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なぜ東大生は『勉強法本』を読まないのか?

書店に平積みにされた数々の『勉強法本』達。
「これを読めば、私も秀才になれるかも、、」という甘い誘惑をまとった本は、毎年ベストセラーになっています。

先にお話をしておくと、
私は東大生ではありません。私自身は、某上位国立大学の医学生です。
(同級生の多くが、東大に受かる実力を持っています。)
高校時代の友人である東大生を見てきて考えを述べていきたいと思っています。

皆さんも一度は手にしたことがあるであろう『勉強法本』。これを読むと頭が良くなったような気がして、モチベーションも湧いてきます。

ですが私が見てきた限り、東大をはじめとするトップofトップの難関大に合格する人で、『勉強法本』が参考になったという人は殆どいません。
『勉強法本』が毒だとは言いませんが、彼らは効果が薄味であり、大切な本質は別にあることを見抜いているのです。

では勉強の本質とは何か?

それは、『自分の認知特性に合った学習法を試行錯誤の中で、自らの力で見つけていきフィードバックしていくこと』です。

それ以上でもそれ以下でもありません。

たしかに一定の勉強法への技はあります。
『記憶は寝る前にしたほうがいい』
『忘却曲線に従って、復習しよう』
『綺麗なノートは無意味』

ですが、情報がインターネットに溢れている世の中に、これらのことを知らない受験生がどれだけいるでしょうか?—まず殆どの学生は知っています。

殆どの学生は知っているのに、東大に合格できる人材はごくごくわずかです。
自分が知らない情報があるのかもしれないと、『勉強法本』を読み漁っても、出てくる情報は陳腐なものばかり、、、そんな状況だと思います。


残念な現実のお話をすると、受験に対する適性は皆平等ではありません。出来る人もいれば、出来ない人もいます。(出来ない人でも他分野で才能に溢れた人は沢山います。)

思考の癖も、記憶力も違います。
呼吸をするように、集中し続ける人もいます。
後天的に鍛えられる人も居ますが、それもまた才能です。

自分に最も適した勉強法は、自分にしか分かりません。答えは『勉強法本』の中には眠っていません。
東大生の多くは、それを無自覚にも分かっているのです。

合格するための近道など存在わけでもなく、自分だけの方法を悩みながらも探していき、努力を重ねるほかに道はありません。

面白いことに、東大生の中には、側から見れば明らかに非効率的な勉強法をとっている人もいます。
受験本の内容に、真っ向から対峙するような方法です。
高校数学を勉強するのに、大学院以上の教材を使って勉強する人もいます。
ごまかしがなく、綺麗で厳密な証明を論理的に理解する方が、彼の頭の構造にとっては都合が良いのだそうです。

自分にとって一番の勉強法は、自分にしか分かりません。悩み苦しみ、楽な方法があるのではないかと迷うこともあるでしょう。ですが残念なことに『勉強法本』が答えを見つけ出してくれることは殆ど無いと思います。
東大生だって、本当にコレがベストな方法なのかと日々悩んでいるのです。

『勉強法本』は雑誌を眺める程度にして、逃げずに自分と向き合っていくことこそが、大学受験合格への近道です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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