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『守護神 山科アオイ』16. 新薬開発

「現在主流の抗マラリア薬、ACTの主成分アルテミシニンをモデルに、それと代替できる安価な化学合成薬品を創ったんすね」
「アルテミシニンをモデルにしていては、アルテミニシンと同じか、少し上の効き目を持った抗マラリア薬しか作れません」
「それをACTより安く作れれば、目的達成だろ」
アオイが言うと、和倉が首を横に振る。
「私は、ACT よりずっと安く、ACTよりずっと効果のあるクスリを開発したかったのです」
「なんか、欲張りな目標っすねぇ」
コータローが首をすくめる。

 慧子がコータローをにらむ。
「欲張りなんかじゃない。当たり前のことよ。新製品を開発するからには、既存製品に置き換わるだけでなく、それを超えるものを産み出す。それを狙うのでなければ、真の技術者とは言えない」
慧子がコータローから和倉に視線を移す。
「そのとおりです。私は、抗マラリア薬に革命を起こしたかった。そして、私なら出来るという確信があった」
和倉の声に熱がこもる。
コータローがメガネの向こうで目をくるりと回し、アオイは胸の中で「慧子と和倉って、似てるじゃん」とつぶやく。

「アルテミシニンをモデルにしないで、抗マラリア薬の主成分になる物質を見つけられるのですか?」
世津奈が和倉に尋ねる。
「創生ファーマが過去に合成した化学物質を、手当たり次第、マラリア原虫にぶつけて、マラリア原虫を殺せるものを見つけるのです」
「それは、気の遠くなるような作業ですね」
「すべて人手でやっていたら、膨大な時間がかかります。しかし、人間の手でなく機械を使うハイスループットスクリーニング、略してHTSという手法があります。この手法だと、短ければ2、3ヶ月、長くても半年で、数十万種の化学物質のマラリア原虫への効果を確認できます」
「それをやったんだ」
アオイが目を丸くする。

「5年前、帰国してすぐに、HTSで新薬候補の化学物質を探し始めました。3年前からは、AIを用いたドラッグリポジショニング(DR)も探索手段に加えました」
「HTS とAIを用いたDRでは、何が違うの?」
慧子が尋ねる。
「DRは、既存のクスリについて新しい使い道を探るものです。既存薬について、製薬メーカーは、長期間服用した場合の効き目、副作用、遺伝子変化のデータを蓄積しています。AIはこのデータを解析して既存薬の新規用途を予測します」
「HTSより、新薬候補にヒットする確率が上がるわけね」
慧子の言葉に和倉がうなずく。

「そして、2年前、既存薬の1つが抗マラリア薬に転用できて、しかもACTを上回る効果が期待できることが分かったのです」
「だけど、製造コストはどうなんすか? 新しいクスリは少量生産でもACTより安く作れないとダメなんすよね」
「その既存薬は大量販売されていて、工場には大規模な生産ラインがあります。抗マラリア薬にするために成分を一部変える必要がありますが、それは、今ある生産ラインの中で対応できます」
「つまり、安く作れる」と、慧子。和倉がうなずく。
「既存のクスリってことは、人間への安全性は確認済みってことすね」
コータローが言う。
「だから、すぐに人間を対象にした臨床試験に入ることができました。これも、DRのメリットです」

「だけど、日本にはマラリアの患者はいないだろ」と、アオイ。
「アフリカで実施する計画が出来ていたのです。創生ファーマは、スラジリア共和国の保健省と友好関係にありました。そこで、3段階の臨床試験をスラジリアで実施することでスラジリア保健省の了解を取り、協力してもらえる患者さん探しも始めていたのです」
「3段階も必要なのか?」
アオイが驚いて尋ねる。
「第1段階では、少数の健康な人にクスリを投与して安全性を確認。第2段階では少数の患者に投与して、有効で安全な投薬量と投薬方法を確認。そして、第3段階で多数の患者に投与して、既存のクスリと比べた場合の有効性と安全性を確認するのです」
「臨床試験を受けてもらう患者さん探しを始めたのは、いつのことですか?」と、世津奈。
「半年前です。それなのに……」
和倉の表情が曇り、目に怒りの色が浮かんだ。

〈「17. 開発中止」につづく〉