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AO入試は悪なのか?大学の生存戦略から見た才能のポートフォリオ。

皆さんはAO入試について、どのような印象を持っているだろうか?
「アホでもオッケー入試の略だろ笑」「裏口入学」「定期テストだけできた奴」
など、ネットでは散々な言われようである。

たしかに、一般入試で合格した人からみたら、大した成績もないのに、自分と同じ学歴を手に入れるなんてズルいと思うのは自然なことだろう。

AO入試で、高校時代に部活を頑張っていた人を評価してあげたい!みたいな、ありふれた話をするつもりはない。

今回は大学の立場に立ったときに、AO入試を導入することで、どのようなメリットがあるのかを考えてみたい。

想像に容易いことだろうが、一般入試では同じような経歴の人が集まりやすい、例えば地方の国立大学では、その地区の進学校出身者が20%近く占めていたりする。
同じような見た目で、同じように遊ばずに、塾に通い続けてきた人が多い。
私の経験から言っても、あながち過言では無いと思う。

では、金太郎飴のように同じような人材を囲い込むことに、大学はどれだけの利益を見出せるだろうか?

平均して優秀な生徒が沢山いれば、それなり優良な働き口にいくだろうし、大学としての評価も上がっていくだろう。
ただ外れ値のような優秀な人材も、中途半端なレベルの大学では見つけられないのではないかと思う。
また、勉強というベクトル以外の評価軸で、大学を比べてみた際に、周りの大学との間で差別化が難しいのでは無いだろうか。

AO入試はその問題を解決するために、大学が設けた一つのideaなのではないかと考えている。

大学側としてもたくさんの集団の中で、誰が将来大物に化けるのかは、入試問題で予測することなんて不可能に近い。
そこで、異質な経歴の持ち主を集団の中に入れておくことで、10年後20年後の夥しい世界情勢の中で、当たりが全滅してしまわないようにしていると考えられないだろうか。

生物の進化をみても、同じ集団の中で特殊なウイルスに感染して、皆んなが抗体を持っていなかったら全滅してしまうかもしれない。だから、全滅を防ぐためにも、異質な集団の奴を多少は加えておくほうが都合がいいのである。
コレは、大学の人材においてもいえる。

いろんな人材をAO入試という形で取り入れることで、才能に分散投資(≒ポートフォリオ)して、何十年後かに、いくらかの人材が大物になって、母校にとって有利な存在となってくれることを期待しているのである。

某タレントが、「女子アナは見た目が良くて、あとは箔付のために都内有名私大にAO入試で入ればいいのよ!」といった主旨の発言をしていたが、半分正解で半分は間違いだと思う。
そもそも高倍率なアナウンサー試験を通る人というのは、AO入試で課されるような面接試験で溌剌としていて、弁の立つ者なければならないのである。
一般入試の経験者よりもAO入試の経験者のほうが、有利な就活システムなのである。

世の中は複雑なシステムであり、どこが他に影響しているかを予測することは難しい。
だからこそ、大学としても様々なベクトルの才能を集めておくことは、大学側にとってもポートフォリオなのだ。

記事は以上になります。
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