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なまけものと機械の眼

 ふとした折に、イルフォードのモノクロ・インスタントカメラを頂いたことがきっかけになって、近頃はモノクロの写真ばかり撮っている。

 写真というのは、なまけものに向いていて、見ること、シャッターを切ること、このふたつの手順だけでいい。ほかにはなにもしなくていい。それに、「見ること」といったって、結局写すのは機械の眼なので、自分の見たものとはだいぶ違っている。そうなると、シャッターを押す力さえあればいいわけで、ということは機械や動物にだってできるわけで、いわゆる「人間」なんて必要ないのではないかという思いがいよいよ強まる。機械と光のあいだで、オブジェに還元された街が語る。あるいは途方もなく沈黙する。ウジェーヌ・アジェの写真が、あんなにも人間不在の美しい宇宙をたたえているという事実は、カメラを構えた人間の情けなさにかかわってくるだろう。機械の眼が、人間を透明にしてくれる。撮る者から離れて、写真は勝手に「起って」いる。

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