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込めたるは祈りにあらず |九|

判断


 アギレラは眠り続けるレモロを抱いて山脈を登り、見晴らしの良い平地で野営を張る。

 キャリコらとは、孤児院の先の坂道で別れた。スミッチへの後始末は二人に任せ、ひとまず彼がレモロを引き取る運びとなったのだ。
 金鷹までの猶予。キャリコが提案した折衷案はそれだった。三つの季節が過ぎるまでには、必ずアムストリスモを説得し、レモロを引き取らせる。そう胸を張るキャリコをひとまず信じ、アギレラは孤児院が燃え尽きるのを待たずにスミッチから遠ざかった。急いだのは、いち早く子どもをこの土地から遠ざけてやりたかったからだ。

 ともあれ。

 薪をくべ、道中捕まえた二匹の ダイオウイワリスの皮をむしりつつ、アギレラは考える。

 孤児院の子どもらは手遅れではあったが、成し得る限りの務めは、こなせたとしよう。
 それにしてもキャリコ、あの変わり者が実戦で役立ったかどうかは甚だ怪しい。杖を持たぬ魔法使いに、縦にも横にもでかい女従者。ずいぶん奇妙な二人組だった。そういえば、伝説の六神器の何かを探していると話してもいたが、あれも何かの方便であろう。全く真意の汲めぬ男であったが、嘘を吐くような奴ではなさそうだ。ジャポもいることだし、この後の対応もそう無碍にはなるまい。

 アギレラは単純にそう考え、掛け値もなしに他人を信用する。そしてその信用は大概当たっていて、今回もその事例としては外れることはなく、だがその証明はずっと後に成される。彼は迷った時、最終的にはひとつの規範に従って行動する。つまり、“信じる”という規範だ。それは誰に教えられたものでもなく、経験で身につけたわけでもない。生来からの性分。世には他人を出し抜き暮らしを立てる者が多分にいることを承知し、その性分を師には弱点だと指摘されつつ、彼は飽くことなく他人を信じ、進み続ける。

 ともあれ、今の彼は己の夕げに気を取られている。皮を剥ぎ内臓を取り出したリスに枝を突き刺し、それを火の側の地面に刺している。しばらく待ち、皮の焦げる音だけに注視する。頃合いを見て塩を振り、まるで脂気のないぱさついたそれを丈夫な歯で噛み千切ると、彼の思考は別の方向に移る。

 スミッチに戻ることはないが、成り行きとはいえ、報酬の交渉さえせずに村を去り、ストライダとしての矜持を欠いてしまったのはいささか口惜しい。
 魔の危険を警告し、地域、共同体での備えを促す。それがベラゴアルドの監視者たる我らの大きな役割でもある。安くはない代償をあえて要求するのはそのためだ。
 いづれにしろ、村を襲った厄災は、ありふれた魔物の仕業ではなく、吸血鬼だったのだ。被害が村はずれの孤児院だけで済んだのだと、良い方向に考えることもできる。

「いや、そんなに簡単な話でもねぇ…」思わず声に出して訂正する

 確かに現状だけみれば、村の営みに打撃はないが、その揺り返しは計り知れぬ。村の者たちはまだ吸血鬼どもの恐ろしさをさして実感してはいない。違い子の孤児とはいえ、子どもが皆殺しにあったのだ。それも、人に化け潜伏していた怪物にだ。それが子を持つ親にとって、どれほどの恐怖か。

 恐怖は疑念を生み、疑念が暴力を生む。これからスミッチは隣人を疑うだろう。少しでも規範に従わぬ者を私刑に処するだろう。だから吸血鬼は手強い。

 そんな思いに耽るさ中、ようやく子どもが目を覚ます。


 子供は、黙ったままに半身を起こし、じっと目の前の火をみつめる。
「名は知っている。レモロだな」
 声を掛ければ、うつむく顔をこくりと沈める。
「お前は孤児院の下男と、野良仕事に出ていた」
 もう一度頷く。
「六日前、お前は妙な帽子の男とすれ違った。覚えているか? 手品を見せた男だ」
 質問しながら、アギレラは温めていた豆のスープを渡す。レモロはそれを受け取ると、躊躇いなく口に運び、咳き込みながら少しずつ嚥下する。

「その手品男が、孤児院の異変に気づき、このおれが来た」

 少し待ち、子どもが頷いたのを確認し、アギレラは続ける。

 邪なる吸血鬼の存在。その意志に賛同した咒師と、洗脳されたイーゴーの関係。人間に化ける低級吸血鬼スメアニフ。そいつらに取って変わられたモニーンと子どもたち。そして、自分がそういった邪悪な化け物を狩る、駆ける者ストライダであるという事実。
 彼は事のあらましを説明する。決して子供扱いはせず、はっきりと現実を突きつける。

「イーゴーはもう戻らん。咒師もモニーンも、共に育った皆もだ」

 スープから目を逸らさず、やはりレモロは頷くだけである。

「意味はわかるな?」アギレラは淡々と語りかける。
「ひとまず厄災は過ぎ去った。だがこれで安全、てなわけにゃあいかん。だからおれはお前に真実を話している。真実ってのは、たいがい残酷なもんだがな、進まなくちゃならん」

 ただ頷くばかり子どもに、彼が不信感を抱くことはない。惨劇を生き延びた子どもが無反応でいる場面は、決してはじめてではないからだ。
 それに輪をかけ、違い子で、孤児で、今となっては魔に触れた亞憑き。計り知れぬ不幸を背負った子だからこそ、アギレラは図らずも、余計に多弁となってしまう。

「お前はまだ幼い。誰か面倒を見てくれる大人が必要だ。そこでおれには、ナロンという町にちょっとしたツテがある。子どもの面倒を見るのが得意な老夫婦だ。少しの間になるかもしれんが、お前は彼らのもとで過ごすことになる」
 やはり頷くだけの子に構わず、どこかで自身を納得させるふうに旅の計画を伝える。

「ここからずっと北になる。旅はお前にとっちゃ過酷になるだろうが、お前は、お前の足で歩かにゃならん。そしてその先で辿り着く土地で、お前はやり直さにゃならん。なに、そう心配するほどでもない。遠くの土地ならば、お前のことは誰も知らん。誰も知らないというのは、そう悪いことでもない。何者でもないなら、何者にもなれるからな」

 だが、気になることは多々ある。もっとも重要なのは、なぜこの子だけが吸血鬼どもに喰われなかったかだ。

(弱者だとなぜわかる?)

 話しながら彼は師の言葉を思い出している。それは、煙る孤児院の先の林で、キャリコが放った言葉でもある。(強い意志を持ち、自ら決めたことかもしれない)続いてキャリコをそう続け、師はこう吐き捨てた。

(手を差し伸べるのなら、せいぜい指を食いちぎられんことだ)

「だが、信じねば」アギレラは、うつむくレモロの見つめながら、過去に反論する。

「…略奪者だといっていた」

 呟くように続ければ、レモロがようやく顔を上げる。

「…孤児院の男、イーゴーだったな。奴が、おれたちのことをそんなふうに呼び、殺してやると叫んでいるのを聞いた。レモロよ、もしお前がイーゴーと同じように感じ、激しい怒りを抱いている。そして、それが吸血鬼にではなく、このおれに対してであるのなら、それはそれで構わん。…しかしな、これだけは覚えておけ」
少し間を置き、静かに続ける。

「人が人を信じねば、世界は闇だ」

 この言葉にはレモロは頷きはしない。
 無理もない。一度に全てを伝えようと焦ってしまうのは悪い癖だ。つい説教じみてしまう己をアギレラは自省する。

 そうして彼は立ち上がり、焚き火を揉み消す。無表情で見上げる子どもを見下ろし、なるべく安心させるふうに、粒の揃った丈夫な歯を見せる。

「そうと決まれば、日没までには街道に出ねば」

─ 続く ─

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