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ラームの攻防 −その4−天つ風の霹靂

竜の仔の物語 −第五章|二節|−
ラームの攻防
−その4−天つ風の霹靂


 銀狼ルグはラウをその背に乗せ、見えない風の壁を蹴りあげる。つづら折れにぐんぐん上昇し、黒雲の上に着地する。

 「すげえ、」ラウが思わず声を漏らす。すでに銀色の体毛は帯電し、光を散らしている。

 (なあ、ラウ)ルグが声ではなく、精神を流し込み話し掛ける。(おれの雷は影響ないだろうけど、雲から発生した自然の雷は…、)

 「それは心配するな」そこでルーアンが口を開く。「数奇にも、我々はコポックの装束を与えられた。その織物は、如何なる自然災害をも回避する加護がある」

 「え、じゃあ、イミィールの氷も?」ラウが訊ねる。

 「さすがに“神”の名を冠したものには補償できん」

 (それじゃ、いこうぜ!)声と共にルグが遠吠えを上げる。身軽にその場で飛び上がり、頭から雲へ突っ込んでいく。

 一直線に降下し、雷鳴轟く隧道をくぐる。その間にもルグが踊り狂う紫電を吸収し、さらなる雷光の衣を纏う。雲間を抜けると大粒の雫が彼らを追いかけ、並走するように落ち、やがて迅雷となった彼らが雨粒を追い抜く。

 打ち下ろす大槌のような衝撃が、魔兵の隊列を吹き飛ばす。轟音を伴い、その円状に焼け焦げた大地の中心にはラウだけがいる。

 「おおおお!」彼はシチリの剣を両手で握り締め、腰を落とし脚を踏みしめる。四方から襲いかかる敵に目もくれず、ひたすらに腹に力を込め、思い切り足許に突き刺す。

 再度の大爆発。衝撃波が膨らみ、捲れ上がった地面が群がる敵を先頭から順繰りに吹き飛ばしていく。

 ルグは空を駆け昇る。風を蹴りあげ、狼の似姿をした雷光そのものとなる。そうして再び落雷となり、大地に降り立つ。叢雲の轟きが雨と風を連れ、彼を中心に無分別な豪雷を落とし、魔兵を焼いていく。


 「これは驚いた」

 「予想を絶する光景ですな」それを目の当たりにし、砦で老ストライダが感嘆する。

 そこからは稲光が糸のように降り注いでいるように見える。それは得物に飛びかかる蛇のようでもあり、空と大地を繫ぐ無限の管のようにも見える。そしてその中心では輝く狼が駆け回り、時折空中停止しては、目も眩む閃光を迸らせ、横溢した輝きと共に、特大の光の槌を振り堕ろしている。大地を砕き、吹き飛ばされた魔兵が散り散りになる。中には弓での応酬を試みるものも見えるが、すべては突風に阻まれ、ルグのもとには届かない。

 そして地上では群がる敵が各所で爆ぜ、肉片が宙を舞い、その中心で剣を振るうラウを照らす。上空から叩きつける雨を押し返すように土埃が上がり、蹴り上げた彼の手元が何度も爆破する。

 「まさに、荒ぶる神々の戦い」ダオラーンが思わず漏らす。

 「なあ、おれたちも出るか?」アルベルドがうずうずと脚を踏みならす。誰もが唖然とする凄まじい光景の中、彼だけはラウたちと思い切り暴れたい模様。

 「待て、我々はあくまで、砦での戦いに備えるのじゃ」それでもダバンは上手く先手を打てたとは考えていない。ストライダ提督は二人に蹂躙されていく魔兵の軍団を見つめ、首を捻る。まず持って、咒具の結界に守られ敵は砦に近づけない。それを承知で、敵がああして遠巻きに、なす術もなく隊列を留めているのは明らかに不自然だからだ。



 空と地上、たったふたりの少年が魔兵の大軍団を蹂躙していく。ことのほかルグの活躍は目覚ましい。ラウの一撃は確かに絶大だが、せいぜい一度に二、三体の敵を相手取り、剣の力の爆破も動き回って放つ分には小規模なもので、その爆風は辺りの敵を吹き飛ばし、常に間合いを確保することはできるが、武装したウォー・オルグを軒並み打ち倒せるほどではない。

 それに対して、嵐を纏ったルグの力は強大だ。その落雷は直撃した者からさらに感電し、周囲の敵を広範囲で焼いていく。電撃は皮膚の内側から焼き、神経を断ち切り、血を沸騰させる。その力は、死霊に憑かれ痛みのない魔兵といえど、不可避の死をもたらす。

 「本当にすげえな、ルグは」ラウが空を駆け巡る銀狼を見上げる。彼でさえその姿を捉えることさえ難しい。その輝きそのものが大槌となり大地を叩き、かと思えば上空高く遠吠えを上げ、同時に迸る光の槍は枝分かれし、広範囲に敵を焼く。

 「うむ」ルーアンもラウに同意する。

 「あれぞ、ヴァブラめ自らがレムグレイドに赴き、まず摘み取ろうとした力。かつて大戦で数多の闇の軍団を退けた、雷獣神の力だ」

 ウォー・クライの雄叫びが響き、嵐の中心に向かって押し寄せる。ルグが上空から降りてきて囲まれたラウを拾い、空に昇る。空中で力を溜め込んだラウが爆弾のように降下し、地上に大爆発を起こし、投げ出された敵が光の槍に貫かれていく。

 繰り返す落雷と爆撃。それは戦いと呼ぶものでさえない。自然と超自然の力に翻弄されたほとんどの魔兵どもは、戦う相手さえ視認することもなく、爆破され、身を焼かれていく。

 そうして二人はほんの数刻経たぬ間に、半数近くの魔兵を打ち倒す。それでも敵は怯まない。無力なほどに数を減らしていく味方に構わず、魔兵は標的すらも掴めずに進む同胞の背中を追うようにして押し寄せ、攻撃をする間もなく、肉弾で進む。それはまるで、集団で肉体を壁にして、ひたすらに時間を稼いでいるかのようにも見える。

 「イミィールも、魔法使いも来ないのは妙だ」ルーアンが言う。ラウは立ち回る先、霧の立ち込める陣形を目指す。

 「おれたちの消耗を待ってる?」敵の群れを駆け抜けながらラウが首を傾げる。

 「それも多大にあろう。しかし、これではあまりに安直に、味方を消耗させているだけにしか見えぬ」

 そこでラウはルーアンの指示で魔兵の群れを突っ切り、霧に隠された中心へ向かう。それに合わせてルグも真上を駆けまわり、ラウを追う敵を焼き、援護に回る。

 ラウが進めばツノが輝き、霧の魔法が散っていく。潜んでいた敵の隊列が現れれば、雷光の煌めきが、操る黒雲を蹴り込み、進む先を照らすふうに、敵の群れをさらに散らしていく。

 「やっぱ、なんかおかしい!」単調な攻撃だけを繰り出す魔兵の胸を突きながら、ラウが不信感を募らせる。敵は以前ガンガァクスで戦った魔兵よりもずっと弱く、攻撃も一辺倒だ。

 不信感を抱きつつも霧の先を目指す。そこでも多くの敵を二人だけで打ち倒す。より濃い霧、より敵の気配がする方へと進めば、際立った抵抗さえ見せずに、魔兵は枯れ葉のように飛び散り、落雷に焼かれていく。



 「…なに?」

 物見台で、ソッソが独り呟く。彼女の耳は風と雨音をより分け、別の音を聞いている。それは低く地に染みこむような声。痛みに耐え、憂いと絶望を帯びた、沢山のスメアニフ呻き声。

 「あの二人、なんかまずいよ!」

 叫ぶ彼女に皆が反応する。急いでダオラーンが角笛を吹き鳴らすも、嵐で二人の耳には届いているかは定かではない。

 「おれが行くっ!」すかさずアルベルドが駆け出す。ダバンの許可も聞かずに、壁を飛び降り、丘を駆け下りる。


 不意に行く手から敵が消える。ラウは脚を止め様子を窺う。奥で壁を作る敵が隊列を変え、左右に分かれる。さらにその奥で、霧に滲む赤く光る膨大な力を察知する。

 「何かがくる」輝きの奥で呻き声が聞こえる。

 そうして霧の先が真っ赤に染まり、巨大な波動が来る。

 同時に彼の側に落雷が落ちる。ルグが彼の襟元に噛みつくと、稲光が地面から空へと還る。そこへ波動が赤い通過し、魔兵の死骸を吹き飛ばしラームの砦へ向け、坂道を上っていく。


 「なんだとっ!?」丘の上でアルベルドが脚を止める。視界いっぱいに広がる血の赤色に、咄嗟に双剣を構える。彼の目の前で波動が結界にぶつかり、光の亀裂が走る。硝子片を飛び散らすふうに結界は破壊され、次の障壁へと進入する。幾重の結界が次々と砕かれ、光の粒子を散らす。そうして身構える彼の手前で、急激に勢いをなくす。押し寄せた血の光線が液状に戻り、岩礁にぶつかる波濤のように飛び散り広がる。そうして、見えない壁にばしゃりとこびりつき、暫時の静止の後、全てが力を無くし、地面へとぶちまけられる。

 アルベルドは唖然として血に染まった大地を見る。その波動には見覚えがある。しかし、以前のそれとは比べものにならぬほどに、威力も大きさもまるで違う。雨に洗われ、坂道を流れていく血の浅瀬は、そこまでの結界が破壊されたことを意味している。

 「アル!」壁からの警告に彼が反応する。またしても霧の先に不気味な重圧のうねりを感じる。すぐに雨を切り裂き、特大の血の波動が駆け上がってくる。

 「もう次が撃てんのかよっ!」彼は壁沿いを走り、波動の軌道から避難する。さらに結界が破られ、光の硝子が砕け散る。たなびき尾を引く赤い光線がすんでで飛び退く彼のブーツの踵が消し去り、砦の大門にぶち当たる。

 衝撃が防壁を襲う。従事者たちがしがみつき、何とか揺れをやりすごす。壁に衝突した血が津波のように覆い被さり、中庭を赤く染める。

 揺れが収まり、皆が体勢を整える。ファフニリルの加護を受けたアリアルゴの門が大きく歪み、大穴を開けている。中庭まで達した血溜まりは、結界がそこまで破壊されたことを意味する。次の波動が来れば、間違いなく中門までもが突破されてしまうだろう。

 そこで坂下から雄叫びが聞こえる。霧の中からバオコンに跨がった魔兵が一斉に飛び出して来る。

 「来るか」アルベルドが改めて双剣を構える。見ればバオコン騎兵の先頭の三体は、いびつなツノ付きのゲヲオルグだ。「けど、あれのがまだやりやすいだろ」

 「あの鎧はフラバンジ兵」ダオラーンも彼の隣に立つ。騎兵は皆、金と黒の豪奢な鎧を纏い、先頭三体の装備を見れば、明らかに人間であった以前は、さぞ名のある武将だったことが窺える。

 「…話だけは聞いたことがあります」防壁の上でブブリアが言う。「おそらくあの先頭、熊の兜はフラバンジのウィガル将軍」「だとすれば、大盾持ちがドルー、斧がグイッガじゃろうな」ダバンが続け、アルデラルの弓に矢をつがう。

 「フラバンジの壁、不動三将軍がゲヲオルグとなったとすれば…、」同時にダオラーンも分析を続ける。

 「帝国は、闇の勢力に落ちたってことかよ」アルベルドが頬に付着した血を拭い、にやりと笑う。「相手に不足なしってやつだな、ダオ」

 「ふむ」ダオラーンが息を漏らし、極細の剣を抜刀する。




 「あれを壊さないと!」雨雲の上、ルグの背中でラウが言う。彼には魔法の霧の奥で蠢く、敵の兵器が見えている。

 ルグが喉を鳴らし、霧の中に特大の雷を落とす。何度かの豪雷が霧を晴らし、その姿が顕わになる。

 「あれは、血の剣!?」ラウが指差す先には、車輪付きの台座に括り付けられた刃が触手を伸ばし、十体ほど人つなぎになって磔にされた低級吸血鬼スメアニフと繫がっていて、左右先頭の二台ほどの吸血鬼は皆、からからに干からび、絶命している。

 さらにその後ろで、魔兵が装置を操るのが見える。干からびた台座が前へ進み、用済みとばかりに兵器から滑り落ちる。そうして次の磔が前方へせり出し、台座に装着される。すると血の剣が触手を伸ばしてスメアニフへと結合し、ぐんぐん血を吸い取っていく。

 それは以前見たよりもかなり肥大し、真っ赤な刃は膨らんだ嘴のよう。鍔に取り付いた無数の目玉さえも何十倍の大きさとなり、ぎょろぎょろと辺りを見渡している。

 「そうか、思い出したぞ。」ルーアンが太古の記憶を引っ張り出す。

 「あれこそが、本来の“吸血鬼”かつて古代ストレイゴイたちが崇めた神、“啜る臓物”ペナンガルだ」

 「ルグ!」背中の呼び声にルグが短く吠え、頭から雲の中へ飛び込んでいく。しかしそのすぐ鼻先に地面があることを察知し、彼は咄嗟に四つ脚をつく。

 (なんだ?)雲の奥に堅い足場が出来ている。風を熾して雲を取り払うと、そこには輝く氷の床がある。

 「よお、犬ころにドラゴン」不気味な声が響く。上空に出来た土台から、氷柱神の四つ眼が顔だけで浮かぶ。見渡せば、それは雲の上澄みを凍らせるふうにして、天空がだだ広い闘技場のようになっている。

 (ラウ!行け!)

 ルグの合図でラウが背から飛び降り、思い切り剣を突き立てる。アリアルゴを爆発させ、分厚い氷を砕いていく。

 「させるかよぉ!」姿を現したイミィールが片腕を振り上げる。しかしその腕に雷光が迸り、光の速さでルグが噛みついている。すかさず魔神が突き立てた左腕の刃が、彼の胸に到達する。と、思いきや、ルグは素早く人間の姿に戻り、刃を脇でかわし、捻った身体でその歪に輝く腕にダガーを突き差す。

 ミスリルが雷撃を伝え、イミィールの左腕を砕く。迅雷はさらに伝播し、胸にひびを入れ、両肩を伝い、四つ眼から迸る。

 「いけぇぇ!」さらなる力が送られる。ばちばちと魔神が躰を振るわせ、粉々に砕け散る。

 しかし、氷の床に着地したルグは喜びはしない。その空疎な感触から、彼はそれがイミィールの本体でないことに気づいている。

 「ちっ」背後で舌打ちが聞こえる。「ドラゴンに逃げられちまったじゃねえか」氷の地面からイミィールが現れる。

 「おれが相手じゃ不満か?」ルグが振り向きもせずに言う。透き通る氷の床から地上が見え、そこでは新たなスメアニフが血を吸われ、からからになっていくのが見える。

 「あいつら、もとはお前の仲間じゃないのかよ」彼はその様子に顔を歪め、肩を震わす。

 「仲間ぁ?」イミィールが鼻で笑う。「おれ様に仲間なんていねぇ」顎をさすり少し考える。「…いるとすれば、それは血だ。血をおれ様に差し出す、従順な手下と奴隷だけだな」そう言い、僅かに目を逸らした間に、すでにルグの姿を見失っている。

 「な!」魔神の背中に衝撃が走る。さらに電撃が内部から焦がす。「ぐおおお!」叫び声とともに歪な氷の翼を広げる。必要以上に攻撃の範囲から離脱し、切りかえした先に、またしてもルグがいる。

 帯電した回し蹴りが魔神の顎を捉える。「ぐっ!」空中で回転し、膝を付く先でさらに後頭部への衝撃、遅れて走る身体の痺れ。硬直する背中にふたつのダガーが突き刺さる。

 「犬ころがぁぁ!!」両腕を振り上げると、ルグの左右から氷の壁が競り上がる。振り上げた腕を弾けば、それが彼の躰を拘束する。

 「捕まえたぁ」四つ目が邪悪な光を湛える。しかし氷付けになったはずの標的がそこにいないことを悟ると、すぐに憤怒の顔つきに戻る。

 「お前がそんなやつで良かった」すでにルグは真後ろにいる。

 「なんだと?」振り向いたイミィールはすでに電撃で躰を拘束されている。

 「捕まえた」ルグが小刻みに蠕動する氷の背中からダガーを抜き取る。「お前が、くそ野郎だから、おれも殺りやすいっていってんだよ」睨む彼の瞳に紫電が迸る。

 「黙れよ犬ころ!」片腕を振り上げると、氷床から棘が飛び出す。

 「犬ころじゃない」ルグがその場に留まり静かに言う。いや、彼は僅かの動作で棘を避けている。余りのその速さに、氷柱神の四つ目でさえも彼がぶれて揺らいでいるようにしか見えない。

 「ぶおっ!」強かに蹴り込まれた魔神が氷上を滑る。突き立てた刃で勢いと止め、相手を見据える前に次の電撃が送り込まれる。氷弾を飛ばせば狼の姿で飛びついて噛みつかれ、振り回されてまた吹き飛ばされる。

 魔神は雷獣本来の力の恐ろしさを知る。それは風と光。自然界では決して捕らえることの出来ない力。

 「くそがっ!」それでもイミィールは迫るルグに至近距離でありったけの氷弾を飛ばす。しかし雷獣はそれさえ光の速度でぶれながら避け、どんどん距離を詰めていく。

 猛り狂ったイミィールが躰全体から氷弾を飛ばす。高速のつぶてが運よくルグの肩を捕らえる。それを見逃さず、さらなる氷弾が連続で発射される。冷気が気化し煙を上げる。堪らずルグが脚を止め、ダガーを十字に構えて風の防壁を張る。

 「くそがぁぁ!」さらに氷弾をでたらめに飛ばす。ルグを中心にして水蒸気が膨らみ彼を押し隠す。それでも攻撃は止まない。氷弾が弾け、さらなる氷がそれを砕く。

 やったか?風の気配が消え、イミィールの攻撃がふっと緩む。

 急激な静寂。肥大した歪な氷塊が蒸気で煙り、揺らいで輝く。

 「おれはフー・フリアの息子、ルグ・フリアだ」氷塊の奥で声がする。

 「くそ犬がっ!」

 「おれは、天つ風の霹靂(あまつかぜのかむとき)、」静かな声。立った今、氷詰けにしたはずの標的の声。

 「なっ!」目の前で、氷塊が粉々に砕け散る。迸る雷光が四つの目玉の裏側で踊る。

 「…んだと?」気がつけば、銀色の瞳が目の前に迫る。すでに胸と腹には白く輝くダガーが突き刺さり、その躰に亀裂を入れている。

 「雷獣神フリアの名において、氷柱神イミィールを滅ぼさん」

 その言葉を最後に、イミィールの躰は不可避の電撃を受け、ばらばらに砕け散る。



 氷床を砕くと、地上はそこだけが吹雪に包まれている。途中翼を切り返し、上空の闘場に波動が当たらない角度で降下し、ラウは真っ直ぐにペナンガルに狙いを澄ます。すでにその嘴の刃は真っ赤に膨れあがり、今にもはち切れそうだ。

 「次を撃つぞ!」ルーアンが叫ぶ。「分かってる!」ラウの背中から光の翼が伸びる。自然落下の数倍の速度で一気に間合いを詰める。

 数体の魔兵が滑車を操り、血の刃を上空に向ける。刃の尖端が赤い花の蕾のように膨らみ、血の雫が滴り溢れ出し、放たれる。

 それでもラウは軌道を変えない。波動に真っ向から直下する。そうして寸前で身体を僅かに反らし、血の光線とすれ違うようにして進む。急いで魔兵が操作し、射角を変えるも、ラウは軌道を読んで光線を縫うように進み、そうしてシチリの剣を振り上げる。

 「おおおおお!」渾身の一撃が振り下ろされる。

 すると、ペナンガルの刃がぱくりと割れる。覗いた口蓋から吐き出した焼けつく息がラウの全身を覆い尽くす。

 「ぐっ!」吹き飛ばされたラウが着地して膝を付く。

 不揃いの大小の目玉をぎょろぎょろと動き、そのすべてがラウを見つめる。赤い嘴の刃をかちかち鳴らし、ふよふよと浮き上がる。血を抜かれ枯れた生け贄を切り離し、根のような触手を残りの全てのスメアニフと結合させる。

 「動いた」皮膚を焦がしたラウが煙を上げつつも立ち上がる。

 「ああ、驚いた。動けるのだな」ルーアンも言う。「だが、あの様子では、行動範囲はそうないだろう」

 ペナンガルは巨大な嘴と歪な目玉の下に、むき出しの内臓のような物が付いていて、そこから伸びる触手がスメアニフに繋がり、ゆらゆらとクラゲのように浮遊している。

 「けど、かえって都合がいいかも」ラウがぺろりと口元を舐める。「こっちに気を取られてれば、砦に攻撃することもしない」

 カラカラカラ。嘴を振るわせペナンガルが音を立てる。

 そうしてラウは歪な剣の化け物と対峙する。シチリの剣を斜に構え、慎重に間合いを詰めていく。



 「盾っ!」ダバンの号令で従事者たちが構える。バオコンの騎兵が防壁沿いを駆け、投げ槍を投擲する。オルグの力を乗せた槍は簡単に壁を越え、構えた盾にぶつかる。矢をつがう従事者たちが精確な槍の軌道に胸を突かれ飛ばされるも、加護を受けたミスリルの帷子になんとか守られる。

 そこから従事者たちの矢の応酬。やはりミスリルの矢は魔兵にも効果を成す。しかしバオコンの運動能力と素早さで、致命傷を受ける敵は多くはない。

 ダバンの矢だけは敵を追尾し、背後から首許を突き刺す。しかしそれもフラバンジ製の強固な鎧に身を包まれた魔兵を一撃で射殺すことはできない。そこで彼は狙いをバオコンに絞る。放たれた矢は精確に魔兵の機動力を奪っていく。

 「ふむ」ダバンが漏らし、ブブリアにアルデラルの弓を渡す。「結界の破壊がこうも早いとならば、壁際では守りきれぬ」頃合いを見て、従事者たちを中門まで下げさせろ。ダバンは彼にそう伝える。

 「我々は中庭で敵を迎え撃つ」

 「提督はどこへ?」

 「武器庫から“ゴリアテ”を持ってくる。わしはやはり近接戦闘のほうが性に合う」

 手槍を切らした騎兵が旋回し、一斉に剣を抜刀する。そうして、目指すその先にはアルベルドとダオラーンがいる。

 バオコンが金属質のいななきを上げる。揃った隊列の先頭にはフラバンジの不動三将軍。まずアルベルドだけが走り出す。身を低くし、“鶚の刃”を地面すれすれに構えるその様は、兎を追い滑空する鷹さながらだ。

 掬うように下からくるウィガルの大槍をまず飛び越える。分厚い戦斧を軽々片手で振りかざすグイッガの攻撃を顎先でかわし、反り返った半身のままに、両腕の刃が踊る。高速の連撃が徒党を組んで突進する、バオコンの六つ脚を次々に切断する。

 そこからは泥と血でよく見えない。勢いよく魔兵がバオコンから投げ出され、大きく前へ飛び、その宙に浮いた敵に、細い閃光が群がる。

 ぬかるんだ大地に躰を投げ出した多くの魔兵は、すでに立ち上がることが出来ない。四肢を動かせず、首だけで蠢き声をあげる。そして、その中心にはダオラーンがいる。彼はミスリルのレイピアを振るわせ、切っ先に付着した魔兵の血と雨粒をぴっと両断し、背筋を正す。

 さらなる魔兵が突進する。彼はつま先立ちで千鳥のように立ち回り、極細の刃で鎧の隙間を突いていく。ただ突くだけではない。魔兵はそれだけでは動きすら鈍らない。しかし彼は器用にその切っ先を操り、肉の先の筋を切断する。神経の経たれた魔兵は、無意識に武器を取り落とす。あるいは小石にさえつんのめる。痛覚のない魔兵は、訳も分からずに這いつくばる。

 「鈍っていないみてぇだな。ダオ」遊撃に出たアルベルドが戻り、泥にまみれる魔兵の頭を潰していく。

 「アル。お前はずいぶん腕を上げたようであるな」ダオラーンが改めて背筋を正し、身体を斜に構え、次の攻撃に備える。

 「へっ、ちいとばかし、真面目に働いてたもんでな」

 気がつけば雨が雪へと変わっている。旋回し、体勢を整えるフラバンジ兵の先の視界が悪い。どうやら黒雲の中心が吹雪いているようだ。

 「向こうはどうなってやがる?」

 「ソッソ殿の角笛が聞こえぬのだ、ラウ殿もルグ殿も無事であろう」

 「んなこたぁ、わかってるよ!」啖呵とともに再びアルベルドが身を低く構える。

 「では、こちらはこちらの戦闘に、専念いたそう」そんなダオラーンの言葉を彼は聞いてはいない。再び突進をはじめたバオコン騎兵を迎え撃つために、すでに走り出しているからだ。


−その5へ続く−


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