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「嫉妬できる」のは、貴方に"才能の芽"が眠っているからだ。

「うらやましいなぁ。」「自分には才能がないなぁ。」

誰でも一度は思ったことがあるはず。『嫉妬』とい言葉にはジメジメした陰湿な雰囲気がある。どこまでもマイナスのイメージが付きまとい、韓国ドラマのド定番だ。。。

でも最近になって『嫉妬』という言葉には可能性が潜んでいるのではないかと思いこの記事を書くことにした。

私は嫉妬深くて僻みっぽい性格だ。すぐに人のことを批評してしまうし、飲み会では悪口トークに花をさかせてしまう。自分でもそんな性格が嫌いだった。他人の不幸の蜜に群がるだけの害虫。

私は「頭がよくない」ことがコンプレックスだった。私のことを知っているひとなら「そんなことないよ。頭いいと思うよ。」と言ってくれるかもしれない。確かに肩書きだけをみたら高学歴の部類に入るはずだ。しかし自分が思っているほど頭がよくないことが表面的な見栄っ張りな自分を作り上げていた。

でも自分の中でコンプレックスというもやもやとしたカタマリを解きほぐすきっかけがあった。それは周りの友達は芸人さんのことを学歴のないバカな奴だと言っていることだった。

いま頭の中に?マークが出来ていることだろう。。。説明しよう⤴︎

わたしはお笑いが大好きだし、トークが上手くて頭の回転が速い芸人さんをリスペクトしているが、周囲の友達はその凄さに気が付いていないのだ。

なぜこの違いが生まれるのか。
それは「笑い」というものを生み出すカラクリが見えているかどうかである。
カラクリが見えている者にとっては、言葉を武器にして人の感情を巧みに動かす芸人さんには頭が上がらないのだ

しかしカラクリが見えていないと芸人さんが素のままバカをやっているように見えてしまい、まんまと仕掛けにハマってしうのだ。

よく聞く話で「同業者の漫才を笑う芸人はいない」ということがあるが、これはプロとしてライバルとして相手を冷静に分析しているからである。

わたしは笑いが大好きなものだから、せっかく貴重な話をする以上は相手に楽しい思い出を作ってもらうために話にユーモアを混じえたり、たとえ話を入れていく。
「マミちゃんの話はいつ聞いてもおもしろいね。」と言われることは多いし、日々勉強を重ねている。

ゴールデン番組でMCをしている芸人さんのような才能はないけど、お笑いの才能の小石みたいなモノは自分に眠っていると思っているし、信じている。

この友達と私の関係は、逆もしかりである。

わたしは昔からスポーツの才能がなく、運動会ではいつも徒競走でビリだった。プロのスポーツ選手になりたいなんて一度も思ったこともないし、そもそもスポーツ番組自体に興味がない。
なぜなら私にはスポーツの才能が眠っていないから。イチロー選手をみて凄いとは思うけど、なりたいとは思わないし憧れもない、当然として嫉妬の感情も生まれない。

嫉妬できるのは対象の凄さを理解できる能力があるから。もしかしたらその対象には一生かかっても追いつけないかもしれない。だけど嫉妬できるほどの才能が眠っていることはポジティブなことだと思う。戦略と正しい努力次第では才能が開花するチャンスは十二分にある。

わたしは嫉妬という言葉が持つ負の側面に負けることなく、自分の中に眠る可能性を信じて前向きに頑張る人になりたい。

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