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「日本昔話再生機構」ものがたり 第3話 産業医の闘い 7. 魔の時間

〈『危険な接触』からつづく〉

「立ち話も何です。車で話しましょう」
ジョモレが言い、黒塗りの空中浮遊車(LV=Levitation Vehicle)が、悪鬼が音もなく闇から忍び寄るようにジョモレとスリナリ医師の前に現れた。 
 ジョモレの意思通り動く感応AI搭載のLVだ。「日本昔話再生支援機構」では上級幹部にしか支給されない高級車だ。
 LVのガルウイングドアが開き、まずジョモレが乗り込んだ。ジョモレの視線に促され、スリナリ医師も後に続く。ラムネ星では最高級のサタラー織布で覆われた対面シートにジョモレと向き合って座った。

 ジョモレが肌が透けて見える薄い黒のストッキングに包まれた長い脚を優雅に組み合わせると、形の良い膝頭が、スリナリ医師の目の前、手を伸ばせばすぐ届くところにきた。スリナリ医師は思わず手が出そうになるのを、ツバを飲んで抑えた。
 ジョモレの脚に釘付けになりそうな目を窓の外に移すが、そこには目を引くようなものは何もないので、視線はすぐジョモレの脚に戻ってしまう。――クソ、私をたぶらかそうとして、けしからん女だ。
スリナリ医師は欲情に負ける自らへの怒りをジョモレに向ける。

「少しドライブしましょう」
ジョモレが言い、LVがフワッと宙に浮き、滑るように動き出した。
「そんなに緊張なさらないで。リラックスしてください。何か、お飲みになりますか?」
ジョモレが艶っぽい笑みを投げてくる。
「いや、結構」
スリナリ医師は強ばった声で答える。ジョモレが微笑み
「私は、ドライ・マティーニをいただきます」
と、ギムレットと同じく地球伝来のカクテルの名を口にすると、座席の肘掛けからグラスが現れた。ジョモレが潤んだ目でグラスをスリナリ医師に向けて捧げ
「乾杯」
と言った。スリナリ医師は口が乾いて、返す言葉が出ない。

 その夜、スリナリ医師はジョモレのLVで1時間ほどドライブした。そして、自宅最寄駅から一つ手前のリニアモーターカー駅でLVから降ろされたときには、昔話再生中にトラブルに見舞われたクローン・キャストとヘルプデスクの交信データをジョモレに渡すことを約束していた。

 スリナリ医師は、リニアモーターカーに乗り込んでから、自分にはクローン・キャストとヘルプデスクの交信データへのはアクセス権がなかったことを思い出した。ジョモレから連絡先のメールアドレスを教わっていたから、その場ですぐ、自分が守れない約束をしてしまったことを告げることができた。いや、そうすべきだった。
 ところが、スリナリ医師は、ジョモレの期待を裏切ると二度と彼女と会えなくなるのではないかと恐れた。
――地球人のことわざに「意志あるところ道あり」というのがある。本気になれば、何とかデータを手に入れる方法はあるはずだ。スリナリ医師は自分にそう言い聞かせてリニアモーターカーを降りた。

 その夜、スリナリ医師は自宅マンションに帰りベッドに入っても熱い焔にさいなまれて寝付けず、5回もシャワーを浴びた。ようやく眠気が訪れたころには、空はすっかり明るんでいて、スリナリ医師は強力な眠気覚ましドリンクを3缶飲み干し「日本昔話再生支援機構」に出勤したのだった。

〈『ヘルプデスクの多忙/12.  奇妙な依頼』につづく〉