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「日本昔話再生機構」ものがたり 第1話 ヘルプデスクの多忙 9. ハヤトの緊急回収

 『第1話 ヘルプデスクの多忙 8.屁こき嫁』からつづく

 『花咲か爺さん』で苦戦中のハヤトの生命危険度がオレンジ色に変わった。私は急いでハヤトとの回線をつないだ。これまでモニター画面には犬に変身したハヤトの口吻が映っていたが、今回は映っていない。全身の神経が騒ぎ出した。
「ヘルプデスクさん! 変身が、変身が!」
回線の向こうで、ハヤトはテレパシーではなくラムネ語を声にして喚きだした。昔話再生中のクローン・キャストは同僚のキャストまたはヘルプデスクと連絡し合うときはラムネ語のテレパシーを使うルールなのに、ハヤトはそれを完全に忘れている。私が案じたとおり、変身が解け始めてパニックしているのだ。

「ハヤト君、シーッ」
私はハヤトに声を潜めるよう指示する。
「お爺さんにラムネ語を聞かせてはいけない。テレパシーで話すんだ」
「あ、あぁ、そうでした」
と、声に出して答える。
「ハヤト君、テレパシーだよ。テレパシーを使うんだ」
もう一度繰り返すと、やっとテレパシーで
「は、はい。テレパシーで話してます」
と返してきた。

「ハヤト君、変身が解け始めてしまたったんだね。今までに、どのくらい解けたのかな?」
「頭から始まって、上半身まで人間に戻りました。おかげで口輪が外れたのはいいんですけど」
なるほど、人間は犬のように口が前に飛び出していないから人間に戻って自然に口輪が取れたわけだ。
「お爺さんか、他の現地の人に見られていないかな?」
「誰にも見られてないと思います。ヘルプデスクさん、ボク、下半身はまだ犬のままなんです。こんな醜い生き物が自分だなんて、ボク、ボク」
ハヤトが泣き出す。また、声が漏れ出した。
 
 ハヤトがショックを受けるのは、もっともだ。ハヤトは柴犬に変身していたのだから、上半身が人間に戻ると、下半身とのバランスがものすごく悪くなる。
 私は動物への変身が50パーセント解けてしまったクローン・キャストを見慣れているので今さら驚かないし、ましてショックを受けるようなことはないが、おそらくハヤトが50パーセント変身解除のクローン・キャストを見るのはこれが初めてだろうし、しかもそれが彼本人なのだから、そのショックは想像するに余りある。
 
 それ以上に恐ろしいのは、万一、お爺さんが今のハヤトを目撃したら何が起こるかだ。腰を抜かして気を失ってくれるなら良い。
 しかし、ここまでの爺さんの行動から考えると、ハヤトを化け物と思い込み、町内会の仲間を集めて退治しようとしかねない。

 今のハヤトが誰にも目撃されないうちにラムネ星に連れ戻さなければならない。普通なら、ハヤトをひと気のない開けた場所に移動させ、そこに時空転移装置を着陸させるのだが、半人・半犬姿のハヤトに地上を移動させるわけにはいかない。
 私は、沙知を救出するのに使ったハイパーエナジーバブル転移を使い、ハヤトを周囲の物体ごとひと気のない場所に空間転移させ、そこで時空転移装置に乗り込ませることにした。

「ハヤト君、君をハイパーエナジーバブル転移で、そこから別の場所に空間転移させる。その場所で、君は時空転移装置に乗り込むんだ」
「その『ハイパーなんとか』って、なんですか?」
ハヤトが泣き声を出す。
――参ったな。この子は、ハイパーエナジーバブル転移のことも知らないのか。
 私は、ハヤトが昔話再生現場でのトラブル対処方法を教えられないまま「むかし、むかし、あるところの日本」に放り出されたことに憤りを覚えた。ハヤトの周りの先輩クローン・キャストたちに対してというよりも、先輩が後輩の面倒を見る余裕すらなくなっている、今の「機構」の状況に腹が立ったのだ。

 いやいや、今は怒っている場合ではない。ハヤトを一刻も早く助け出すのだ。
「ハヤト君、君は何も心配しなくていい。全部、私に任せて、君は、ただ、そこにいればいい。分かったね」
「あ、はい、分かりました」
 私は時空転移装置にハイパーエナジーバブル転移とそれに続くラムネ星への時空転移プログラムを組み込み、ハヤトのいる村に向けて発進させた。
 
 ハヤトの頭上に到着した時空転移装置は駆動エネルギーの一部を放出してハヤトとその周りの庭をエネルギーのバブルで包んだ。時空転移装置とバブルは同時に空間転移に入る。
 1分後、時空転移装置はひと気のない川原に着地した。
「ハヤト君、今すぐ時空転移装置に乗り込むんだ」
私はハヤトに呼びかけた。
 ところが、ハヤトから返事が来ない。
「ハヤト君、ハヤト君」
私は禁を冒してテレパシーではなく声を出してハヤトに呼びかける。それでも、返事がない。
 変身解除のストレスとハイパーエナジーバブル転移のショックで気を失ってしまったらしい。

――どうする?
私は、頭を全速で回転させる。あった、ハヤトが時空転移装置に乗り込んでいなくても、彼と時空転移装置を一緒に連れ戻す方法が。問題は、そのために必要な転移装置が自由に使える状態にあるかどうかだ。
 私は、コンソールのモニターに時空転移装置の稼働情報を呼び出した。あった! 『浦島太郎』の竜宮城の大道具をラムネ星・地球間で往復させる大大型カーゴ転移装置が修理ドックにあった。しかも修理は終了していて、いつでも動かせる状態にある。
 私は大型カーゴ転移装置の強制稼働プログラムを起動させた。これもハイパーエナジーバブル転移と同じで、非常手段として形式上は許されているが実際に行うと査問の対象となり、ほぼ100パーセント罰を受けるアクションのひとつだ。
 しかし、沙知を救い出したときに私は査問にかけられ罰を受ける覚悟をしていた。今さら、もう、恐れるものなどない。
 
 私は大型カーゴ転移装置がハヤトと彼のために送った時空転移装置を竜宮城用の大道具と認識するようプログラムを変更し、地球に受けて発進させた。
 私は大型カーゴ転移装置の荷物室のカメラが送って来る映像をコンソールのモニター画面に映し出した。カーゴの現地への到着には2分かかったが、その2分が私には永遠につづく時間のように感じられた。

 大型カーゴ転移装置が地球に到着した。積載スペースの扉が開く。大型と小型の回収用台車が1台ずつ、外に出て行く。1分後、小型の回収用台車が完全にラムネ星人の姿に戻ったハヤトを乗せて積載スペースに戻ってきた。3分後には、ハヤトの回収に送った時空転移装置を載せて大型の回収用台車が戻ってきた。積載スペースの扉が閉じ、積載スペースからの映像が消えた。大型カーゴ転移装置が時空転移にはいったために更新が途絶したのだ。

 また永遠にも感じられる2分が続いた。そして、到着ポッドから届いた大型カーゴ転移装置の帰還を告げる信号音がヘルプキューブ内に鳴り響いだ。
 私は、エル・スリナリ産業医とのホットラインを起動させた。
「スリナリです」
「先生、沙知さんの状態はどうですか?」
「ひどい過労状態で精神的にもショック状態にあります。栄養輸液と精神安定剤を投与しています」
「お世話になります。もう一人、面倒を見ていただくことはできますか?」
「沙知さんは、当面は看護ロボットに任せておいても大丈夫です。どこに行ったらいいですか?」
「大型カーゴ転移装置の到着ポッドに地球上で変身が解けてしまいショック状態にあるキャストが帰還しました」
「変身が解けた。それは大変だ。今すぐ診に行きます。ポッドから、キャストの状況を報告します」
そう言ってスリナリ医師が通信を切ると、私の全身から力が抜けていった。

『第1話 ヘルプデスクの多忙 10. 再び当直交代』につづく