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ヘルプデスクの多忙/10. 再び当直交代

  ヘルプキューブ内に
「当直交代まで地球標準時間であと15分」
と、機械音声が流れた。
――もう、そんな時間か……

 『花咲か爺さん』でトラブっていたハヤトは、危険度がオレンジゾーンに突入したので、私の判断で「新人用緊急避難」させた。「昔話成立審査会」の不成立通知を待てなかったことが彼の将来にマイナスに働かないか心配だが、我慢させすぎてトラウマが残り今後のミッションの妨げになっては、もっとマズイ。止むを得ない判断だったと、私は自分を納得させている。

 今回の当直は、現地でトラブルが次々と起こり、目が回るような忙しさだった。
 『舌切り雀』では雀に変身したクローン・キャストたちが親切なお爺さんに御馳走するのだが、物流センターの不手際で私たちの職員食堂のA定食が送られてしまった。
 私は非常事態に現地に飛んでクローン・キャストを支援する「お助け隊」の一員を100年前の日本に送り、そこで持ち帰り寿司を買わせて雀たちに届けさせた。この件は、なんとか成立判定をもらえた。
 『桃太郎』で、桃太郎からもらったキビ団子で犬役とキジ役が食あたりを起こした。「お助け隊」の医療スタッフを派遣したが、鬼ヶ島に乗り込む時間に間に合わず、これは再生不成立。
 鬼ヶ島の鬼を演じるクローン・キャストたちが終了後ただちに次の昔話に派遣されるので、『桃太郎』の再生時間は融通がきかない。〈働き方改革〉で休日の昔話再生が禁じられてから平日が過密スケジュールとなり、少しのトラブルで昔話再生に失敗するケースが増えている。

 他にも、大小さまざまなトラブルが続出。当直交代を前に私は疲れ切っている。実は、今から1時間以内に現地のクローン・キャストから入った「緊急避難」の要請3件を保留にしてある。
 プロジェクト管理部長に申請すると現地キャストのマイナス評価につながりそうで部長に上げられず、かといって頭が疲れてまともな救援策を考えることも出来ず……で、結局保留にしてしまったのだ。残り15分で妙案が浮かぶわけもなく、これは夜勤当直に引き継ぐしかない。

 機械音声のカウントダウンが続き、ついに、当直交代時間が来たことを告げるブザーの音がヘルプキューブ内に鳴り渡った。キューブが下降していくのがわかる。着床し、出入り口が開く。

 「コーイチから引き継ぐなんて、ついてないわね」
ハスキーで低い女性の声が言った。声の方を見ると、香苗先輩だ。おかしい。私の次の当直はシンジ先輩のはずだ。
「シンジが胃炎でダウンして非番に呼び出されただけでもついてないのに、ドジなあんたから引き継ぐとはね」
――なるほど、そういうことか。

 香苗先輩は45歳のはずだが、まだ30そこそこにしか見えない。『浦島太郎』の乙姫、『鉢かつぎ姫』と『一寸法師』の姫など、美人役を専門に演じてきたクローン・キャストだ。時空転移アレルギーを発症してヘルプデスク要員に回ってきた。
 香苗先輩は、クローン・キャスト時代、再生成功率が群を抜いていた。多少のトラブルがあっても、強引に力業で成功に持っていけたのだ。ヘルプデスクに変わっても、トラブル処理成功率はトップクラスだ。それだけに、自分にも他人にも厳しい。

 「あんたのことだから、どうせ引き継ぎ案件があるんでしょ」
「『緊急避難』の要請を3件、保留にしてあります」
香苗先輩が、形の良い眉をひそめる。
「3件も? 情けないわね。現場で宙ぶらりんにされるキャストの身になってごらんなさい。ヘルプデスクの用をなしてないじゃない」
「すみません。疲れた頭で判断して誤るより、次の当直に新鮮な頭で検討してもらおうと思いました」

 「ほら、それだ」
香苗先輩が、軽蔑しきった顔で私を見る。
「あんたは、第一線で働いていたころ、仕事の詰めが甘かった。ヘルプデスクに変わっても、同じ。そうやって中途半端なまま、クローン寿命の終わりを迎えるわけだ」
「お手数おかけして、すみません」
「いいわ、あんたの尻は、私が綺麗に拭ってあげる。場所を変わりなさい」
私はヘルプ・キューブから出る。香苗先輩が流麗な身のこなしでキューブに入っていくのを見守る。

 キューブが上昇し定位置で静止するのを見届け、私はヘルプフロアを後にする。フロアの自動ドアをくぐる時には、香苗先輩から浴びせられた言葉は、頭の中から消え始めている。
――私は、香苗先輩に認めてもらうためにこの仕事をしているのではない。私に出来るベストを尽くし、少しでも仲間のクローン・キャストの助けになるために、この仕事をしているのだ。
 私の頭は、夕食のメニューを考え始めていた。

〈おわり〉