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夜に駆ける

夜の10㎞ランニングを再開した。温泉の鏡に映った自分の全身に曲線が多くて、どこか情けなかった。去年の健康診断の時よりも1㎏増えていた。現状のままではダサい自分が加速していくかもしれない。そんな自分を許せるほどの余裕はなかった。

ランニングの前に準備運動と軽い筋トレで心と体を整える。腕立て伏せも腹筋も、すべてが苦しい。ここまで弱っていたのかと悲しくなるし、こんなにできなくなったのかと辛くなる。でも、その刺激によって自分が改善されていくならそれでいい。どうせ退化していくのだから、そのたびに抗っていくことの方が人間らしいと思う。

「汗をかきたい」というのがランニングの一番の目的だ。他にも「風を感じたい」「体力をつけたい」「頭をすっきりさせたい」みたいなサブタイトルもある。走っている時は酸素の出入りが激しくなるので、思考が整理されやすくなる。何も考えずに走る。なんでもないこの時間が、今は一番楽しい。けど、考えてしまう時間が少しずつ増えているという事実もある。


22時頃の街は若者で溢れている。麻雀を打ったり、TSUTAYAでカードゲームで対戦をしたり、男女二人で仲よさそうに話しながら歩いていたり、関西圏に行くための高速バスに乗り込んでいたり。それぞれの横を走り抜けていくたびに、なんとなく自分と比較してしまう。

深夜にカードゲームで対戦できる友達がいるほうが幸福なのか。手を繋ぐかやめとくか悩んでいる彼のほうが青春を送れていることになるのだろうか。思考の檻から脱出できたと思っていたのに、新たな檻に案内されている気分だった。思考の渦にずっと飲み込まれている。

悩んでいる自分が一番正直な自分だと思う。かっこつける人、変に優しくしようとする人、自称サバサバと予防線を張ったりする人よりも本来の自分の枠に近い状態でいられる。でも、自分が自分過ぎると疲れてしんどくなるのかもしれない。だからコスプレをしたり、他人事のように振舞ったり、フィクションばかり話したり。「自分じゃないもの」になること、それを楽しむことがどこか気休めだったりするのだろう。いや、勿論自分もフィクションは好きなんだけどさ。



この文章も走りながら頭に思いついたことばかりだ。いったん息が続かなくなってきた。スマホのメモに箇条書きで書いとこう。折り返し地点の歩道橋まであと少しだ。もう5㎞も走っていたことに驚いてしまった。

歩道橋の階段を上がりきると、右ひざにくもの巣が少し引っかかっていた。なんだ、この歩道橋は自分しか使っていないのかも。通路を歩き、下りの階段に差し掛かる。イヤホンの音楽の順番を並び替える。Gary GitterのRock And Roll Part Ⅱが聞こえてくる。

音楽のリズムに身を任せて階段を下りる。映画のジョーカーみたいに足を伸ばしたり、ステップを刻んだりしてみた。もしかしたら、自分以外の誰かになりたかったのかもしれない。ジョーカーの真似をすることは最初は楽しかった。でも歩道橋を下りるたびにやっていたら飽きてしまった。変な筋肉痛になったし、誰かを演じたとしても自分は結局自分でしかないから。自分ぐらいは自分で信頼していきたいと思う。



夜に考えごとをするとネガティブに陥りやすいからやめとこう。深夜に考え込むくらいなら早く寝て、ちゃんと起きて、朝ごはんのおいしさに感動するほうが幸福でいられる。日頃から運動をしておいたほうが絶対に健康的だし。早く走り切って、お風呂でさっぱりしたい。

自分の話す言葉には、自分の素直な思いが伝わるように話しているつもりだ。事実だけを愛してほしいけど、皆はフィクションのほうが話してて楽しいのかもしれない。「あんたと話をするときは脳をフル稼働させてるよ」。そう笑って言うけどさ、事実だけだとしんどかったりするのかな。フィクションは、本来の自分を保護するカバーみたいな存在なのかもしれない。

自分の思いを自分の言葉で紡いで会話ができるような人。それができる友達や家族、先輩後輩との関係を大切にしていきたい。フィクションばかり話す人は少しだけしんどい。10㎞休憩なしで走ることよりもしんどい。まだ10㎞休憩なしで走りきったことはないけど。

1時間12分で10㎞のランニングが終わった。1時間は切りたいな。休憩の回数も徐々に減らしていけたら。理想の自分に少しずつなれるように。タイトルがyoasobiみたいになってしまった。全然狙ってなんかないです。だって、一番好きな歌手は星野源だもの。それに、夜に走っていたのも事実だしさ。

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