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【後編】自分らしい音楽を、ふるさとのために。村民こだま、泉崎のすすめ

前編は<こちら

同年代の人が、福島県を歌で盛り上げてる

——帰ってからどうしようって思ってましたか?

 帰って……本当どうしようっていうか、「自分のことを考えている場合じゃない」と思ったんですよね。大変だったじゃないですか、震災のいろいろが。何もできてないのもすごい悔しかったですし、どうしようって。ボランティアとか、友達とかに相談してちょっとやったりとかはしてて。

 でもやっぱり、自分の中で音楽と携わっていたいという思いがあって、カラオケ屋さんで働き始めました。アルバイトなんですけど。ちょっとでも、音楽に近い仕事で(笑)。でもその時に「お客さんと話すのって楽しいんだな」とか……カラオケ来る人ってみんな音楽が好きじゃないですか。音楽好きな人と喋ったりとか、新しい曲を教えてもらったりとか、「楽しかったよ、ありがとね」みたいな感じで……人のために……人を喜ばせる……喜ばせる? 何様だろう(笑)でもそういう温かさというか、生きがいみたいな、やりがいみたいなものになって、「接客好きだな自分」って。ただ話すのはめちゃくちゃ苦手なんですけど、苦手だからこそでも、やりたいんですよね、そういうのって。

 で、その時に福島県のライブハウスが……最後本当にフリーウェイジャムとかの記憶だったので、今福島県でどういうアーティストさんがどういう歌を歌っているんだろうってすごい気になって、ネットで調べまくって、片っ端から電話をしたんです、ライブハウスに(笑)。今は移転しましたけど前のシャープナインさん、ピークアクションさん、フォーク酒場(6575)さんとか、音楽できるところ全部、「福島県 音楽 演奏」みたいな感じで(調べて)電話して。「急なんですけど、明日見学行っていいですか?」って言って(笑)。「あっはい……」みたいな感じで(笑)。
 でも結構、みんな気さくな良い方なので、「いいよ、入って」みたいな感じで、「ドラム触っていいよ」みたいな感じで触らせてくれたりとかして。「いつか私もステージ立ってみたいんですよ」っていう話をしたりとかして。

 で、ピークアクションのホームページを見た時に、たまたま自分が空いてる日にイベントが入ってて、「知ってる人誰もいないけど行ってみよう」と思って、行ったんですよね。ギター弾き語りの方が多いイベントだったんですけど、感動しちゃって。みんな、オリジナル曲とか歌ってて、すごい、福島県ではこういう人たちが今歌を歌ってるんだって、すごい感動して。その時に出会ったのが、黒沢アキトくん。

——あーなるほど!

 そうなんです、歳が近いんですよ。その時に「すごいですね」って話をして「いや全然だよ」みたいな感じで。でも私がステージに立つのは緊張してダメだと思って、なかなか勇気が出なかった。専門の時はちょっとお披露目する授業はあったんですけど、大勢の前でみたいなのは全然なかったんですよ。で、こっち帰ってきてから、高校の時バンドやってた人たちに連絡しても「音楽やめちゃったよ」とか「ドラム売っちゃった」とか。それがすごく悲しかったんですよ。

 で、その時カラオケ屋さんを辞めて……私、動物すごい好きなんですね。昔から動物がすごい好きで、ペットショップの中のペットアドバイザーっていって、ワンちゃん猫ちゃんとか熱帯魚、鳥とか全般を、売るのもそうですけど飼育する、アドバイスする仕事を募集してたので、そこに転職をしたんですね。結構それが忙しくなってしまって、楽しかったんですけど。
 お客さんと喋るのもすごい楽しかったですし、それでも2週間に1回くらいはピークアクションとかシャープナインとか通って、バンドを見て暴れまくってました(笑)それも黒沢アキトくんとかのライブの時にいたお客さんと話したりして、仲良くなって「今度こういうイベントあるからよかったらこだまちゃんも来ない?」みたいな感じで誘ってくれて。バンドいいな、と思って。「でもいい加減私も音楽やりたい」と思って、「ステージに立ってみたい」と思って……大丈夫ですか? これ、私ばっか話してて……(笑)。

——大丈夫です(笑)。ありがたいです。

 すみません。えっと、ちょっと待ってくださいね……思い出した、そんくんとかケンボーさんとか、バンドマンの方々が「ピアノ弾けるらしいじゃんこだまさん」みたいな感じで話しかけてくれて、多分SNSで繋がったんですよね。あとライブハウスで会ったりとかしてて、今度試しにスタジオ入ってセッションしてみよう、みたいな感じでスタジオ行って。ボロボロでしたけど(笑)でもやっぱバンド楽しいなと思って。
 そこら辺で……MANAMIちゃんですね。フォアボール石井、だいちゃんいるじゃないですか。

——はい……(笑)。

 なんだろう(笑)名前出てくるだけで笑う。だいちゃんって、前シャープナインで働いたんですよね。移転前のシャープナインの「2階で騒ごう」という企画があって、だいちゃんが新人を5組くらい集めて。「よかったらこだまも出てみない?」みたいに言ってくれて。その時にMANAMIちゃんがいたんです。それが私との馴れ初めですね。

 MANAMIちゃんは、他の方もすごかったですけど、MANAMIちゃんが突出してやばくて。『あいすくりーむ』っていう歌、聞いて私泣いちゃったんですよね。なんかあったわけじゃないんですけど、恋愛で(笑)「なんだこの人」「すごすぎ」と思って、「仲良くなりたいな」と思って。
 本番前に楽屋あるじゃないですか。楽屋で私、前髪切るの忘れちゃってて、ハサミ貸してほしかったんです。そこにMANAMIちゃんが座ってたんですけど、「ハサミ貸してもらえます?」「ハサミ持ってますか?」みたいな。「ありますよー」みたいな感じで出してくれて、「ありがとうございます」って言って私その場で(笑)前髪切り始めたんですけど。「ありがとうございました」って返したら、ちょっとあっち若干引いてた気もする……(笑)。
 その時は特に仲睦まじくはならず、ライブやって、あっちも「全然私のライブの印象残ってない」って言ってました(笑)そうそう。

 その時はそれでお別れして、その後にMANAMIちゃんのワンマンライブ、(福島)Player's Cafeさんかな、でやったのを見て、やっぱりこの人ってすごいなって思って。でも私ペットアドバイザーの仕事が、バタバタそこから忙しくなってしまって、またステージを離れてしまったんですね。でもやっぱりステージに立ちたい……でも私はやっぱりあがり症だし、緊張するし、無理なんじゃないか……でも立ちたい、みたいな感じで、ペットショップで働いたんですけど。
 2017年に須賀川のVIT Dalarnaさんというカフェがあるんですけど、そこでブッキングのイベントを、たまたまお知り合いの方が組んでくれて。そこでMANAMIちゃんと再会したんです。MANAMIちゃんが「こだまさんって前シャープで一緒だった?」。前は私は「ホシコダマ」っていう名前でやってて、再会した時には「ホシ」っていうのを捨てて「コダマ」っていう名前でやってたので、「同一人物でよかったです」みたいな感じで言われて。その日一緒にライブをやって、打ち上げでいろいろ話して、結構仲良くなった感じですかね。
 MANAMIちゃんが歌を「いいね」って言ってくださって、それで結構「今度ツアーとか行ってみようよ」とか「キーボードサポートとかやってほしい」とか、結構そこでいろんなとこ連れて行ってもらったりとかして。MANAMIちゃんの、人脈もそうですけど、いろんな世界見せてもらいました。今もですけど、見せてもらってますね。あの人本当すごいなと思って。

 それからいろんなご縁があって、aveさんとかのサポートもやるようになったりとか、自分で曲とかも作ってっていう感じで……今に至ります(笑)難しいですね、時系列って。難しいけど、でも振り返るの面白かったりしますね。
 ただMANAMIちゃんはシャープナインでハサミ借りたやつは「すごい嫌だった」って言ってました(笑)嫌だったっていうか「すごいびっくり、ドン引きした」って言ってました。

——(笑)びっくりはしますよね。

 初対面でハサミ借りて前髪切る人いない……ですけど、私はもう視界に前髪が入るのが嫌すぎて必死だったんで。今度から自分で持ってこうと思います。

——いろんな人のお話にやっぱMANAMIさんって出てくるんです。「あの人は本当すごい」ってみんな。

 本当にそうなんですよね。歌ももちろんすごいですし、どんどん友達思いになってくるんですよね。本当に尊敬してます。
 尊敬できる人間、そういう存在が近くにいるってすごい幸せなことだと思ってて。しかも友達でもあり、一緒に温泉とか旅行とか行ったりする仲でもある。そういう存在ってなかなか出会えないですよね。それもやっぱ音楽やってなかったらそうなってなかったかもですし。

——遅かれ早かれ出会えるのかもしれないですけど、ここで出会ってこそっていう。

 あそこでハサミ借りてなかったら……(笑)ハサミは関係ないかな。そうですよね、本当にあのタイミングで出会って、私はすごい嬉しいです。

——で、アキトさんも……近い世代の人が頑張ってるのって、より嬉しいですよね。

 そうなんです、そうなんです。本当に誰も、知ってる名前がなくて。「すごいいい歌歌うな」って思って、話しかけて。親近感がわきますよね。
 同年代の人が、福島県を歌で盛り上げてるんだっていうのって、すごい自分の中で勇気というか、そういう盛り上げ方が福島でもあるんだなって思って、感動しましたね。アキトっちに言ったら「ただ自分の歌いたいのを歌ってるだけ」とかって言いそうですけど(笑)。でもそれで元気出る方とか、救われてる方ってめっちゃいるわけじゃないですか。MANAMIちゃんとかも、他のみんなもそうですけど、それって本当にすごいことですよね。

ステージが一番自分らしくっていうか、なりたい自分でいれる場所

——自分の音楽活動でそういうのを実感したこともありますか? 誰かのことを元気づけられたというか。

 そうですね、自己肯定感低いっていう話してたじゃないですか。その自己肯定感低さの塊みたいな曲があるんですけど(笑)『マイペース』っていう曲があって、それって多分自分に自信があったら書けなかったと思うんですね。

 あれは「焦らなくていいんだよ」みたいな感じの歌詞なんですよ、簡単に言うと。それって別に誰かに歌ってるわけじゃなかったんです、劣等感を持つ自分に対して歌ってる曲だったんですけど、それを歌った時に共感してくれる人が、泣いてくれた人がいた時に、ちょっとでも寄り添えたのかなって思えたりとかはしましたね。
 自分を低く見てしまって……低いと思ってるんですけど、それが普通だと思って生きてきちゃってるんですけど、でも自分が普通だと思っていることって、周りの方からしたら面白いものだったりとか、元気になったりするものなんだなっていうのは、すごい感じる時はあります。

 私の曲って、自分の心情を歌った曲と、泉崎村とかの歌とがあるんですけど、泉崎村の歌じゃないのに勝手に公式ソングみたいに(笑)泉崎村の紹介の曲とか、結構合いの手とかを入れたりとかするんですね。声を出すことで、お客さんも元気になるかなみたいな感じで、二面性じゃないですけど。ライブハウスでは自分の気持ちとか、割とマイナー調っていうんですか、そういう曲歌って。野外イベントとかではそういう盛り上げるみたいな、臨機応変にやってるんですけど。
 お客さんが笑ってくれたりとかするのって私、すごい一番幸せかもしれないって思ってます。それが割とやりがいですね、生きがいかもしれないですね。

——さっきあった、接客が好きとか楽しいってお話にも通じる。

 そうかもしれないですね。なんででしょうね、めちゃくちゃ愛おしいんですよお客さんが。お客さんはステージを見に来てるかもしれないですけど、私からしたら逆なんですよ。お客さん側が、私からしたらステージ。そこから元気もらってるみたいな感じなんです。私いつもイベント終わってからすごい温かい気持ちで眠れるんです。本当に感謝してます。ナガサワ先生……ナガサワ先生じゃない!(笑)

——そんなナチュラルに(笑)もうそれでいいですよ。

 ナガサワ先生で大丈夫ですか? ながいせんせですよね。すみません、なんで私ナガサワ先生って言っちゃうんだ(笑)ごめんなさい。ナガサワ先生で大丈夫ですか?

——いいですよ(笑)。

 頑張ってながいせんせに直したんですけど……ナガサワ先生と呼ばせていただきます(笑)。

——自己肯定感上がりました?

 そうですね。だいぶ……生きてていいと思う……(笑)そう、極端なんです。自己肯定感は、だいぶ音楽を始めてから、爆上がりっていうか、高くはなってないですけど、せめて……本当にそのままです、「生きてていいんだな、自分は」。やっと生きる場所を見つけたというか、すごく難しいですけどそんな感じで思ったりとかしてます。
 やっぱり「ありがとう」とかそういう言葉を聞くと、自分の存在意義みたいなものがこう……透明だった体に色がついてく感じですかね、表現難しいですけど。透明な感じがして生きてたんですよね。なんですけど、ステージに……今もすごい緊張するし、過呼吸になっちゃったこともありますし、それでもステージが一番自分らしくっていうか、なりたい自分でいれる場所なんだなっていうのは、最近イベントを重ねるたびに思ってます。

——めっちゃいいですね。音楽の作り方みたいなのも変化してきたりしました?

 それは割と今も試行錯誤中ですけど、前はライブとかで、バラードのあんまり明るくない曲とかを歌ってるときに、歌った後に「盛り下げちゃってごめんなさい」って私は思っちゃったんですよ。「お客さん下向いちゃってるし……」「楽しみに来たのに、悪かったな」とかって思ってたんですけど、そういうのじゃないんだなっていうのは気づきました。だから、もうちょっと自分の思ってることとかを歌詞に、割と最近はありのまま書くようにしてます。

——それを聞きに来てる人って絶対いますもんね。

 そうですね。恥ずかしさとかそういうのも全部……色々試行錯誤はしてみてたんですけど、盛り下げる曲じゃなくて「盛り上げなきゃ」と思って無理して明るい曲歌っても、結局やっぱライブ終わった後に変なわだかまりみたいなのができちゃって「あれ?」と思って。「お客さん楽しんでたし、曲調も明るかったし……あれ?」みたいな感じのライブも結構あって。

 なので最近は……ギターも、3年前くらいに始めたんですけど、ギターでやる曲って割と自分の心境をさらけ出しやすいんですよね、なんかわかんないですけど。自分の思っていることを歌詞にしやすくて。前半でギターの曲2曲やって、後半でドラムサポートのアボカドの人、アボちゃんっているんですけど、アボちゃん呼び込んで、後半でちょっと明るめの曲をやるみたいな感じの(展開づくり)で、すごいそこで今落ち着いてる。そしたらなんか、自分にも嘘ついてないというか、自分の中のモヤモヤとか、すごい自分はダメだと思っているところを、明るい曲とかを無理に歌って隠してるって、やっぱり自分とか嘘ついてる感じだったから、多分モヤモヤしたんですよね。でも「盛り上げたい」みたいな気持ちはあって。だから最近はそのスタイルで2〜3曲みたいな感じで落ち着いてて。

 最近見つめ直しました、自分がなんでシンガーソングライターになりたかったかっていうのを、すごい見つめ直して。やっぱ自分の気持ちを歌いたいからだよなっていうのは、原点じゃないですけど、まだ5年目なんですけど、それをちゃんと見つめ直せる機会になりました。ただイベントの時はちゃんと盛り上がる曲とか、カバー曲とかを臨機応変にやったりとか、その点というかそういう面でMANAMIちゃんをすごい尊敬してます、私は。

——MANAMIさんもライブの雰囲気の話とか確かにしてました。

 すごいそうなんです。割と、割とというかかなり参考に。勉強になりますしね。本当に刺激をくれます。
 同年代でシンガーソングライターで、こんなに周りにいること、MANAMIちゃんだったり、さゆたっちだったり、今遠くいるけどanna callaちゃんだったりとか。それってなかなかこう、これは先輩のJuni.さんに言われたことなんですけど、うらやましいって言われました。お互いが切磋琢磨して、友達であり仲間であり……そういうのってJuni.さんが私たちくらいの年齢の時はあまりなかったみたいで、「そういうのってすごい貴重だから大切にした方がいいよ」っていうのを、この間言っていただいて。「そうだよな」と思って。「当たり前のことじゃないよな」と思って。みんな本当すごいですよね。悔しくなる時ももちろんありますけどそういう気持ちにしてくれる存在に、本当に感謝しようと思って生きてます。

育ててくれた泉崎村を自分自身も学びつつ、みんなに発信していきたい

——泉崎出身として(掲げて)今やられてると思うんですけど、そういう風になってったのって……最初からそうだった?

 最初は、福島市とかのライブハウスに行った時に、全然普通に「泉崎村というところから来ました」「ご存知の方いらっしゃいますか?」って聞いたとき、誰もいなくて。お客さん20人くらいいたのに一人もいなくて。それがすっごい、めちゃくちゃショックで。「同じ県内なのに?」と思って。「何県?」とか言われたりとか。白河市とかは知ってるんですよね。矢吹町とか白河市は知ってる。その間の泉崎村は……(笑)でも自分は昔から住んでるからわかるじゃないですか。そりゃ知らないよなと思って、住んでない方からしたら。でもそれがすごい、ショックの方が大きかったですけど、不思議な感じがして。そこから「泉崎村出身です」っていうようにしていきましたね。

 その時は「こだま」って、ひらがなの名前でやってたんですけど。「響く」っていう意味も(「こだま」には)あるじゃないですか。ですけどエゴサーチで引っかかりにくいっていうのもあって(笑)新幹線とジブリの方が出てきちゃって(笑)なのでちょっとなんか、こだまの前につけたいってなった時に、泉崎村のアピールもしていきたいと思って、「村民こだま」って響きいいんじゃないかなと思って。3年前、2年前くらいに改名しましたね。

——割と最近だったんですね。

 そうです、2年……コロナ禍始まったあたりですね多分。

——泉崎とか県南の方で、音楽絡めたお仕事とかっていうのもその後から?

 そうですね。音楽活動だけじゃなくて、テレビとかラジオとか。泉崎村っていうのをアピールっていうか、自己紹介の時に言うようになってから、ちょっとずついろんな方が泉崎村っていうワードだけでもすごい知ってくれて。泉崎村の特集とかがあるときとか、それこそラジオ局とかで泉崎村の何かみたいな感じのときとか、呼んでいただいたりとかして。すごい泉崎村の魅力を……でも私も全部知ってるわけじゃないので、育ててくれた泉崎村を自分自身も学びつつ、みんなに発信していきたいなって思ってます。本当まだ知らないものばっかりです。

——でもやっぱり確かに、「泉崎村といえば?」って聞かれちゃうと多分、答えられないです。そういう人に一番最初にアピールするのはどういうことなんですか?

 泉崎村、食べ物で「これ」っていうのがあればいいんですけど……あるんですけど(笑)椎茸がすごいおいしいんですね。プリプリで本当に肉厚で。なんですけど、まだそんなに浸透してなかったりとか。
 あと一部のマニアとかにはすごい知られてるんですけど、埴輪とか土器とかが発掘されたのがすごい有名で。泉崎村のゆるキャラ、マスコットキャラクターの「いずみちゃん」っているんですけど、見たことあります?

——こないだいた子ですよね!

いずみちゃん(「村へす2023」にて)

 そうそうそうそう(笑)埴輪が有名だったりとか、だから埴輪のいずみちゃんクッキーとか、いずみちゃん焼きとか、結構そういう商品とかはあるんですけど、私のアピールもまだ足りないなっていうのとか。
 温泉もすごいおすすめですね。私の今住んでる家のお風呂がぶっ壊れてて(笑)なのでいつも泉崎カントリーヴィレッジさつき温泉っていうところに私は行ってるんですけど、すっごい最高ですよ。サウナもあって、温泉もすべすべで。
 あとランドセル工場があったりとか……。

——めちゃくちゃありますね。

 意外じゃないですか? 私が言っていいのか(笑)結構いろいろあるんですよ。他にもブルーベリーが有名だったりとか。私もまだ勉強中なんですけど、お蕎麦が有名とか。
 私も協力できること、発信することくらいしか私はできないかもしれないですけど、名産みたいなものをちょっとずつ作っていけたらいいなって思ってます。「泉崎といえば」って感じが欲しいですよね。「平田村といえばハバネロソフト」みたいな感じの(笑)そういうのを今考えてます。

——実際にそういうイメージ作りとかPRみたいなところで、ちゃんと力添えっていうか、寄与できたらめっちゃ嬉しいですよね。

 そうですね。ただ私、料理ができないので(笑)「こういう商品いかがですか」みたいな発案とかも苦手なので、私には泉崎村の特産のものとかを歌にしたりとかして発信すること、あとはSNSの活用とか、そういうパイプみたいなものになることが一番なのかなって思ってますね。自分の得意不得意がちょっと、さすがに分かってきたので(笑)。

——その中の一つ大きなものがこの間の「村へす」だったんですよね。

 そうですね、ありがとうございました、ちょっとでもご来村していただいて。でも初めての試みで。前に3組のアーティストさんだけではやったことあったんですけど、場所もああいう陸上競技場の広いところではなくて、お店の一角でという感じで前はやったんですけど。思い切って。

 あの場所が、震災後ずっと放射性廃棄物の置き場になってしまって。震災後帰ってきてそれを見た時、すっごい悲しかったんですよね。昔そこって自分が運動会とかマラソン大会とかすごい盛り上がってた場所だったんですけど、そこがもうそういうの置かれてて、立ち入り禁止みたいなの張られてて、すっごい悲しくて。それがずっと置いてあったんですけど、もしこれ(廃棄物)がなくなったらなんかやりたいなって、ずっと思ってて。村の職員さんたちがすごい綺麗に芝刈りとかしてくれて、レンタルできるって言ってたので、「これは今だ」と思ってやってみたんですけども。なんせ本当段取りが苦手すぎて……。

——いや、めちゃめちゃ大変ですよね。

 でも私一人でやったわけではなくて、私の思いを、泉崎でフェスをやってみたいという思いを、矢吹町バンド連合会の長尾さんという方が「じゃあ協力しようか」って言ってくれて、共催という感じで。いろいろ私は初めてなので、手続きして、消防に連絡して、とかすごい教えていただいたりとかして。
 司会をやってくれた子もいたし、出演してくれたアーティストさんたちもみんな快く「いいよ行くよ」みたいな。それがすごい嬉しくて。本番まで眠れなかったですけど(笑)でも本当にラジオ局とかメディア関係、テレビの方とかも結構応援とかもしてくれて。アピールする時間とかも設けてくださって。すごいありがたかったですけど、次から次にやることがありすぎて、1個1個ちゃんと感謝をまだできてないので、今挨拶回りをしてるところなんですけど。今年いっぱいかかっちゃうかもしれないです(笑)でもやることにとりあえず意味はあったかなとは思ったんですけど。
 一人では本当にできなかったので、皆さんに本当感謝ですね。すごい暑さでしたけど(笑)たくさんのお客さんが来てくれて。

——人いっぱいいましたね。

 なんかもう本当に嬉しかったですね。

——ライブ観てもらえるのも嬉しいでしょうけど、テント張ってゴロゴロしてるとか、ボール蹴って遊んでるとか、そういうのがすごくよかったなって思いました。

 あ、そうそうそう! なかなかそういうのできるところってなかったりしますよね。そうなんです、ああいう広いところだからこそできるし。
 本当は最初、管理者の方に提案したときに「芝生を傷つけちゃうからテントとかはちょっとな」みたいな感じだったんですよ。でもいろいろ進めていくうちに、その方もノリノリになってきて(笑)「テントとかもOKー!」みたいな。「犬とかもOKー!」みたいな感じで、「自由にもうやっちゃえ!」みたいな感じで言ってくださって。なんか本当にいろんなものを、いろんなことを学びました。学んだというか、与えていただきました。

——こういうのって、一人でやろうと思ってできちゃう人も多分いると思うんですけど、でもそうやって管理者の人とかを巻き込んで乗り気になってもらうことで、いろんなものがOKになってみたいな流れとか、巻き込んでこそのところがあるんだろうなって、聞いてて思いました。

 泉崎村役場の方とかも、シャトルバス……異例ですよね。ダメ元で本当に提案というか、ぽろっと言ったんですけど。駅から陸上競技場まで、地図で見たら近く見えるんですけど、実際歩いてみたら50分かかって。「真夏に50分はダメだ」と思って「バスとかって例えば借りるのにどういう手配とかすればいいんですか?」みたいなこと聞いたら「じゃあバス出すよ」みたいな。「ただ時刻だけ決めてもらえれば」みたいな言ってくださって、そのバスの時刻決めがすごい大変だったんですけど(笑)バスの時刻表を作ることなんて人生であると思わなかった……(笑)1週間くらいは悩んで。でもお客さんすごい喜んで乗ってくださって、利用してくださって。

 村長さんのご挨拶とかもいただいて、すごいことですよね。だって前例のない、どこの小娘かも……(笑)得体の知れないイベントに、協賛してくださった方とか応援してくださった方もいて、ラジオ局、テレビ局とかも、後援とかもですね。それってなんか、すごいことだよなと思って。そのくらい応援してくださって、私だけじゃないっていうか……全人類の愛が(笑)詰まったイベントになりましたね。
 もちろん改善点とかもたくさんあるので、とりあえず来年もやる予定ではいるんですけど。暑すぎるのが心配なので……8月20日だったんですけど、8月20日って私の中で、夏の終わりで涼しい感じのイメージだったんですけど、めちゃくちゃ暑かったんで。

——温暖化ですよねえ。

 ですよね。やっぱりちょっとそこも相談しつつ、もっといいものをっていうか、泉崎村に進入してくれることがすっごい嬉しかったです。ご来村って呼んでるんですけど、「泉崎村知ってるけど、どこ行っていいか分かんない」みたいな方って多いと思うんですよ。そういう足を運ぶきっかけにはなったのかなとは思いますね。

——まさにそれこそ(永井も)、ちゃんと泉崎行こうって思って行ったことなかったので……ご来村でしたね。

 ありがとうございます。

このままの自分でもいいのかなって、思えるようになりました

 これ(インタビュー)面白いですね、自分を振り返ったりとか、自分の気持ちとかにも気づけたりして。

——わあ、よかったです。ここまでで話せてないこととかありますか? 話しそびれ。

 結構話しましたよね。皆さんってどんな感じですか? 皆さんも生い立ちとか、あと今後とかのあれですか?

——そうですね、今だいたい生い立ちのところを聞かせてもらったと思うんですけど、あとはこれからのお話を聞いて終わるみたいな。

 だいぶ話した気がしますね。
 でも、2011年か12年にジョンさんとmixiでマイミクになって、今で言うDMみたいなものをして「音楽がやりたいんですよね」「でも仕事とかが忙しくて、ちょっと今難しくて」みたいな話をしたら、ジョンさんが「忙しくてできないっていうのは言い訳の一つだから、本当にやりたいことは自分で決めな」みたいなことを言ってくれたんですね。すごいありがたい言葉ですよね。で、それに対して私返信した形跡がなくて……(笑)。
 こないだたまたまmixiログインできちゃって、昔のアドレスを思い出して。「ジョンさんだ〜!」と思って、ありがたいことを言ってくれてると思って、でも何も返してない(笑)失礼だったなと思って。

 でもそう考えると、こないだピークアクションの12周年イベント出演させていただいて、あの頃の自分だったらそういうの想像できてなかったなと思ったので、思い切って苦手なことに挑戦する……自分だったらステージで歌ったりとか人前で喋ったりとか、目立つこととかがすごい苦手だけど、そういうのを思い切ってやってよかったなって今は、思ってますね。喋るのとかもまだまだ苦手ですけど、でもそれを面白いと思って見てくれてると思うんですけど(笑)それだったら別にこのままの自分でもいいのかなって、思えるようになりました。それがすごい大きかったです、自分の中で。

——あくまで今まであんまり接点がなかった僕の目線でですけど、行動力とか決断力がすごいなって思って聞いてました。イベントとかもそうですし、いろいろ悩んだけど東京行ってとか、悩んだけど帰ってきてとか。

 私がですか? ただ衝動的な……(笑)でも自分の短所でもあると思って。衝動的だったりとか、周りによく言われるのが「危なっかしい」だとか。でもそれが割といい方向に転ぶ時もあって、それがなかったら今の周りにいる人達っていないと思ってて。そういう、ちょっとずつ自分を許せるようになってきました。失敗するのとかは嫌ですけど、そうですね、行動力……自分では思ってないです。

 っていうのも周り、周りというかMANAMIちゃんの(笑)行動力ってすごいじゃないですか。私は連日ライブとかって、だいぶもう切り替えが……やったりはしますけど「何喋んなくちゃいけないかな」とかいろいろ……MANAMIちゃんはそれをパンパンパンってやったりとか、「今日はここで? え、昨日あそこにいなかったっけ?」みたいな感じで行動するじゃないですか(笑)それを見てると、自分は全然動いてない方だなっていう錯覚に陥るんですけど、でも自分のペースでいいって思いましたね。
 自分のペースでしか……無理に予定とか詰め込みすぎて、一個一個のライブの質というかそういうのを落としてしまったら意味ないと思うので。お客さんにも、曲にも、自分にも失礼だと思ったので、これからもマイペースでいきたいと思います。

——きっと来年も「へす」はやられると思うんですけど。

 そうですね。これからは制作期間で、ステージとかはちょっとお休みして。CDとかも作ってないのもあるので、それとかを作りつつ、曲とかも貯めつつ。また余裕ができたときステージに立ちたいなと思ってますね。ラジオとか泉崎アピールの仕事とかはやりたいと思ってますけど、多分全部やってたら倒れちゃうと思うので(笑)。

——近いところだとそういうような感じで活動しつつ、長い目で「こういう風になっていきたい」とか「こういうことやってみたい」とかってことはあったりしますか?

 うーん、いっぱいあるんですけど(笑)いっぱいやりたいことがあって、だから頭の中がすごい今、「あれもしたいこれもしたい」ってなってるんですけど。
 なんですかね、やっぱり泉崎村を知っていただきたいですね。欲を言えば泉崎村に足を運んでいただきたい、もっと言えば住み着いてほしい(笑)まあまあでも、自分が本当にできることは音楽を作ることなので、音楽で、県内だけじゃなく、全……あれ、「全世界」でしたっけ?「全国」のほうが小さいですか?(笑)あれ、どっちだっけ?

——「日本全国?」

「全世界」に!

——ああ〜そっちだったんですね(笑)大きい方だった。

 自分を育ててくれた泉崎村を知っていただくことが、自分の泉崎村への恩返しだと思ってます。

——応援しております。

 ありがとうございます(笑)。

——ってな感じですかね?

 あと何ですかね、あんまり生い立ちとか今まで喋ることってなかったから、すごいですね、すっきりしました(笑)ってなりますね。
 あ、スイカについて全く触れてないんですけど(笑)。

——確かに(笑)。

 なんでスイカ持ってるのか聞かれる時あるんですけど、自分は苗字が「小玉」で。弾き語りを福島県でし始めた時のライブカフェのオーナーさんが「小玉スイカじゃん」みたいな。私のことをスイカって呼び始めたんです。最初は私「ないっすよ〜」って言ってたんですね。
 でもなんか……多分意識してたんですよね(笑)。中古ショップででっかいスイカのクッションがあって、気づいたら買ってたんです(笑)で、そこからステージでキーボードにスイカのクッションを置いて歌うスタイルになって。で、グッズとかもスイカのモチーフみたいな感じで、活動させていただいてます。
 赤が好きっていうのはあるんですけど、もともと。本物のスイカは……好きなんですけど知覚過敏がちょっと(笑)好きですよ、チンすれば……。

——スイカチンするんですか??

 美味しいか分かんないですけど(笑)。っていう感じですかね。
 だいぶしゃべりましたね。

 スイカのたわし要ります?

——いいんですか? これ何に使ったらいいんですか?

 たわしなんで、食器洗いとか。お近づきのしるしで差し上げてます。魔除けみたいな感じで吊り下げてる人とかもいて。うちのお母さんの手編みなんですよ。

——すごいですね!

 いえいえ。なんか不幸なこととか起こったら捨ててください。

——それは……そうします(笑)。

(笑)捨ててください。

——以上です。ありがとうございました!

 ありがとうございます!


村民こだま(そんみん-)
3月24日生まれ。福島県出身。
2020年より「村民こだま」へ改名し、泉崎村出身・在住シンガーソングライターとして本格的に活動。ラジオやテレビにも精力的に出演する。
今年8月には「村へす2023」を自身最大規模で成功させる。
直近の活動スケジュールはnoteで更新中。
X(@codamax0324
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