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彷徨いの窟 −その2−予期せぬ再会


竜の仔の物語 −第三章|3節|−彷徨いの窟

−その2− 予期せぬ再会


 マールの一撃がカイデラの木剣を弾き、輪を描いて地面に突き刺さる。

 「参りました。」カイデラはどこか嬉しそうに言う。「もはやわたしなぞ、足元にも及びませんな。マール隊長。」

 「その呼び名、慣れないな。」マールは汗を拭い髪留めを外す。

 「いえ、あなたは正式に白鳳隊に入団し、鳳凰の試験も通った。もはやあなたは、立派な二番隊の隊長です。」カイデラは、決してお為ごかしでなく率直に褒める。彼女にもそれはわかるが、その顔は優れない。

 カイデラはその様子を察するも、一切の言及はしない。

 「・・それではガンガァクス行きに際して、済ませておく用事がいくつかあるので、わたしはこれにて。」カイデラはそう告げ、彼女のもとを去っていく。

 一人残された後も、彼女はしばらく訓練を続ける。

 「精がでますな。ガンガァクスへは長旅ですぞ。」すると背後で声がする。

 「バロギナ隊長。」マールは木剣を振るう手を止める。

 「“副”、隊長。今は一番隊、副隊長です。それは皮肉ですかな? 今の二番隊を預かるのは、他でもないあなたですぞ。」

 「ああ。すまない。」マールは不安げにバロギナを見つめる。

 「ともあれ、ご武運を期待しております。」深々と頭を下げ、「・・隊長殿。」バロギナは意味深にそう付け加える。

 「・・よしてくれ。」マールは目を逸らし、小さな声でそう言う。

 バロギナはその小柄な身体を傾け、背を向ける。

 「白鳳隊は、メイナンド様とわたくしめ、二振りの双剣が築き上げた由緒ある部隊。」バロギナの背中が威圧的にそう告げる。

 「・・それは」「その名に恥じぬこと!」彼はマールの言葉を大声で遮る。「・・それだけを願うばかりです。」首だけで振り向き、「ラフラン姫様。」今度はそう付け加える。

 マールは何も言い返さない。ただ彼の暗い眼を見つめている。

 するとバロギナは鼻を鳴らし踵を返す。歩き出すと小さな声で、「落とし子風情が、」そう吐き捨てるように囁き、去って行く。

 マールが俯いていると、またしても背後で声がする。

 「王国に戻ったら・・、」そこにはメイナンド・レウーラが立っている。

 「メイナンド隊長。」そう言いつつも、彼女は違和感を感じる。

 「もしガンガァクスの務めを終え、王国に戻ったら。マール隊長、あなたに伝えたいことがある。」メイナンドは笑顔を崩さない。

 しかし違和感は肥大する。言ってない。なぜだか彼女はそう感じる。この場面では言ってない。メイナンド隊長がその言葉を言ったのは、わたしがガンガァクスへ出立する直前だ。

 「・・わたしたちには、上下関係はほとんどありません。」

 また別の場所で声がする。振り向くと、そこにはなんと、ドミトレスが立っている。

 「ドム!どうしてここに?」彼女はさらに不安になる。何かがおかしい。

 彼は構わず続ける。「皆、横の繋がりを持って、隣を行く者、後ろを歩く者たちと共同して、自分の命を守ります。」

 緞帳が降りるように辺りが真っ暗になる。

 「明日に命あらば。」ドミトレスの声が幕の内側で響き渡る。

 「そっくりだな。」「うんそうだな。」不意に別の場所に明かりが灯り、ラウとルグが笑いあっている。

 「ラウくんにルグくんまで・・。」彼女の不安は募っていく。よく見るとラウの左肩が赤い。彼女が凝視していると彼の肩から血が溢れ出してくる。「ここにいるはずはない。」そう呟きながらも、どくどくと流れ出る血を、彼女は必死で押さえ込む。しかし血は指の隙間から止めどなく溢れだしてくる。

 そうかと思えば足もとがぐらつき、方々から矢が飛んでくる。彼女は逃げようと二人の手を取るが、二人は一向に動き出そうとしない。

 「白鳳隊は我が国の誇り!」「あなたもガンガァクスでラフラン姫とともに戦おう!」灯りが消え、二人の無邪気な笑い声だけが聞こえる。

 ひどく寒い。真っ暗で何も見えない。

 ——眼を醒ますのだ。

 誰?

 ——眼を醒ますのだ。白ツバメよ。

 暗がりにぼんやりと顔が浮かびあがる。隻眼の、白髪交じりの男。どこかで見たことがあるが、思い出せない。

 そう、何かを忘れている。マールは必死に頭を巡らす。・・何かを。

 何かを。

 ・・・・・ラウくん!



 マールは跳ね起きる。直ぐに辺りを見渡し、蓮の剣を抜刀し、暗がりの奥に眼を凝らして驚愕する。

 「・・これは?!」辺り一面、おびただしい数のウォー・オルグの死骸がが密集して山になっている。死骸のほとんどが首なしか、でなければ心臓を貫かれている。千切れた手足や壊れた鎧や盾が散乱し、肉片や大理石に突き刺さる大剣や折れた槍が、さながら墓標のようだ。

 戦場を知らないマールでも、それが実際の戦場よりもさらに凄まじい光景だということがわかる。

 「ラウ!ラウくん!」マールは叫ぶが彼の姿は見当たらない。しかし、死骸の一郭がむくりと動き出すと、彼女は素早く剣を構える。

 ウォー・オルグの歪んだ顔が肉の山から浮き上がる。マールは慎重に構えながら、敵が立ち上がるのを待つ。

 「ぶはぁっ!」ところが魔兵が崩れ落ち、代わりに肉の山からラウが飛び出して来る。剣を支えに立ち上がり、よろけて膝をつく。

 「うわあああ!」それからラウは悪夢にうなされたように叫び、右腕に縋り付く魔兵の上半身を引き剥がす。

 マールはその様子を唖然と見つめる。血と臓物で濡れそぼるその姿が、何か未知なる獣のように見える。

 ラウは辺りを見渡す。その胡乱な目つきがマールを捉える。

 「よかった。・・無事だったんだ。」彼は表情を和らげると、前のめりにゆっくりと倒れ込む。

 マールは肉をかき分け急いで走り寄り、倒れる前になんとか彼を抱きかかえる。顔中を濡らす青黒い血を手で拭ってあげると、彼はすでに気を失い、眠り初めている。

 「・・・ありがとう、ラウくん。」マールは彼を優しく抱きしめる。

 「次はわたしが守る番だな。」



 「ここは?」マールは上空を見渡す。暗い空洞の奥で、ベーヌの炎が無数揺らいでいる。そうだ。あの上から落ちたのだった。それから彼女は自分が怪我をしていることに、今さら気がつく。呼吸をすると脇腹が痛む。おそらく石橋から落ちた際に、肋骨でも折ったのだろう。

 それでも、彼の追った痛みに比べれば。彼女は眠るラウを見つめる。「ずっと守ってくれていたんだな。」胸に手をあてがい、彼に向かって最敬礼をする。

  辺りを調べると、死骸や砕けた大理石とは違う物が落ちている。近づくとそれが干し肉だということがわかる。

 「皆が物資を投げ込んでくれたのか。」彼女は上を見上げ、はぐれた仲間たちに思いを馳せる。干し肉を拾い、埃を払う。方々で役に立ちそうな物を拾っていく。何もかもがありがたい。遠くに見覚えのある物を確認し、近寄ると、それが羊の腸の水筒だと分かる。

 「よかった。破裂せずにいてくれた。」マールはそれを一口含み喉を潤すと、ラウのもとへ近寄り、自分の首に巻いた布をはずして水に浸し、彼の傷口を拭き取り、ポーチに常備している血止めの薬草を塗り込む。

 ラウが眉をひそめ苦悶の表情を浮かべる度に、マールは手を止め息を呑んで彼の顔色をのぞき込む。しばらくして彼がふたたび眠り込むと、慎重に手当を再開する。

 「東側の壁を見ろ、そこに細い通路があるぞ。」眠るラウが急に喋りだしたかと勘違いし、マールが仰け反る。

 「ああ、そうか、ルーアンか。」すぐに胸を撫で下ろす。

 「あまり声を出したくはないからな。」ルーアンは小声で話す。「今は、ラウを寝かせておいてやりたい。」その言葉にマールも頷く。

 「さりとて、ここに留まる訳にはいかぬ。先ほどの戦い。何度か奥の洞窟から増援が来たのを我は見た。」

 「わかった。」彼女はもう一度辺りを見渡す。吹き抜けの先はドワーフの建築が途切れ、切り立った岩肌を強引に掘り進めたような深い洞窟が続いている。その天然の岩肌と人工建築の合間に、亀裂のような細い通路が見える。

 「奥はどこに繫がっているのだろう。」マールがゆっくりとラウ抱きかかえる。

 「わからん。だがもしかしたら、ドワーフがその領土を広げ、掘り進めるうちに、太古の、魔兵の住処を掘り当てたのかも知れぬ。」

 ラウを背負うと、調度、彼女の耳許でルーアンが囁く形になる。「ふふ、」彼女は思わず顔をほころばせる。「ラウはいつもこういうふうに、ルーアンの声を聞いているのだな。」そう言い、細い通路へと歩き出す。

 人一人がようやく入れるほどの細い隘路に身体を入れる前に、広がる巨大な洞窟の奥を見つめる。暗闇の中で不気味な音が反響し、断続的に低く唸っているように聞こえ、そこから小さな灯りが瞬くのが見える。注意深く見ていると、その瞬きが横並びに増え、やがて鉄の音が響きはじめる。

 「もう敵が来た。」彼女は急いで通路に身体を入れ、ラウを背負い走り出す。



 細い通路を真っ直ぐ進む。しばらく進むと背後に鉄の音が聞こえるがマールは構わず進む。音からして距離はそれほど詰まってくる様子はない。通路はさらに狭まっていて、彼女でさえ身体を横にして肩を入れないと通過出来ない箇所もある。身体の大きなウォー・オルグたちにしてみれば、大層な難所になることだろう。

 上を見上げると天井は無く、吹き抜けがずっと続いている。調度、マールたちが落下した地点が旧ドワーフ王国の深淵で、そこからさらに続く未知なる洞穴との裂け目になっている模様。その証拠に、緩やかだが通路は坂道になり、上へ上へと続いている。

 「この狭い通路では、キュークロプスは通れない。」

 「うむ。魔兵どもの拠点はあの洞窟の奥ではなく、この先に広がっている可能性が高いぞ。」

 延々と続く細道はうねりながら上り坂が続く。諦めたのか、背後からの魔兵の気配はなくなる。代わりに前方から奇妙な音が聞こえてくる。

 マールは蓮の剣を掲げる。カナカナカナカナ。南方の打楽器を甲高くしたような音が近付きながら重なってくる。すぐに暗がりからサソリと蟹を合わせたような巨大な甲蟲が数匹ほど這ってくる。

 「ドレッガーだ。前脚の爪に気をつけろ。」ルーアンが囁く。

 呼吸を整え、ラウを背負いながらマールはゆっくりと進む。剣を突き立てていると、ドレッガーは後じさりはじめる。

 「しめた。マリクリアの光を嫌がっておる。」

 マールはそのまま進む。ドレッガーは小さな頭を向け、その下に伸びた触角のようなものを振るわせながらも後退していく。しかし甲蟲どもはどんどん増えていく。先頭の甲蟲が後じさり、後ろの仲間と重なる。前へ出たがる蟲と後退する蟲で団子状にもつれはじめる。

 カナカナカナカナカカカカカ! やがて触角の音が激しくなる。混乱し、警戒音へと変わる。

 不意に先頭の一匹が飛び付いてくる。マールが素早く剣を振るうと、体液を飛び散らしながらドレッガーが真っ二つに割れる。

 それを切っ掛けに団子の一郭が剥がれはじめる。焼き栗が弾けるような音を立て、一斉に襲いかかってくる。マールはラウを背負いながらも、滑らかにマリクリアの刃を振るう。鎧の如く堅い表層をまとった古の甲蟲も、“選ばし者の剣”、魔法を帯びた刃の前には、魚のはらわたとそう違いもない。

 様々な角度から襲いかかってくるドレッガーを、ことごとく両断していく。真っ二つに割れた貝殻のような残骸が足もとに積み上がっていく。その度に、飛び散らせる緑色の粘着質な体液がマールの身体にまとわり付く。毒性はないとのルーアンの助言だが、もとよりそれを浴びずに戦い続けるほのどの余裕は、流石の彼女にもない。

 体液を嫌がり、彼女はやや後退しながら蟲をはね除ける。それでも地面に付着した体液で何度か体勢を崩し、剣を握る手のひらの精度を鈍らせる。

 「まずい!グロウムまで!」不意にルーアンが叫ぶ。

 「マール、上だ!」

 見上げると、すぐそこ、頭の真上に巨大な蜘蛛の複眼が鈍く光っている。彼女は咄嗟に飛び退くが、体液に脚を滑らせてしまう。ラウが投げ出され、それに気を取られている隙に、蜘蛛の尻から吐き出した糸に絡め取られる。

 大蜘蛛は二本の脚で壁に取り付いたままに、躰をねじ曲げすごい勢いで糸を放出する。別の脚で器用に糸を手繰り、みるみるうちにマールの身体を楕円形の繭にしていく。

 そうして大蜘蛛グロウムは彼女を封じ込めた繭玉を担ぐと、そそくさと上へと引き揚げていく。

 しかしすぐに繭から、ぷっ、と青白い刃が飛び出す。

 飛び出した刃が下方に滑り、繭玉を引き裂く。そこから羽化した白ツバメが大蜘蛛には構わず、頭から地上へ降下する。

 爪を立て、気絶するラウににじり寄るドレッガーの真上へ降り立ち、その膨らんだ腹に剣を突き立てる。そのまま引き裂き、次に来る甲蟲どもを両断していく。

 「マール!」ルーアンの呼び声が響く。彼女が振り返ると、今度はラウが糸に絡め取られている。

 「させない!」脚を切り返し、身を乗り出してグロウムに飛び付く。

 「きゃあ!」しかし追って来たドレッガーの爪が彼女の左の腿を切り裂く。勢いを削がれ倒れ込むが、彼女は傷に構わずラウに手を伸ばす。

 グロウムは気を失うラウに対しては、繭を作らず身体だけを固定すると、素早く壁面を伝い、上へと逃げだしはじめる。

 「行かせるものか!」マールは飛び上がる。右の壁を蹴りあげ、左も蹴りあげる。つづら折りに壁を蹴りあげ、勢いが緩んだ拍子で左右の壁に取り付き、四肢を駆使して昇っていく。

 下ではドレッガーがマールを追いかけ壁ににじり寄る。甲蟲が甲蟲の山を作り、何度も崩れ落ちては同じ行動を繰り返すが、上から垂れてくるマールの流した血だまりを見つけると、蟲どもはそこに集まり大人しくなる。



 「ラウ!」マールは必死に壁を登る。「ルーアン!」壁の足がかりを見つけると飛び上がり、距離を稼ぐ。しかしグロウムは八脚を器用に動かし、まるで平地を歩くかのようにどんどん遠ざかっていく。

 「ルーアンどこだ!」彼女は諦めずに身体を動かす。引き裂かれた腿から血が噴き出し、動きを鈍らせる。

 「ルーアン!」彼女は何度も叫ぶ。

 「ここだ!マール!」ルーアンの呼ぶ声が遠ざかっていく。握力がなくなり、尖った壁に膝がすり切れる。血で滑り、かなり下まで滑り落ちてしまう。それでも彼女は何とか岩肌で身を留めると、苦悶の表情で再度登りはじめる。爪の先からも血が流れ、腿が引きつり、ほとんど上へ進めなくなってしまう。

 「ルーアン!」それでもマールは叫ぶ。「・・ここだ!」ルーアンの声がさらに遠ざかる。彼女は全身に力を込め登り続ける。

 「ルーアン。」ルーアン。返事が聞こえなくなる。彼女は首をもたげる。「・・ラウくん。」顔を歪め、汗に混じって一粒の涙が流れる。悔しさが彼女の涙腺を緩める。その弱さがさらなる悔しさを呼ぶが、彼女はぐっと堪え、もう一度顔を上げ、再び登りはじめる。

 すると、ぎゅ!という奇妙な音が上方で聞こえる。そうかと思えば脚をすぼめたグロウムが落ちてきて、彼女の隣をすり抜け、下方でべちゃりという音を立てる。

 「どういうことだ!?」マールは気力だけで四肢に力を込める。下方では大蜘蛛の死骸を見つけ、群がるドレッガーどもがカナカナと音を立てる。

 「ラウ!」彼女は叫ぶが返事がない。「ルーアン!」ラウが眼を醒まし蜘蛛を打ち倒したとすれば、必ず返事が返ってくるはずだ。

 「ラウ!ラウくん!ルーアン!どこだ!?」必死で叫び続ける。

 「・・・・ここだ。」

 すると、間を空けて、ルーアンの声が聞こえる。しかしその声は奇妙にもかなり近くで聞こえてくる。

 不意に壁から腕が伸びて来て、肩を掴まれる。必死で上を目指していた彼女には、すぐ側の亀裂に横穴が広がっていたことに、気がつかずにいたのだ。

 「なんだとっ!?」さらに強い力で腕を掴まれ穴に引き寄せられる。地面に転がると同時に、素早く蓮の剣を抜刀する。

 マリクリアの明かりのなかで、男の背中が見える。魔兵ではない。人間のようだ。そして、その奥でラウが倒れているのが見える。目を瞑るラウの、僅かに動く胸の運動が彼の無事を知らせてくれる。それでもマールは緊張を緩めない。ラウと自分の間に立ち、こちらに背を向ける謎の男に神経を尖らせる。

 「何者だ?」彼女は逸る気持ちを押さえ、低い声で問いかける。男がそのままラウに近付くものなら、誰だろうと切り伏せててやる。彼女は男に殺気を放つ。

 「・・そういきり立つな。白ツバメよ。」

 男が口を開く。声色からしてそう若くはないことが分かる。男は彼女の放つ殺気に気付いているが微動だにせず、じっと佇んでいる。

 「まるで春先の母猫のようだぞ。」そう言うと、男はゆっくりと両手を上げる。それでもマールは気を緩めない。降参の姿勢をとってはいるが、男がそんなことでは、なんら不利にならないほどの達人だということが彼女にはわかる。

 「振り向いて良いかな?・・それとも、このまま別のグロウムを待ち、三人仲良く血を吸われるのを待つのか?」

 「・・ゆっくりだ。」マールが声を張る。「そのままゆっくり振り向け。」

 男が指示通りに、緩慢に身体を傾ける。マリクリアの光がその姿を映し出す。白髪交じりのぼさぼさの髪。かなり年寄りだが背筋は伸びている。両腕の筋肉は張りつめ、独特の鎧と、何やら見慣れぬ装飾を身に付け、右眼をぼろ布で覆っている。

 「あなたは!?」マールの直感が記憶を呼び覚ます。

 隻眼の鋭い目つき。一度見かけた程度だが、忘れもしない。

 「バイゼル様・・?」マールがそう言うと、男がこくりと小さく頷く。



 「・・そんなはずはない。」マールは目の前に確かに存在する、老ストライダを目の当たりにしてもなお信じられない。剣を向けたその両腕に神経を注ぎ、不審な動きをしたら斬りかかるつもりでいる。

 バイゼルと思しき男は、明らかな彼女のその殺気を知りつつも、両手を挙げ、黙って彼女の判断を待っている。

 炎に飛び込み魔兵と共に消えたストライダ。後に知った、ベラゴアルド最強のストライダ。しかし、そんなはずはない。バイゼルとブライバス、二人が魔兵を退きながら、魔窟の奥底に消えたのは二年も前の出来事だ。

 男が静かに腕を下げはじめる。マールはそれを黙認するが未だ警戒は緩めない。

 「無理もないな。白ツバメよ。」老ストライダが口を開く。

 「たとえ事情を説明しても、にわかに信じ難い話ではあるからな。」

 そうして、バイゼルは踏み込む様子も見せずに不意に距離を詰めてくる。何の脈略も気配も見せず、彼女の剣を持つその両手を掴んでいる。

 「・・だが、まずは、その刃をしまってもらわねば、どうしても先へは進めまい。」

 そう言うと、彼の両手はあたかも彼女の手助けをするよう、導くようにして、その剣をするりと彼女の腰元の鞘に収める。

 マールは声も出せない。奇妙なことに、驚きも警戒心もなく、剣を収めたままでいる。それがこの常軌を逸した場面での、ごく自然な動作であるようにさえ感じている。


−その3へ続く−


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