢山のテントが張られている。ラームへの従事を望む者は多いのだとフリセラは説明してくれる。「それに、近頃は難民もかなり混じってきてるみたい。」

 「難民?」聞き返すふたり。

 「うん。モレンドの海域で戦争がはじまったらしいから。」ドライアド諸島から戦乱を恐れた避難民がひっきりなしに訪れ、これ以上増えれば、ラームも受け入れられ難くなるそうだ。

 そのせいなのか、砦の門は閉じられている。隣にある小さな通用扉を叩いても返事はない。

 「呼び出しといて失礼しちゃうよね。」フリセラがむくれる。「ねえ、壊しちゃいなよこんな門。」

 「え、いいの?」さっそくシチリの剣を引き抜くラウを、彼女が慌てて止めに入る。「冗談だってば!」

 「おー!」すると、背後から聞き慣れた声がする。

 「来たじゃねえか、ガンガァクスの英雄ども。」振り向くと、黒い鎧の男が馬に乗ってやって来る。

 「アル!」ラウが満面の笑顔を浮かべ、アルベルドに駆け寄る。



 アルベルドが戸を叩き合図を送ると、ようやく門は開かれる。彼らは馬を連れ、中庭に入っていく。

 「う、臭い!ちょっとあんた、もっと離れなさいよ!」頬を寄せるアルベルドを、フリセラが照れ臭そうに引き剥がす。

 「おいおい、そりゃないぜ、十日ぶりの恋人だぜ。」彼は魔物の返り血だらけで異臭を放ち、馬の腹には巨大な魔獣の頭部が括り付けられている。

 「これ、ダングシオンじゃない。」ラウがそれを物珍しげに眺める。その魔獣はダングシオンに似てはいるが二本のツノの形状も違い、顔つきも山羊というよりも馬に近い。

 「これはバオコンだな。」ルーアンが言う。「珍しいな。」

 「ああ、ちいと手こずったぜ。」アルベルドはしかめ面で答える。近頃の魔物はより強く巨大になっていて、いるはずの無い地方にいるはずの無い魔物が現れるという。

 「こいつも、ほんとは大陸の北部にしか現れないんだがな。」なにせ、戦い慣れていないものだから、余計に手こずるんだよ、彼はつまらなそうに言う。

 それからアルベルドは馬を預けると、砦には入らずに裏手に回っていく。どうやらそこに流れる小川で身体を洗うつもりらしい。

 ルグがそわそわと砦を眺め、何か言い出そうとして、何度か口を噤む。

 その様子を察したラウが口を開く。

 「ねえ、ソレルは?」

 「やつらは、揃って別の魔物退治に出掛けたよ。」

 「やつら、って?」

 「ん?ラームのじいさまたちとだ。何でも、数十年ぶりにマンテコラスが現れたらしいからな。」獅子に似た体躯に、人間のような顔を持つ強力な魔物マンテコラス。遥か古代、ストライダ・ラームは、約数十年おきに現れるその魔物と、グリフィンの生息地が重なるこの地を選び、砦を建てたのだという。

 「ミルマは?」引き続きラウが訊ねる。

 「あ?・・たぶん一緒だったな。」そこでアルベルドが立ち止まる。「ああ、そうか。」何やら思い出し、ルグを見つめる。

 「ダバンのじいさまがお前らを呼んだのは、そのためだったな。」彼の背中をぽんと叩く。「ま、ミルマを頼んだぜ、ルグ。」

 ルグは訳も分からず目を泳がせ、何となくはにかんでみせる。



 小川に着くとアルベルドは鎧を脱ぎ、さっそく水浴びをはじめる。二人も一緒になって服を脱ぎ、久しぶりに見た小川の、豊かな水の流れに思い切り飛び込む。

 「ちょっと!女の子がここにいるんだけど。」下着姿になって笑いあう男どもに、フリセラがむくれる。

 「お前も来いよ、気持ちいいぞ。」アルベルドが水を掛けると、彼女は文句を言いつつも、服のままに浅瀬に入っていく。

 紫千鳥の光が水しぶきを反射させるなか、砦に明るい声が響きわたる。彼らは仕事も戦いも忘れ、つかの間にはしゃぎ回る。

 「あ、ねえ、それ。」しばらく遊ぶと、ラウがアルベルドの胸を指差す。そこには魔神イミィールに貫かれた傷はなく、代わりに、奇妙な渦にツノを生やしたような文様のアザが刻まれている。

 「お前がつけたんだろ?」アルベルドは誇らしげに胸を叩く。「傷はきれいに消えたんだがな。」

 「マールの胸にも、似た模様があったんだ。」ガンガァクスでのことは、当然アルベルドの耳にもある程度は届いている。

 「へぇ、レムグレイドの姫様にねぇ。そりゃ、光栄なこった。」彼は感心なさげにそう言うが、急にぎくりと身体を震わすと、急いでラウに詰め寄る。

 「お前、お姫様の乳を見たのか?」早口でそう言い、遠目で服を乾かすフリセラを横目で覗う。

 「見た。」ラウが小さな声で答える。

 「それで、どうだった?」アルベルドの素早い反応。「・・その、」口ごもり、彼は両手を自分の胸の前でふわふわ動かす。(大きさはどうだったんだ?)そんな身振りをしていると、目ざとく気付いたフリセラが走って来て、飛び膝蹴りを食らわせる。

 「痛ってぇ。」脇腹を押さえて彼はうずくまる。

 「やれやれ、この男に何を聞いても、話にはならんな。」その様子にルーアンが溜め息をつく。

 「そうでもないぜ。」すると、アルベルドはにやりと不敵に笑う。皆の注目が集まると、彼はおもむろに話し出す。

 「・・竜の戦士。どうやら、このアザはその印らしいぞ。」

 「竜の戦士?」ルーアンは興味を示す。

 「ああ、メチアのじい様がそんな文献を見つけたらしい。」

 「メチアと会ったのか?」ラウの顔が輝く。

 「うん、何度かね。」フリセラが答える。「メチア様は時々ラームに飛んで来るんだよぉ。」ファフニンが続ける。

 「そうなんだ。」ラウが嬉しそうに頷く。

 「それで、続きは?」ルーアンが急かす。

 「ああ、そうだった。」アルベルドが話し出す。メチアの調べによれば、ドラゴニア列島の小国に保管されていた文書に、竜の戦士に関する記述が見つかったらしい。

 「竜に容受されし戦士達 その印持て ドラゴニアを平定せん。」彼がもったいつけた節をつけ、低い声で言う。

 「それ、メチアの真似?」ラウがけらけら笑い出す。

 「似てるだろ?」「うん。似てない。」「ありぁ。」

 「つまり、太古にもラウのようなドラゴンが現れたという証拠というわけだな。」ルーアンが話を戻す。

 「ラウの母さんかな?」「おじいさんかもよぉ。」ルグとファフニンが頷き合う。

 「その竜が太古の戦士たちにも、その印を与えたという話か。」ルーアンが構わず続ける。

 「それがアラングレイドで、マールのご先祖様?」「そうかも知れんな。」ルグの意見にルーアンが同意する。

 「そしてヨムは、ラウのことを導(しるべ)竜といっていた。その呼び名から察するに、ラウは、導きのドラゴンなのだろうな。」

 「メチアのじい様も同じようなことを言ってたな。」と、アルベルド。

 「アリアトもそんなこと言ってたんだろ?」ルグも言い、「・・なあ、ルーアンは何も思い出せないのか?」そう続ける。

 「う、うむ。・・すまんな。」

 「けど、何を導くんだろう?」フリセラが首を傾げる。

 「みんなのことじゃない?」ファフニンはのんびりと言うが、その言葉に皆が妙に納得し、顔を見合わせる。

 「確かに、ここにいる連中も、ラウを通じて集まった者ばかりだな。」ルーアンの言葉に皆が頷く。

 「おれ結構、ラウのことすげーって思ってんだ。」ルグが顔を赤くする。「なんせおれなんて、命を助けられてるからな。」アルベルドが変なところでルグと張り合う。

 しかしラウの顔はいつになく真剣だ。

 「・・おれ、知りたいんだ。」彼が静かに言う。

 「いろんな人と出会って、いろんな戦いをして。おれたちが何で戦っているのかを。・・そして、おれが、・・ドラゴンが、なんなのかを。」

 おれは知りたいんだ。

 ラウの真剣な面差しに皆は笑顔を向け、しっかりと頷く。



 それからの彼らは、引き続きフリセラたちと過ごす。ラームのストライダたちは一向に戻らず、かなりの待ちぼうけを食う。

 二人は小屋で団長の世話になり、寝食のお返しに、“クゥピオ・ウンナーナ空輸”の手伝いをする。フリセラは引っ切りなしに来る依頼でクゥピオと飛び回り、アルベルドが留守の際には、二人も護衛として、危険そうな仕事には同行する。

 メッツは相変わらずドンムゴと小屋の裏の工房に潜り、新たにクゥピオの背に乗せる台座や荷台の開発に勤しんでいるようであった。

 なんでもカイデラの話では、彼女はガンガァクス大陸では滅多に見られない、緑の草原や青い海を見たがっていたようであったが、彼女は結局、どこへ行っても暗い工房に籠もり、何かしらの作業に没頭してしまうような性分であるようだ。

 それから、ラウとルグは稽古をする。アルベルドが立ち合い、本物の武器を使った本格的なものだ。結果、二人の実力は互角であった。お互いに一歩も譲らず、戦いは過激になる。次第に周りに人垣が出来、皆が歓声を上げるが、あまりの凄まじさに、やがて誰一人として声を上げなくなる。

 ラウは魔法をまとったシチリの剣を振るい、ルグは風の力を使う。それでもアリアルゴの刃には、ただのダガーでは敵わない。たまらずルグが銀狼に変身しようとした所で、アルベルドからの待ったが入る。

 「もうやめとけって。」彼は二人の刃を双剣で受け止める。そこで人垣からどよめきが起きる。嵐のような勢いで競り合う二人の間に、いとも簡単に入り込んだ若きストライダに向けて拍手が起きる。

 それを合図とするように、二人が倒れ込む。

 「はぁー。」二人とも満身創痍で寝転がる。

 「そうだろうと思ってたけど、」「やっぱ、勝負つかないな。」二人はくすくす笑いだす。

 「あれ?」するとラウががばりと起き上がり、ルグのダガーを見つめる。

 「それ!おれがカユニリにもらったやつだ!」

 「え?」ルグがダガーをくるりと回す。彼は常時、腰にダガーを四つ装備していて、どれも同じ形の平凡なものだ。

 「なんで今まで気づかなかったんだろう。」ラウは眉を寄せるが、ルグのダガーはハースハートンでは広く流通された、凡庸的な物だ。

 「逆によくわかったな。」ルグが笑う。それから不思議そうな顔で続ける。

 「そう言えば、おれ、マリギナーラの塔で狼になった時、これを咥えて塔を出た記憶がある。」なんでそんなことしたんだろう? ルグが首を傾げる。

 「おれ、その後ずっと狼から戻れなくて、やっと人間に戻れた時に、これだけを握ってたんだ。」

 彼はそう言うと、ラウにダガーを手渡す。「じゃ、返すな。どうせ予備だったから。」

 ラウはカユニリのダガーを懐かしそうに眺め、黒鉄の刃に手を触れる。かなり使い込まれてはいるが、よく手入れされていて、切れ味に衰えはない。

 「はい。」ラウは満足した顔で、ルグにダガーを返す。「これはルグが使えよ。おれにはもう、シチリの剣があるから。」

 「え?いいのか。」ルグが眉を寄せる。「兄弟みたいなひとなんだろ?そのカユニリってひと。」

 「だからだよ。」ラウが澄み切った眼差しを向ける。「だからさ、兄弟みたいなルグに持っていて欲しいんだ。」あけすけにそう言い、ルグの肩を叩く。

 ルグは顔を赤くしてうつむき、嬉しそうに頷きダガーを腰にしまう。それから、にやりとラウを見つめ返し、「ラウって、そういう恥ずかしいこと、平気で言うよな。」照れ隠しにそんなことを言う。



 そうこうしているうちに季節は跨ぐ。二人はすっかりポーターの仕事に勤しみ、ラームに呼び出された目的すらも、知らされぬままに忘れ去る。

 一向に戻らないソレル達だが、ラームの者たちはまるで心配もせずにいる。ストライダは有事の際には大鴉での連絡が来るが、そうでないときには、何の音沙汰もないことは日常的だったからだ。

 そうして、赤燕も半ばになると、ようやく皆が戻ったとの報せが入り、彼らは砦へと脚を運ぶのだった。


 砦の前には人垣が出来ている。大きな馬車の荷台には、巨大な魔物の死骸が横たわっている。マンテコラスが相当に手強かったのか、ストライダたちはずいぶん疲弊している。それでもラウたちが近づくと、はじめにソレルが気がつき、ダバン・ダリ提督に二人を紹介してくれる。

 随分待たせたくせに、ダバンはあべこべに、彼らの来訪を待ち望んでいたと大喜びで、早速ガンガァクスで行われた“竜の調印”をラウにせがむ。そうして彼はそれを受け取ると、嬉々として足早に砦へ引き揚げていく。同じくブブリアも、マンテコラスの死骸が腐らぬうちに解剖するために、砦の従事者達と共にいそいそと引き揚げてしまう。

 「あ、ねえソレル。これ。」ラウはポーチをまさぐり、バイゼルの徽章をソレルに渡す。

 「本来、これはラームに戻って来る物ではなかった。」ソレルはそう言い、ラウに深く礼をする。

 「あの方には、すべてを教わった。」それだけを言う。そうして彼は決して感情を見せずに無表情で徽章をじっと見つめ、しばらくすると大切に胸の内ポケットに仕舞う。

 その間も、ルグは落ち着きなく、そわそわと辺りを見渡している。

 「ミルマのことだが。」それに気がついたソレルが口を開く。

 「師匠!」そこで背後から聞こえる甲高い呼び声に、ルグが身体をこわばらせる。

 「馬の調子も良いみたい。みんな、ちゃんと元気に水を飲んで飼い葉を食べてました。」ミルマは二人に構わず、嬉しそうにソレルに話し掛ける。彼女は皆と大型の魔物を退治し、未だに興奮が冷めやらぬ模様で、引っ切りなしに喋り続ける。

 ルグはその様子をにこやかに見つめ、ただ黙っている。やがてミルマが二人に気づき、師の顔を覗き見る。

 「・・え、と。」

 「ああ。この二人はラウとルグ。ラームが招いた客だ。」ソレルが二人を紹介する。

 「へえ、よろしくね。」ミルマは屈託なく笑い。二人に手を差し伸べる。ラウはルグの様子をちらりと見やり、それから彼女と握手する。ルグもそれに続くが、口元をきゅっと結び、緊張しているようにも見える。

 「ねえ、二人はあたしと同じくらいの歳?」ミルマは微笑み、それからルグに近づく。

 「うん。まあ、背は、あたしよりもちょっと大きいね。」明らかに見下ろすルグに、彼女は頬を膨らまして強がる。

 「えー、おれたちのが全然大きいよ。」ラウが近づき、自分たちの鼻先までしかないミルマを笑う。

 「そんなことないよ!あたしだってこれからもっと伸びるもの!」

 「・・声は高いよね。」そこでルグがぽそりと呟く。ミルマは眉を寄せ、「そりゃ、女の子だからね。」そっけなくそう答える。それから何事かを感じ取り、首を傾げ、不穏な顔つきでルグをじっと見つめる。

 「・・あれ?・・きみ、」亜麻色の瞳がルグの銀色の虹彩を見つめる。「・・どこかで?」

 その様子をラウとルーアンは固唾を飲んで見守る。しかし二人は何も言葉を交わそうとしない。妙な空気だけが、事情を知る者達の居心地悪くする。

 いつまでも二人がそうしているので、見かねたソレルが口を開く。

 「ミルマ、少しブブリア様を手伝ってくれないか?」

 すると彼女は何度も瞬きし、夢から覚めたかのように頭を振りながらも、師の言いつけに深く頷き。そうしてルグを不安げに見つめながらも、何も言わずに砦へと走り去っていく。

 「・・なあ、ルグよ。」走り去っていく彼女を見送りながら、ソレルが頬を掻く。

 「・・わかってるよ。」ルグは顔を伏せて言う。「記憶を失っているんだろ?」

 「うむ。」彼は溜め息交じりに言う。「我々も、こういうことには慣れなくてな。メチア様の話では、あまり、無理に記憶をこじ開けてはいけないと言うのだ。」彼の言葉にルグはただ頷く。

 「・・しかし、ストライダの最終試練では、そういう訳にもいかずにな。そこで、メチア様の助言により、お前を呼びだしたわけだ。」

 「おれを?」そこでルグが顔を上げる。

 「そうだ。我々はお前に、ミルマの“霧の試練”に同行してもらいたいと考えている。」

 「いいよ。」ルグはからりと二つ返事で即答する。それから晴れやかな顔つきで続ける。「でも、ミルマが元気で良かったよ。」そう言い、ラウと笑い合う。

 「ああ、すべてお前のおかげだよルグ。」ソレルも口角を引き上げ、彼の肩に優しく手を添える。「それでは、ミルマを頼んだぞ。」



 それから、さらに銀雁の季節まではラームで比較的にのんびりと過ごす。二人は時折ダバンに呼ばれ、増えた調印を自慢げに見せられる。ダバンはラームの人脈を使い、闇の勢力との戦いに着実に備えているようである。

 とはいえ、ヴァヴラやイミィールの同行は掴めず、連携するアムストリスモの一部の魔道士たちが戦争に参加し、王国での情勢も芳しくはないそうで、強力な情報筋であるヒンダリア卿との連絡もしばらくは途絶えているとのことであった。

 その話で思い出したラウが、魔窟で見つけたアルデラルの“鎧の輪”のことを訊ねると、ダバンはすっかり失念していたと彼らに謝り、手間賃としてレムグレイド金貨二十枚ほどを渡してくれるのだった。

 それから急に真面目な声色になると、バイゼルとブライバスのことでも頭を下げ、徽章をラームへ戻してくれたことと併せて、ひどく感謝し、長話をはじめるので、ラウたちは逃げるように彼の私室を飛び出すのであった。

 「年寄りって話長いよな。」ルグが口を尖らせ、ラウも深く同意する。「たしかにぃ。」

 それから、通路の角でたまたま居合わせたアルベルドに、ラウは唐突にこう訊ねる。

 「ねえ、アルも年寄りなのか?」

 「なわけねえだろ。」彼は素っ頓狂な声を上げる。

 「じゃあ、ソレルは?」さらにラウが訊ねる。

 「ああ、あのひとはおれたちよりも、爺さま連中のほうが、考え方が近いな。」冗談半分に笑うも、くすりともしないラウに彼は眉を寄せる。

 「ストライダは死なないって、アマストリスに聞いたから。」ラウがそう続けると、彼は急に険しい顔になる。

 「そうか、化石のじいさまに聞いたか。」そう呟き、二人と歩きだす。

 「おれは、ストライダのガンガァクス行きには、はじめから反対だったんだ。」アルベルドは吐き捨てるように言う。彼がストライダの古い掟や運命を、前々から受け入れ難く感じていることは、ラウたちも気付いている。

 「いくら時間の流れが人間と違っちまったからって、わざわざ死にに行くこたぁねぇんだよ。」

 真剣に話を聞き考え込む二人と見ると、アルベルドは急に居心地が悪くなる。そうして照れくさそうに、強引に話を切り上げはじめる。

 「ま、湿っぽいのはなしにしようぜ、お互い、人間じゃねえんだからよ。」そんなことをからりと言いのけ、頭をぽりぽりと掻きながら、先へ行ってしまう。

 「ねえ、アル。」ラウが呼び止め、彼にブライバスの徽章を手渡す。

 アルベルドは渡された徽章をじっと見つめ。それからきらりと放り投げては受け止め、さも感心なさげに歩き出す。

 「ブライバスは強かった。」そんな背中に向けてラウが言う。「おれとマールとピークスの三人がかりでも、まるで敵わなかったんだ。」

 ラウの言葉に彼は立ち止まり、頸を傾け上を向く。それから、へっ、と笑い、照れくさそうに頬を掻く。

 「ああ。おれとアグーも、あのじじいにはだいぶ遊ばれたよ。」それだけ言うと、彼は振り向きもせずに行ってしまう。

 そうして、残された二人も歩き出す。しばらくするとルグが立ち止まり、砦のほうを振り向く。

 「・・ミルマも、ストライダになるんだな。」彼は小さな声でそう呟くのだった。


−その2へ続く−


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