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素数

生きづらいなぁ、の毎日を綴り続けている。皆のようなスピードで物事を理解することができない。自分の考えを言葉に変換して端的に説明することも苦手。不器用で、人見知りで、要領が悪い。

人に頼ることも苦手だから、自分一人で抱え込む。でも限度があるからいつかは倒れてしまう。落とした荷物を拾いあげる度にそんな自分が嫌になる。今までいろいろ諦めてきたはずなのに。

人の五倍頑張ってようやく凡人レベルかな。頑張った分だけ成果が出る、なんてのはたぶん嘘だ。足りない部分を埋めることで精いっぱい。才能がないから努力を重ねているのに。才能がある方に努力をされたら、こっちはもうたまったもんじゃない。

だからと言って埋め合わせの努力を放棄するとそれはもう地獄のような景色が広がっている。生きる理由はわからないけど、生きていかない理由もわからない。わかりたくないからわかっていないんだと思う。

日常生活にも気を付けているのに肌荒れが止まらない。運動を続けていないとだらしない体になってしまう。嫌いな勉強もやっておかないと皆に置いて行かれる。

授業のたびに差が開き続けている気がして情けないし悔しい。いつも一人だし孤独だ。自分と向き合ってばっかりだな。だから孤独なんだよな。

自分のことをわかってくれるのはやっぱり自分一人しかいなくて、結局ひとりなんだよなと寂しさと諦めの狭間でふらふら歩いている。この孤独感が天才由来のものなら嬉しいけど、そうじゃないとわかっているから辛いなという感情で押しつぶされていく。




人と違う部分が多い気がする。一緒にいるはずなのに僕だけ浮いているように見られることがある。上手に場に溶け込めないし、物事を決める時になかなか割り切れない。僕は多分素数なんだと思う。

友達、先輩、後輩、教師、両親、弟、同級生...
基本的に皆のことは好きだ。けれど個人差はあるが心のどこかでそれぞれに距離感を感じる。信頼していない訳ではない。でも、信頼しているかと言われたら答えに迷うことがある。

素数は2以上の自然数で、1と自分自身の数字でしか割り切れない数字だ。

素数の人間は良くも悪くも、“孤独感”を覚えながら生きている。これは命尽きるまでずっとそうなんだと思う。結局、一番信頼できるのは自分自身なんだな。自分自身と対話をして内側の世界から成長していく。自分自身で覚悟をもって決めたことはやってやるぞと割り切れるかもしれない。




さっきまで孤独なことは寂しいことだと思っていた。でも孤独は本当にマイナスな言葉なのか。一人=寂しいという世の流れ。21年生きてきたけどそうじゃないように思えてきた。

一人の時間って誰にも気を使わないから、本当にやりたいことを楽しめる。一人の時間があるからこそ僕の精神は安定できているし、人にも優しく接することができると思う。自分が安定していないのに人にやさしく穏やかに接するのは僕には無理だ。

人に振り回されると疲れる。依存しすぎると疲れる。一人の時間は自分で自分の幸せを作れる唯一の時間だ。これを孤独と皆は言うのだろうけど、この時間を寂しそうって言葉で片付けられてもいいのだろうか。

孤独な人は自己完結できる人だと思う。他人に頼らずとも自分で安定させられる。自己完結できているからこそ人に丁寧に接することができる。

自己完結するためには、自分一人の時間を持っていないといけない。これからも孤独のイメージは付きまとうかもしれない。でも、僕はこうやって生きてきたから。一人の時間は大切にしていきたい。




それでもやっぱり寂しいときはある。だから僕と似た素数の人が傍にいてくれたら。二人の時間が楽しいと思える人がいたらいいのにな。

でもそんな人はなかなかいないだろうから、これからもしばらくは一人で生きていく。


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