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「日本昔話再生機構」ものがたり 第6話 乙女の闘い 3. 危険なデータ

『ヘルプデスク担当・乙女の闘い/2. 八つ当たり』からつづく

 プロジェクト管理部長にコーイチさんの処分を取り消させることが出来る材料を持っている。沙知が思いがけないことを言い出した。
 しかし、プロジェクト管理部長は「日本昔話再生機構」の実質的な支配者だ。高齢で地球連邦政府から天下って来た理事長はお飾りに過ぎない。それはラムネ星人職員だけでなく、乙女たちクローン・キャストの間でも周知のことだ。
 その大権力者の決定を覆せる材料を持っているなどと言い出すのは沙知が自責の念から精神に異常をきたしたからだと乙女は思った。しかし、乙女に向けられた沙知の澄んだ瞳とぶれない視線は沙知が正気であることを語っているよな気もする。

「ここで話すことではなさそうね。私の部屋で話しましょう。その前にこの海老フライ定食を片付けるから、ちょっと待ってて。あなたも、何か食べたら?」
「いえ、私はお腹が空いていないので」
 乙女にとって、月に一度しかありつけない海老フライ定食を完食することは、弟分コーイチの運命を変えるかもしれない話を聞くのを多少先延ばしするのに十分なほど重要なことがらだった。
 
 15分後、乙女と沙知はクローン・キャスト官舎内の乙女の個室にいた。500人のクローン・キャストは、全員が官舎に住んでいる。
 官舎は55階建ての「日本昔話再生機構」本部ビルの2階から20階までを占め、ここに500名のキャスト全員が住んでいる。官舎にはショッピングモール、スーパーマーケット、映画館、劇場、スポーツジムなど、キャストたちの生活に必要な施設が併設され、その代わり、キャストたちは、「機構」本部から一歩も出ることができない。「機構」本部の周囲には重武装の監視ロボットが3メートル間隔で配置され、24時間・365日、本部への出入りを監視している。

 「日本昔話再生機構」設立当初は、キャストたちは、今よりもはるかに厳重に監視されていた。ラムネ星人が、クローン・キャストの変身能力とテレパシー能力を恐れたからだ。 官舎の個室も含め、クローン・キャストの立ち回り先にはすべて監視カメラ、盗聴器、テレパシーの送受信を捉える検知器が設置され、キャストたちは一挙手一投足を監視されていた。キャストが他のキャストの個室を訪れることも禁じられていた。
 この監視体制が敷かれていた10年間、クローン・キャストの間では情緒不安定、社会不安、ウツなどが頻発し、昔話の再生成立率も10パーセントを切っていた。設立から11年目、「機構」のクローン・キャスト育成部長と産業医が連名で監視体制がキャストたちに与えるストレスがキャストたちのパフォーマンスに影響しているという報告書を提出した。
 
  報告書を契機にキャストの監視策の再検討が始まった。設立から13年目、当時の技術部長がラムネ星中央医科大学と共同で画期的な技術を開発した。ラムネ星と地球の間の重力と大気組成のわずかな違いを利用してクローン・キャストの変身能力とテレパシー能力をラムネ星上では無効化する遺伝子操作法を編み出したのだ。
 クローン・キャストは「日本昔話再生機構」内では自由に活動できるようになり、これを機にメンタル面は安定し、再生成立率も飛躍的に向上したのだった。

 質問を交えながら沙知の話を聞き終えた乙女は、ひとつ大きくため息をついてから切り出した。
「『あの子』の脳内チップにあった交信ログと同じものが『機構』のデータベースに保存されているのよ。それでも、プロジェクト管理部長は自分と『再生審査会』の不作為を棚に上げて『あの子』独りに責任を負わせた。あなたが持っているメモリーを持ち出しても、管理部長の決定がひっくり返るとは思えない」

 沙知が身を乗り出してきた。
「でも、もし、管理部長が交信ログを削除したり書き換えたりしていたら? そのときは、『機構』の公式データに手を加えた罪で管理部長を告発できないですか?
真剣な瞳がひたと乙女を見つめてくる。
管理部長がデータ改ざんしていたことが明らかになったとしても、それで『あの子』の処分が撤回されるとは限らない。それに、そもそも、誰が誰に告発するの?
「私が、『機構』の『なんでも聞かせてデスク』に訴えます」
『なんでも聞かせてデスク』はダメ。あそこは上層部とベッタリ。あなたが告発したことがプロジェクト管理部長に伝わりあなたが部長から不利益扱いを受けるだけよ」
「『なんでも聞かせてデスク』が上と癒着しているという噂は聞いたことがあります。でも、本当とは思いたくありませんでした」

「100パーセントそうだと言い切れる確証はない。でも、私の知り合いが2人、『なんでも聞かせてデスク』に時空転移装置の整備不良を訴えたとき、どうなったと思う?」
沙知が黙って首をかしげる。
「時空転移装置を管理している技術部には何のおとがめもなく、逆に2人は10日間連続で昔話再生をさせられた」
「10日連続って?」
「まだ土日も昔話再生をしていた頃の話」
「そんなことがあったんですか」
沙知が乗り出していた身を引き、肩を落とした。

「それと、もう一つ問題がある」
という乙女の言葉に、沙知が「まだ問題があるのですか?」と顔を曇らせた。
「仮にあなたが持っているメモリーの中身を公に出来たとしても
「出来たとしても?」
沙知が繰り返す。
オリジナルのデータをそのままコピーしたものだと証明できないといけない
産業医のスリナリ先生に、コーイチさんの脳内チップの中身をそのままコピーしたと証言してもらわないといけない……そういうことですか?」
乙女は大きくうなずいてみせた。
沙知がうつむいた。
「スリナリ先生は良さそうな人だったけど、私たちのためにそこまでしてくれるかというと……」

「私はスリナリ先生と会ったことはないけど、クローン・キャストの間で、先生の評判はいい。でも、コピーを取ったときの先生の雰囲気は変だったんでしょ
「私はまだボーッとしていたからあまり感じなかったんですけど、コーイチさんはスリナリ先生を疑っていたと思います
「だから、あなたと自分の分のコピーも作るようスリナリ先生に求めたのね。『あの子』は粗忽者だけど、時々、すごく勘が働くことがある」
乙女の脳裏に、コーイチの勘に助けられた昔話再生がよみがえっていた。

 沙知に彼女が持っているメモリーを使えない理由ばかりを話した乙女だったが、心の中ではせっかくのデータを活用できないのは悔しいと、歯ぎしりしていた。コーイチが過酷な処分を受けるのを「機構」の常識として受け容れ、コーイチを助けることを全く考えなかったあのときの自分に、今の自分が怒っていることにも気づいた。
――私が沙知にイラついたのは、私が私自身にイラついていたからだ。私はこの子に八つ当たりしてしまった。
目の前で肩を落としうなだれている沙知を見て、乙女は済まないことをしたと反省した。

「沙知さん、お腹が空いたでしょ」
乙女が声をかけると、沙知が「えっ」と驚いたように顔を上げた。
「地球製のアップルパイがあるのよ。『地球物産販売所』に勤めている友人からこっそり分けてもらったの。一緒に食べない?」
「えっ」
沙知が小さく声を出す。
「地球産コーヒー豆で作ったドリップコーヒーもあるわ」
沙知の顔に少し光が戻ったように見えた。

 乙女がアップルパイを切り分けた皿とコーヒーを沙知の前に置くと、沙知は遠慮がちにパイを小さく切って口に運んだが、満足のため息をもらしながらそれを飲み込むと、あっという間に皿を空にしてしまった。
「いやだ、私ったら」
と頬を赤らめる沙知に
「まだまだ、あるわよ」
とパイを切り分けながら、乙女は沙知の持っているメモリーを有効活用する方法に思いを巡らせ始めていた

『第6話 乙姫の闘い 4, 秘 策』につづく