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「日本昔話再生機構」ものがたり 第5話 浦島太郎の苦悩 12. 存在価値

『浦島太郎の苦悩/11. 煩 悶』からつづく

「タロー君は、キキョウさんに『自分は永久の穴で、いないのも同じだ』と言ったのね」
茜がキキョウの言葉を繰り返した。
「タロー君を穴にしてしまったのは、私なんです。タロー君は、『浦島太郎』を始める前から様子が変だった。始めてからは、すごく苦しそうだった。再生途中に私が緊急避難を申請していたら、タロー君はこんなことにならなかったんです」
キキョウの目に涙が浮かんだ。
 キキョウは、茜の官舎に来ていた。茜から乙女役を引き継ぎ、茜の丁寧で優しい指導を受けたキキョウは、その後も茜と親しい関係を続けていたのだ。

「調子を崩したクローン・キャストの代わりに他のキャストが緊急避難を申請するかどうか? これは難しい問題よ。緊急回収されたキャストが昔話不成立の責任を押し付けられたと思い、申請した仲間を恨むこともある」
「タロー君に限って、そんなことは絶対にありません。いえ、仮にそうなったとしても、私は他の仲間のために申請しなければいけなかった」
キキョウがうつむき、テーブルに涙がこぼれた。

「キキョウさん、あなたが緊急避難を申請して再生中止になった場合でも、タロー君はきっと自分を責めたと思う」
「え?」
キキョウが顔を上げる。
「タロー君が緊急回収されると『浦島太郎』は不成立になる。タロー君のあの性格だと、自分を責めると思う」
茜はタローのことも良く知っていた。
「それは……」
「ねぇ、キキョウさん、あなたが今いちばん心配しているのは、タロー君が自分は無価値だと言って心を閉ざしていることでしょう?緊急避難申請のことはひとまず横に置いて、タロー君のことだけ考えない?」
キキョウがはっとしたように茜を見た。

 茜はキキョウにハンカチを差し出しながら尋ねた。
「キキョウさんは、自分には存在価値がないというタロー君の考えを、どう思う?」
「駆け出しで『その他大勢』役をしていたころは、あまり悩みませんでした。でも、主役が回ってくるようになってからは、失敗すると自分には主役を演じる資格はないと落ち込むようになりました」
「存在価値がないと思ったことは?」
「今のタロー君ほどではありませんが、それに近い気分になったことは、あります」
「そぉ。そういうことがあるのね」

 茜が優しい目でキキョウを見ながら尋ねた。
「キキョウさんは、どうして、そういう気分になるの?」
「それは……」
少し考えてからキキョウが
「私たちクローン・キャストが昔話再生のために作られたからです」
と答えた。
「なるほどね。私も、若かったころは、そう考えていた」
そう言って、茜がキキョウに優しい眼差しを向けてきた。

「キキョウさん、あなたは、自分の身体を感じるでしょ。歩くと、地面から足に返ってくる力を感じる。物を持ち上げると、その重みを腕に感じる」
「それは、感じますけど」
「あなたは、色々なことを思うでしょ。今は、タロー君のことが心配でたまらない。『浦島太郎』を一緒に演じた仲間には気兼ねしている」
「え、えぇ」
「それって、あなたがラムネ星人に作られたクローン人間だってことと関係があるの? あなたが自分の身体を感じ自分の心を持っているのは、ラムネ星人が、あなたをそういう風にプログラムしたからかしら? 私は、違うと思う。私たちが自分で自分の身体を感じ、自分で自分の心を持っているのだと、私は思っている」
キキョウが驚いた顔で茜を見た。

「キキョウさん、私にとっては、自分がどんな成り行きでこの世に出てきたかなんて、どうでもいいの。こうして私の身体を感じ、私の心を持っている――そのことの方が、ずっと重い
茜がいつもの茜とはまるで違った強い口調で言い切った。
昔話再生に私たちの存在価値があるなんて、ラムネ星人と地球人の都合でしょ。私の存在価値を、そんな他人の都合で決められるなんて、真っ平ごめんだわ。私の存在価値は、私が決める
キキョウが目を丸くして茜を見た。

『第5話 浦島太郎の苦悩 13. 心 棒』につづく