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「日本昔話再生機構」ものがたり 第5話 浦島太郎の苦悩 3. 乙姫の気遣い

 乙姫の侍女のひとりがタローに杯を差し出したが、タローは盃に気づかないように目の前の一点をじっと見つめている。乙姫が「タロー君」とテレパシーを送るとハッとしたように盃を取った。その手が震えている。乙姫はタローの手に自分の右手を重ね、左手で盃に酒を注いだ。
タローが盃を口に運び一口なめてから驚いたように乙姫を見た。
乙姫は微笑んで返す。

 タローに注いだのは標準ストーリーで決められたアルコールを薄めた日本酒ではなく、爽やかな口当たりの栄養ドリンクだった。酸素生成能力を高める効果がある。このくらいの逸脱があっても、再生不成立判定をくらうことはないと乙姫は経験から知っている。
「ありがとう」
タローが弱々しいテレパシーを送って来た。
「私たちが盛り上げるから、タロー君は無理しないでゆっくり休んでて」
タローが笑顔を作ろうとして作り切れず、しかめ面をしたように見えた。
――何とか、最後まで頑張って。
乙姫は心の中で祈った。

 タローは栄養ドリンクも半分しか飲まず、顔色は悪いまま、虚ろな表情が変わることもなかった。もちろん、目の前に並べられた海の幸に箸をつけることもない。
 乙姫は侍女とバックダンサーたちをいつもよりタローの近くに集め、時空の裂け目から『浦島太郎』の進行を観察している「昔話成立審査会」にタローが全く楽しんでいないことを気取られないようにした
それが功を奏したのか、『審査会』から「不成立判定」を受けることなく、タローに玉手箱を渡すところまでたどり着いた。
「この箱は絶対に開けてはいけませんよ」
と日本語で伝えてから「タロー君、あと、ひと頑張りよ」とラムネ語でテレパシーを送った。タローの表情には何の変化もなかった。乙姫は胸騒ぎがした。

『第5話 浦島太郎の苦悩 4. 老人にならなかった浦島太郎』