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「日本昔話再生機構」ものがたり 第5話 浦島太郎の苦悩 11. 煩 悶

『第5話 浦島太郎の苦悩 10. 反省』からつづく

 「タロー君、二度とこんなことはしないで」
キキョウが、ベッドわきの椅子からタローにすがるように身を乗り出してきた。
タロー君が自殺を図ったと聞いて、私は駆けつけてタロー君の手を握って、こちらの世界に連れ戻したかった。でも、それが出来なかった。次の昔話再生があった。でも、皆キツキツで回ってるから私の勝手で穴をあけるわけにいかなかった
と言い終えて、キキョウは口に手をあてた。しまったと思ったのだ。

 タローがベッドに目を落とし吐き捨てるように言った。
「スポットの穴でも皆に迷惑なのに、俺は永久に穴なんだよ。こうして息はしてるが、欠員だ。いないも同じだ。だから、この世から消えたかったんだ。なのに、お節介な奴が、こうして俺を助けちまう」
「タロー君、ごめん。私、そんなつもりで言ったのでは」
「俺が空虚な穴だってことは、事実だ。君は事実を指摘しただけだ。謝る必要なんか、ない」
キキョウがうなだれ、黙り込んだ。タローも沈黙を続けた。

 キキョウが立ち上がった。
「タロー君、今日は帰るね。また来るから」
「もう、来なくていい。君も忙しいんだ。ラムネ星にいられる時間はゴミ捨て場で時間をつぶしたりしないで、自分の部屋でゆっくり休んでくれ」
今のタローは自分のコトバがどれほどキキョウを傷つけたかになど、とても気が回る状態になかった。悄然と肩を落とし病室を出て行くキキョウの後姿を見送りもしなかった。

 キキョウを思いやることは出来なかったが、『浦島太郎』を演じたキャストたちの怒りは容易に想像できた。水中で演技をつづけると、ものすごく体力を消耗する。タローも『浦島太郎』を演じた後は、体重が3キロから5キロは落ちる。
 そんな難行苦行を5日も続けてきて、最後の最後で主役に裏切られる。それがどんなことか、駆け出し時代にあまたの昔話で「その他大勢役」を務め、主役の不調やワガママで煮え湯を飲まされてきたタローは、我が身のこととして理解できた
 
 タローは、『浦島太郎』Aチームのメンバーたちから罵られている夢を、一晩に何度も見て、うなされ目を覚ました。タローが今まで苦楽を共にしてきた仲間が、怒りに顔を歪め、ツバをはきかけながら、タローに怒りをぶつけてきた。その中には、キキョウの姿もあった。

 タローは命を絶ちたかった。この世界から跡かたなく消えてしまいたかった。
 しかし、服薬自殺を図ったタローは、ラムネ星人看護師の手ずからクスリを飲まされ、さらに口内に飲み残しがないか点検されるようになっていた。もはや過量服薬で命を絶つのはは不可能だった。窓から飛び降りようにも、この病室には窓がない。病室のドアは内側からは開かず、トイレに行くのにも看護師を呼ばねばならない。
 
 残された自殺の手段は、壁に頭を打ち付け己が脳を破壊するか、枕に顔を埋めて窒息するかだが、それが、タローにはできなかった。死を念じながら、己の肉体を毀損することを恐れ、己の苦痛を恐れる己がいた。タローは、そのような己を嗤った。そして、絶望した。
――俺は、唾棄すべき卑怯者だ。
という思いが、タローの心を凍り付かせた。

 タローは一切口を開かなくなった。担当医の診察を受けるとき、医師の質問の首を縦に振るか横に振るかで答えるだけで、コトバというものを一切発しなくった。
――当たり前だ。

『第5話 浦島太郎の苦悩 12. 存在価値』につづく