戦乱の鋒 −その7−妖精の国
竜の仔の物語 −第四章|三節|−戦乱の鋒
−その7−妖精の国
ラウとルグは藪の中に入っていく。肩まである野草を分け入ると、ルーアンにしゃがむよう指示される。言われたように膝を突くと、藪の中に横穴が見える。一見、兎の通り道のようでもあるが、繊細に草を編み込んだ小さな隧道は、その具合からも誰かしらの手が加えられていることは明らかだ。
「狭いな、入れるかな。」ラウが穴に顔を入れる。ぎゅうぎゅうではあるが、通れない程でもない。
「なつかしぃ!」ファフニンが待ちきれずに先行して飛んでいく。二人は肩を揺すり、何とかにじり進んで行く。すると穴は次第に広がり、膝を付いて進めるようになり、気がつけば立ち上がっても頭をぶつけないほどになる。
「大丈夫かよ。」進むにつれて前を行くラウのツノが光りはじめる。ルグの狼の感覚でも、そこがただの草の隧道でないことが分かる。
「心配するな。妖精の国とは、ある意味ベラゴアルドで最も安全な場所かもしれん。」ルーアンがそう言う間にも、視界が開けてくる。
「すげえ!」ラウが声を上げる。目の前には一本の歪なこぶだらけの樫の古木を中心に、高い天井のように広がる枝が空間を丸ごと包み込んでいる。萌える葉の隙間からは、各所に柔らかい木漏れ陽を落とし、太い枝や幹には小窓が組み込まれ、その巨木だけでかなりの人数を収容できるほどの、大きな城のようになっていることがわかる。
「なんだよここ。」ルグが辺りに繁茂する、見たこともない草花を珍しげに眺める。柔らかい地面を歩く度に、ふかりと踏みしめた草がゆっくりと起き上がり、元の形に戻って行く。
「ねぇ、きれいでしょ?」近くで声がするので振り向くと、奇妙な服装の少女が立っている。「フリセラにも見せたかったよねぇ。」そう言い二人に笑いかける。
「誰?」
「ええ!?」不穏げな顔をするルグの隣で、ラウが声を上げる。「ファフ!なんで大きくなってるんだ!?」そんなことを言う。
「え、うそだろ。」ルグが目の前の少女をまじまじと眺める。露出の多い全身緑色の服を着た少女は、彼の視線に照れくさそうに頬を膨らます。
「あんまりみないでよぉ、ルグ。恥ずかしいよぉ。」そう言いながら膝を折ると、少女はふにゃりと柔らかな四枚羽を背中から広げる。
「ほんとだ!ファフだ!」その様子にルグが目を丸くする。「てことは・・、」ラウと顔を見合わせる。
「おれたちが小さくなったんだ!」そう叫び、二人は互いの身体を叩き合う。それから彼らは、改めて自分たちと同じような背丈になったファフニンと、その背後にそびえる樫の巨木を見つめる。
◇
ファフニンの案内で、中心にそびえる樫の城へと近づいていく。根方まで近づくと、木肌に埋め込まれた小窓から妖精たちが顔を出す。皆、似ているがどことなく違っていて、ラウが手を振ると怯えた顔で首を引っ込ませ、ぴしゃりと鎧戸まで閉めてしまう。
「みんな臆病だからねぇ。」
のんびり肩を並べて歩くファフニンに、ルグが眉を寄せる。「なんか、変な感じだよな。」
「ねー、ぼくも変な感じ。」等身大となった妖精は、気まぐれにルグの頬をつねり、引き延ばす。「ルグにこぉーんなこと出来るのも、この国だけだもんねぇ。」
それを見ていた窓辺の妖精たちが叫び声を上げる。
「雷獣にそんなことをする妖精など、ファフ、お前くらいだぞ。」ルーアンが言う。
「けど、ルーアンは変わんないんだな。」ラウが左耳の黄玉をぴんと弾く。「いまは、麦粒よりも小っさいってことだよな。」
そうこうしているうちに、うろの大きな扉が開く。そこから同じ顔つきの妖精たちが三名ほど歩いてくる。それぞれ飾りを身につけていて、他の妖精たちとは少しだけ違って見えなくもない。
「ルーアン様。お帰りなさいませ。」先頭の朱い額飾りを付けた妖精がお辞儀をする。
「うむ。皆、変わりはないようだな。」ルーアンが慇懃に言う。
「それから、ファフも。」隣の青い飾りの妖精が微笑む。
「みんな元気だったぁ!」ファフニンが先頭の者に抱きつく。「紹介するね、この子がファルニフ、この子がフニキスとキミファロ。」この国をまとめる三妖精だと紹介する。
「なんか、名前も似てないか?」正直、誰が誰だがわかんないよ。ルグが頭を掻く。それでもルグにもファフニンだけは見分けがつくので、やはりドワーフと同じように、親しくなれば見分けられるようになるのだろう。
「ルグ、お前は馬をどうやって見分ける?」首をひねるルグに、ルーアンが言う。
「そりゃ、毛並みとか、大きさとかかな。」
「犬は?」
「何言ってんだよ、犬なんてそれぞれ顔が全然違うだろ?」
「つまり、そういうものだ。誰しも、自分と近しい者から認識していくものなのだ。」
「そうかな?妖精たちはみんな全然似てないぜ。」やはり違いが分かるラウの様子に、ルグが顔をしかめる。「ラウが特別なんだよ。」
「ふふっ、ぼくたちからしてみたら、人間族のほうがよっぽど同じに見えますよ。」先頭の妖精が言う。
「・・えと、フニキス?」それぞれ違う形状の飾りを身に付けている妖精たちを見て、ルグは辛うじて判断していく。
「じゃあ、ファフも、ラームのみんなのこと、誰が誰だか分からなかったりするのか?」ラウが素朴な疑問を投げかける。「メッツとドンムゴの違いも分かんなかったりしてな。」ルグがきししと笑う。
「ううん。」ファフニンは首を振る。「そんなことないよぉ。人間も妖精も馬も犬も、ぼくはみんな見分けがつくよぉ。」
「ファフだけは特別なのだ。」ルーアンが言う。「ラウと同じようにな。」
「やだなぁ、ぼくはただの妖精だよぉ。」ファフニンはそう言うが、ルーアンはおろか他の妖精たちはそれに同意する様子を見せない。
「え、あれ?・・みんなどうしたの?」ファフニンだけがさらに首を傾げる。
「それより、さあ、中へお入りください。」
彼らは妖精たち促され、樫の内部へと招じられていく。
◇
二人は樫の根方の扉から中へ入る。想像通り中はくり抜かれた空洞になっていて、所々上のほうまで部屋が無数点在し、中心には心材を巧みに利用したふうに、滑らかな螺旋の柱が通っている。
階段は無く、見上げればごく自然に妖精たちが飛びかい、他の種族だと思いきやただの虫たちも数多く見られる。所々に灯った明かりも、よく見ればそれは蛍の発光である。虫たちはみな大人しく、妖精たちと共存関係にあることがわかる。あまりに想像通りのお伽噺のようなその風景に、ひと目みれば誰にでもそこがベラゴアルドに点在する普通の国や街ではなく、妖精の住処だということが一目瞭然である。
客間に通された二人は、葉で折り込まれた椅子に座る。部屋の調度品の大概が葉や蔓や花の種で出来ているが、なかには人間の落としたであろう古ぼけたボタンや釘や糸くずなどを利用して拵えられた物もある。
それらを物珍しげに眺めていると、一匹の逆さまになった大きなスカラベが後ろ脚でこれまた大きな丸い殻を運んでくる。
「ごちそうだぁ!」それを見たファフニンが嬉々として立ち上がる。
「クルミ?」ラウが表皮に触れてみる。クルミに似てはいるが、その殻は緑色をしていて、まだ食べられるほどには乾燥してはいないように見える。
「これはヤーヤーの実です。人間族はポルミロと呼んでいるそうですが、それは正確な呼び名ではありません。」おそらくだがキミファロがそう言い、「凄く美味しいんだよ。」ファフニンが続ける。
「ヤーヤーの果実の中には、ポルミロという見えない小さな妖精の一種が共生しています。」そう言うのはファルニフ。ポルミロは別の生命に食べられることによって精霊の粒となり、大気に散り、その果実を増やしていくのだそう。
「そんなことより、どうやって食べるんだ?」ルグがその堅い表皮を指でかじってみる。
「ふふ。ヤーヤーの殻はすごく堅いんだよ。」ファフニンが笑う。それから実に身体をぴったりと付け、「もう食べられるのかなぁ。どうかなぁ。」そんなことを囁き続ける。
「何してるんだ?」ラウが首をひねる。
「ポルミロの声を聞き、お願いしているです。食べられる実であれば、ポルミロが自ら殻を割ってくれます。」フニキスが言う。
「やってみる?」ファフニンは二人の手を取り、実に近づけさせる。彼らは半信半疑で殻に耳を澄ます。殻の中からはポクポクと泡が弾けるような音がしている。
「なぁ、ポルミロ、食べていいか?」ルグがやる気のない声を出す。
「だめだめ、もっと心を込めて、食べたいっていう気持ちを伝えなきゃ!」ファフニンがそう言うので、ラウが真剣な顔になる。
「ポルミロ、お願い、きみを食べさせて。」それだけで殻が音を立て、一面に亀裂が走る。硬い表皮が卵のように簡単に崩れ落ち、白く輝く茘枝(レイシ)の実によく似た果実がみずみずしく震える。
「すごぉい!真っ白!」それを見たファフニンが感動する。
他の妖精がこぞって説明してくれる。ポルミロに願いが届けば届くほど、果実は白くなる。逆にあまり歓迎されないと、緑色になる。どちらも味の良い果実に違いはないが、白いほうはより味も香りも栄養分も段違いで、精霊の加護も付与されるのだそう。
その証拠に、ラウもルグもその芳醇な香りに涎が止めどなく流れ、待ちきれずに一気にかぶりつく。一心不乱に囓り、そこにファフニンも加わる。もともと行儀も何もない二人とおてんば妖精だが、声も漏らすことなく夢中で食べ続ける。その味は、甘みはもちろん酸味も絶妙で、どの果実にも似ていない。鼻から抜ける香りは確かに茘枝にも似ているが、カモミィルのような和らぐ香りだけが鼻腔にこびりつき、後頭部をじんわり温かく痺れさせる。
「これだけの輝きならば、ポルミロの加護も相当なものでしょう。」他の妖精たちが微笑み合う。
「うまい!」「ガラレアよりもずっとうまい!」「おいしぃねぇ。」全てを平らげた彼らが満面の笑みを浮かべる。
「・・さて。準備は万全といったところだな。」
そうして、すっかり満腹になった彼らが落ち着いた所で、ルーアンが口を開く。「そろそろ本題に入ろうではないか。」
◇
「ファルニフ。琥珀に変わりはないだろうな。」
「もちろんです。」妖精たちは腹を満たし満足げ座り込む二人を促し、さっそく部屋を出て行く。すでに船を漕ぐファフニンはフニキスに抱き起こされ、眠りながら後に続く。
「これは千年樫?」ラウがくり抜かれた木肌の壁を触る。
「はい。太古の森でない場所に立つ、唯一の千年樫です。」ファルニフが言う。千年樫はあらゆる妖精や精霊が宿る魔法の樹である。妖精の間ではそれは“セオの肋”とも呼ばれているという。
「あばら?」ラウが訊ねる。
「はい。世界が終わる時、セオが反転し、この樹に妖精達を閉じ込め、次の世界に備えると言われております。」
「いや、意味わかんないし。」ルグが舌を出す。
「ルーアンは何か知ってるのか?」ラウが真面目に訊ねる。
「うむ。記憶は曖昧だ。なにせ、前の世界が滅んだのは、何万年も前の出来事だからな。」簡単に言うルーアンに、ラウが考え込む。
「じゃあ、セオは実在する?」
「うむ。おおね神話通りだ。次にセオがやって来る時は、このベラゴアルドが燃やし尽くすされる時であろう。」
「神話?なにそれ。」やはりルグはこう言う場面では関心なさげである。
「や、そんなことよりも、使命を果たそうではないか。」ルーアンが話を切り上げる。「ラームにはそう時間はないのだぞ。」
「なぁんか。ルーアンとぼけてるよなぁ。」鼻白むルグ。
「そういえば、ここに妖精以外の者が訪れたのは、アリアトたち以来ですね。」少し間を空けて、フニキスが口を開く。
「そうね。ふふ。懐かしい。」キミファロが眼を細め、螺旋の柱を見上げる。
「あ、ねえ、アリアト行方知らずになっちゃったって聞いたけど。きみたちは何か知らない?」ラウが訊ねる。
「そうなのですか?アリアトが?」ファルニフが驚く。「すみません。ぼくたちは何も知りません。妖精は通常、国を出るような危険は冒しませんので。」キミファロが困り顔で答える。
「アリアトのことだ。何か考えがあってのことだろう。」ルーアンが言う。「なにせ、あやつはベラゴアルド随一の大魔法使いだからな。」
「あの若き魔法使いが、ですか?」妖精たちが首を傾げる。
「忘れたか?人間族は短命なのだ。オイノスはだいぶ前に死者の国だそうだ。」
「まあ、あのオイノスが。では、マイナリシアは?」
「あれはまだベラゴアルドだ。」
「ずいぶん年寄りになってるけどね。」「あの婆さん、寝てばっかだよな。」ラウとルグが笑いあう。
「信じられません。あの可愛いマイナが老いるなんて。」キミファロが妖精独特の価値観で呆然とする。「キミファはマイナと特に仲がよかったものね。」他の妖精が慰めはじめる。
「なあ、もう良いだろう?」そこにルーアンが割って入る。「話は尽きぬだろうが、あまり時間がないのだ。」何度となく話が脱線し、いい加減、ラウもルグも妖精たちまでもが反省する。
そうして、改めて皆は螺旋の上を見上げる。くり抜いた樫の真ん中で、芯のようにそびえる螺旋の柱は天辺で傘のように広がり、その先は見えない。
「アリアトは自力で登りましたけど・・、」フニキスが二人を見る。
「よじ登ろうか。」ルグがそう言うと、ラウの背中から翼が広がる。
「えっ!すげえ!」ルグは驚くが、得意げに鼻を鳴らすラウに、むくむくと対抗心を燃やし、「じゃあおれもっ!」彼も銀狼に変わると、早速飛び上がり、螺旋の柱を蹴り込む。宙に風の壁を作ってはさらに蹴り、ぐんぐん上へと進んでいく。
負けじとラウも翼を広げ、羽ばたきではなく、翼の先端から虹色の波動を飛ばし、垂直に天井まで飛び上がる。
「お前、いつの間にそんな竜の力を。」ルーアンが驚く間に、天辺に広がる足場に着地する。
「なんだか、身体の調子がいいな。」ルグはすでに到着し、人間の姿に戻っている。「少しの風の流れだけで、強い力を操れるみたい。」
「それはポルミロがさっそく精霊を放っているためでしょう。」眠るファフニンの抱え、後を追ってきたファルニフたちが教えてくれる。
そうして二人は螺旋の台座に、木の根が編み込まれるふうにして絡み合う、巨大な琥珀の塊を見つめる。
◇
「これは、我がベラゴアルドに旅立つ前に、依り代にしていた琥珀だ。」ルーアンが低い声で言う。
「元は“スラヴニリルの琥珀”。我らはそう呼んでいた。」
「え、それって、確か。」ラウの顔が険しくなる。
「そうだ。大戦でベラゴアルドに舞い降りた三竜のうちの一体、鉱竜(あらがねりゅう)スラヴニリルだ。」琥珀の奥をみて見ろ。ルーアンに促されるままに彼らは琥珀に近づき、その飴色の淀みの奥を見つめる。
「見えた。大きな竜の頭だ。」ルグがごくりと唾を吞む。琥珀の奥に竜の頭が閉じ込められている。それはラウが出会ったリンドヴルムと違い、ツノの数は三本で、容姿もかなり違う。
「死んじゃってるのか?」ラウが訊ねる。
「うむ。完全に絶命している。・・この頭はな。」ルーアンが意味深な答え方をする。
「大戦でスラヴニリル様はぼくたちを護ってくれました。」ファルニフが言う。「しかし、スラヴニリル様は、その特性のために、人間にも、闇の勢力にも同時に狙われてしまいました。」
「人間に?」ラウが眉を寄せる。
「そうです。」「人間族はスラヴニリル様の特殊な力を独り占めしようとして、灼竜(しゃくりゅう)バハムルトの怒りを買い、」「多くの大地とともに焼かれていきました。」「それを切っ掛けとして、ベラゴアルド全土に大戦が飛び火しました。」フニキスとキミファロが交互に答える。
「どこかで聞いたことのある話ではないか?」ルーアンがそう言うと、「うん。まるで、マドゥーラとリンドヴルムを利用した、フラバンジ帝国みたいだ。」ラウが直感的に答える。
「焼かれたって、じゃあ結局、誰がスラヴニリルを倒したんだ?」と、ルグの質問。
「戦神ザンダレイ・ザッパ。お前達も魔窟でその爪痕を見ただろう。」ルーアンがそう言うと、今度はファルニフが続ける。
「スラヴニリル様は戦神の天を突くほどの巨大な大剣のひと太刀で、その首を切り落とされました。」妖精たちはまるで三つ子のように交互に話す。
「っていうかさ。ルーアンやっぱり記憶取り戻したんだな。」ルグが口を尖らす。
「うむ。以前よりはな。」我の過ごした茫漠な時間と記憶は、言葉では説明し難いのだ。ルーアンが抑揚なくそう続ける。
「この琥珀が依り代だったって・・、」ラウが複雑な顔つきをする。「もしかして、ルーアンのもと身体が、スラヴニリルだったってことか?」
「いや、そういう話ではない。」ルーアンはきっぱりと否定する。
「切り落とされたスラヴニリル様のその首からは、血ではなく、ものすごい量の蜜が吹き出てきました。」
それはすぐに固まり琥珀となった。妖精たちが説明を続ける。
「そうして、その栄養を吸い、小さな苗だった千年樫は急成長し、この魔法で覆われ、人間たちが立ち入ることのできない、この妖精の国ができました。」
「以来、ぼくたちは人間たちに見つかることもなく、平和に過ごせるようになったのです。」
「それで?ルーアンはこれを見せて、どうするつもりなんだ?おれたちが探しに来たのは、ストライダたちの武器なんだろ?」ルグが琥珀の奥を不思議そうに見つめる。「この首が武器になるとか?」
すると三妖精たちは眠るファフニンを見つめる。皆の注目に気付いたのか、ファフニンはのんびりと大きな欠伸とともに起き上がる。
「ああ、よくねたぁ。」目を擦り皆を見渡す。「ねえ、ヤーヤーの実もうないの?」
「食いしんぼうなのね。もう十分でしょう?」ファルニフが笑う。「いや、もしかしたら、もっと食べたほうがいいのかも。」「ヤーヤーの実がファフに力を与えることは間違いないからですから。」フニキスとキミファロが言い合う。
そんな妖精たちのやり取りを、ラウたちはきょとりと見つめる。
「ちゃんと分かるように説明してくれよな。」ルグが口を尖らせる。
◇
「ねえ、ファフは産まれた時のことを憶えている?」ファルニフがそう問いかける。
「んー。憶えてないけど、ぼくもみんなと同じように、花から産まれたんでしょ。」ファフニンが不審な顔を向ける。「・・なんで?」さすがに仲間たちの態度から、ファフニンも何事かを感じ取った様子。
「それはそうなのだけれど。」三妖精たちが口々に語り始める。
妖精は花から産まれる。花の花弁に精霊が取り憑き、花弁が開くと同時に眼を醒ます。
「この樫の中心、螺旋の続く真下に、ファフ、あなたは咲きました。」「そうそう、今でも忘れない。」「ファフ可愛かったよねぇ。」妖精たちがうっとりと言い合う。
「それで?」しかしのんびり屋のファフニンらしからず、話の先をせがむ。
「スラヴニリル様の琥珀は、時折溶け出し、この台座から螺旋を伝い、芽吹いたあなたに栄養を与え続けたの。」「あなたの根はそれを吸収し、ぐんぐん伸びて、誰よりも大きくみずみずしい花弁を付けたんだよ。」「つまりファフ、あなたは鉱竜様の密を吸って産まれたの。」
「それで?」それでもファフニンには話の先が分からない様子。「だからぼくはみんなとどう違うの?」
「つまりファフ。お前は、妖精ではあるが、スラヴニリルの子でもあるという話だ。」最後にルーアンがそう結ぶ。
「・・え、じゃあ、ぼくは・・、」
「じゃあファフもドラゴンなんだ!」ファフニンの言葉を待たずにラウが声を上げる。ぼんやりとする妖精のその手を取り、嬉しそうに笑う。「おれと仲間ってことなんだ!」
「ファフは産まれた時から、訳もなく外の世界に出たがりました。」「記憶を失ったルーアン様と同じように。」「けれど、ぼくたちはそれがどういうことなのか理解出来ずにいました。」三妖精が交互に話す。
「しかし、二千年前。」「ルーアン様が時空の彼方でアリアトを救い、さらなる記憶を失う前に言い残した言葉。」「その言葉でぼくたちはファフが特別だということを知ったのです。」
“今から二千年の後に、我はキリンを連れてここへ戻るだろう”
「そして、その時になれば、ファフニンは本当の姿を取り戻すだろう。」ルーアンがその時の言葉を反復する。「すっかり忘れていたぞ。」
「・・キリン。」ラウが言う。「リンドヴルムもおれのことをキリンって呼んでた。」
「うむ。お前はキリン。歴史に記されることのない、最初で最後の導竜(しるべりゅう)なのだ。」ルーアンが奇妙な言い回しで答える。
「最初で、最後?」聞きたいことは沢山ある。きっと今のルーアンは自分の正体を何か知っているんだ。ラウはそう思うが、今はともかくファフニンに注視する。その妖精も自分と同じく、自分の正体を知りたがっているに違いないからだ。
「ぼくがドラゴン?」ファフニンは放心して皆を見渡す。「ただの妖精じゃないの?」その顔は少しだけ寂しげに見える。
「うむ。お前は妖精でありながら、鉱竜の力を受け継いだ者なのだ。」ルーアンが静かに答える。
「我とお前が旅立ったのも、その旅路も、すべてが運命付けられたことだったのだ。」
「けど、ぼくにはそんな力はないよ。」
「いいえ、ファフ。あなたにはその力があります。」ファルニフが優しく言う。「この数千年の間、あなたは無意識に、ドラゴンの片鱗を見せたことが何度かあります。」フニキスが続け、「それは決まって、あなたがヤーヤーの実を食べ、眠り込んだ時に限ったことでした。」キミファロが言葉を結ぶ。
「ぼくが、ドラゴン?」
ファフニンは立ち上がり、琥珀の奥を見つめる。スラヴニリルの頭部は何も語らず、時折揺らぐ木漏れ陽を受け、その特殊な目玉やツノを光らせている。
−その8へ続く−
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