見出し画像

「日本昔話再生機構」ものがたり 第3話 産業医の闘い 4. ギムレット奉行

『ギムレット』からつづく

 「日本昔話再生支援機構」の産業医、エル・スリナリ医師はひなびた町のさびれたバーの前に立っていた。仕事で嫌なことがあった日、帰りに立ち寄る行きつけの店。
 頭の中では、クローン・キャスト育成部長との不愉快な会話の記憶が渦巻いている。
「先生、おっしゃることは、よ~ぉ分かります。私もクローン・キャストっちゅうのは、なんとシンドイ仕事やろと、常々思うとります。そやけど、あの者たちは、『むかし、むかし、あるところの日本』に時空ジャンプして昔話を再生するために作られたクローン人間でっせ。労働条件が少々キツイ言ぅて昔話を再生せぇへんかったら、存在意義がのぅなってしまいます」
「私は、再生を中断させろと言っているのではありません。労働条件を改善して持続可能な形で働かせるべきだと言っているのです」
「先生がおっしゃるのは、キャストの増加でっしゃろ。何度も申し上げましたけど、そのためには、先立つもんが必要です。先生もご存知のように、ラムネ星統合政府は財政難、地球連邦政府は知らぬ顔の半兵衛、どないもこないも、手の付けようがありまへん。しばらくは、クローン・キャストどもに頑張ってもらうしかありまへんて」

 クローン・キャスト育成部長との話し合いはこれで5回目だったが、毎回、同じことの繰り返し。最後は金がないのひと言で片付けられてしまう。  
 定年を3ヶ月後に控えた育成部長に、今さら新しいことに取り組む意欲など、1ミリもないのだ。他の幹部連中は、それが分かっているから、私の交渉相手を育成部長にした。くそっ。今日は深酒をしてしまいそうだ。

〈「ヘルプデスクの多忙/6. 犬の巻②』から来られた方は、こちらにお戻りください〉

 分厚い木製のドアを押して中に入る。カウンターの中でクロスワードパズルを解いていたマスターが顔を上げ、こちらを見た。
「マスター、いつものをお願いします」
と声をかける。「いつもの」とは、地球伝来のカクテル、ギムレットのことだ。

 カウンター席に腰を下ろそうとして、カウンターの奥の端に見慣れない客がいるのに気づいた。女性だ。黒いストッキングに包まれた長い脚を優美に組み、それをこちらに見せつけるように半身に腰かけている。カウンターにはカクテルのグラス。見た感じでは、多分ギムレットだ。
 美しいプロポーション。少しとろけたような大きな瞳に厚めの唇。スリナリ医師の背中に電流のようなものが走った。
 スリナリ医師は、慌てて女性から目をそらした。女性に強烈に引き寄せられている自分に気づいたからだ。ダメなのだ。これまでの人生で、今のように女性に吸い寄せられる度に、奈落に落ちてきた。散々持て遊ばれて捨てられるくらいならマシな方で、親友を失ったり、学業が妨げられたり、借金を負ったことすらある。

 スリナリ医師はカウンター席に腰をすえ、ギムレットを作るマスターの手元に神経を集中しようとしたが、その努力は女性の声で破られた。
「マスター、プロに失礼なことを申し上げて恐縮だけど、それは正しいギムレットの作り方ではないわ」
甘く響く低音で、少しハスキーな声。
 マスターはちらと女性に目をやったが、手は止めない。女性は、思わせぶりな笑みを浮かべて黙る。
 マスターがスリナリ医師の前にギムレットのグラスを置き、女性に顔を向けた。
「こちらのお客さんにおつくりしている最中だったので、失礼しました。で、正しいギムレットの作り方とは?」
マスターの口調に敵意のようなものは感じられない。

 女性が答える。
「マスターは、わざわざ甘みをつけてから、苦み酒を入れてるでしょ」
「ええ」
「チッ、チッ」
女性が白魚のような人差し指を唇の前で振ってみせる。
「本物のギムレットは、ライムジュースとジンが半々。他のものは、何も入れないの。私にひとつ作ってみて。それから、そちらの男性にも。お勘定は私につけて頂戴」

画像1


「私は結構。マスターのギムレットが気に入っているので」
スリナリ医師は、女性の勧めを断る。
「あら、両方試してみてもいいんじゃない?」

「あなたのような、ギムレット奉行には興ざめです」
思わず、強い言葉が出た。
「ギムレット奉行? なんのことかしら?」
「地球人が食べる鍋料理をご存知ですか?」
「大きなボウルで魚や野菜をぐつぐつ煮込んで、家族や友達同士でつついて食べるあれのことかしら?」
「ええ。鍋奉行という言葉があって、それは魚や野菜の入れ方やら煮方やら、あれこれうんちくを垂れて仕切りたがる人間のことです。本人は独りで盛り上がっているが、周りは鼻白んでいる」
「なるほど。私がギムレットのうんちくを語って、あなたをシラけさせた。そうおっしゃるのね。これは、失礼しました」
女性がスリナリ医師に笑みを向けたまま、肩をすくめてみせる。こいつ、俺の好みのタイプだからって、俺を舐めやがって。

「マスター、お勘定お願いします」
スリナリ医師はイスから立ち上がり、宣言するように言う。マスターがスリナリ医師の前のグラスにちらりと目をやる。スリナリ医師は、結局ひと口もつけていなかった。
「450ラムネです」
マスターが言い、スリナリ医師は500ラムネ札をカウンターに置き、
「お釣りは結構です」
と言い、ドアに向かう。
 背中に女性の声を浴びた。
「『日本昔話再生支援機構』の産業医、エル・スリナリ先生でいらっしゃいますよね。また、このお店でお会いできるのを楽しみにしています」
 初対面の女が、私の名前と職業を知っている? 驚き振り返ると、女性が妖艶な笑みを浮かべてグラスを持ち上げてみせた。スリナリ医師は、女性から目をそらし、逃げ出すようにバーを後にした。

〈「ギムレット奉行の正体」につづく〉