Fleur cent têtes・百頭花(ひゃくとうか)

Surréalisme. Fugnélririnca. 絵や文章をつくります。 ▶︎po…

Fleur cent têtes・百頭花(ひゃくとうか)

Surréalisme. Fugnélririnca. 絵や文章をつくります。 ▶︎portfolio https://flaneurfleur.myportfolio.com/

最近の記事

邦題『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』

ゴダールの遺作を見た。 原文タイトルは「永遠に存在しない映画『奇妙な戦争』の予告編」という感じだろうか。 回転扉のように、開かれることそれ自体によって幾重にも開かれつづける、一種のコラージュ作品。 音楽が急に鳴ったり止まったり、長い沈黙が広がったり。そのために私たちは息をのんだり、びくっと震えたりすることになる。このコラージュは映像や言葉や色だけでなく、見るものの呼吸までもを切断し、その身体を元あった場所から追放し、緊張のなかに貼りあわせてしまうのだろう。 強迫的に繰り返

    • カウリスマキ『枯れ葉』

      アキ・カウリスマキ監督『枯れ葉』を見た。 言語化した途端に全く変質してしまうようなディテールの積み重なりが、人とその生とのぎくしゃくした間合いを、食べこぼしのようにボロボロ落してくる。「膝までコンクリートの中」に浸かって泥濘にまみれ絶望しながら、ふと向こう側まで突き抜けてしまったときに込み上げてくる乾いたおかしさ。 顔の片側を引き攣らせるようなアンサのぎこちない微笑は魅力的で、日々あちこちから向けられる商業的なほほえみと不当に侵犯した境界線を後ろ足でサッサッと汚ならしく均す

      • 伴田良輔監督『passacaglia 道』

        人が当たり前のように見ている世界から、人の眼を外してしまったらどうなるか。草木や鳥や帽子や幾何学図形たちは人の眼に見られることをやめてはじめて、別のところにある生を、本来の生を生きはじめるだろう。それはときに、各々の生であると同時にすべてのものの生でもあり、そしてすべてのものの死でもある。生と死が、存在と不在が睦み合い、重なりたわむれながら、ついには同じものとなってしまう。 見る者もまた、映画の冒頭からすでに、それと気がつかず変容してしまっている。闇のなかで決壊しつつある壁の

        • 飯田将茂監督・最上和子氏主演「HIRUKO」を見る

          先日は飯田将茂監督・最上和子さん主演「HIRUKO」へ。 此方へ木を捧げる人びとの所作や静かに伏せた眼、そして白い枝の境界に、この身体では未だ体験していないはずの遠い自分の死の記憶が蘇る。弔いの眼差しと炎に肉を清められたときの記憶。私は生者たちの佇む場から遠ざかる。すると私の身体において何ものかが、生者たちに慈愛を注ぐのがわかる。そこには、生れてしまってどうしようもないすべての生命(「私」もまたそのうちのひとつだ)、柔らかい肉を着て生きて死ぬ運命にある者たちへの哀しみと慈し

        邦題『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』

          伴田良輔監督『森へ island』を見る

          先日は伴田良輔監督『森へ island』を見に行った。 素晴らしい映画だった。 冒頭、ヤカンをもった男性(=伴田さん)が水を汲む。森のあらゆる場所に流れたりとどまったりしている水は、なんとなく「記憶」に結びついているように感じられる。それをヤカンに汲むと、ヤカンが少し重くなる。歩みに沿って揺れていたこの丸いオブジェの重心が変わる。音も変わる。 草木の匂いが漂うなか、初めはマン・レイの映画にも似た雰囲気で光をとおしたりごろんと身を投げだしたりしていたオブジェたちが、だんだんと

          伴田良輔監督『森へ island』を見る

          彼女たち

          絵を描いているとき、トンネルになってあっちの人たちをこっちに通してきている感じがするけれど、もしかして人間の死も同じなのではないか? 私は彼女たちをうまく通してやれないといつも落込む。トンネルになるべく障害物を置かないようにし、長い滑り台を滑るようにして彼女たちが紙の上にすとんと落着けるように気を配る。 彼女たちは私とは関係ない。ただ彼女たちは、私の頭の周波数が彼女たちの世界と近いので、移動するのに使いやすいと考えて、私の頭と手を経由することに決めたのだという。彼女たちは

          なまけものと機械の眼

           ふとした折に、イルフォードのモノクロ・インスタントカメラを頂いたことがきっかけになって、近頃はモノクロの写真ばかり撮っている。  写真というのは、なまけものに向いていて、見ること、シャッターを切ること、このふたつの手順だけでいい。ほかにはなにもしなくていい。それに、「見ること」といったって、結局写すのは機械の眼なので、自分の見たものとはだいぶ違っている。そうなると、シャッターを押す力さえあればいいわけで、ということは機械や動物にだってできるわけで、いわゆる「人間」なんて必

          黄道十二宮と星座Ⅰ(魚座、牡羊座)

          黄道十二宮と星座Ⅰ(魚座、牡羊座)

          U星よりIをこめて -『水玉自伝』外伝-

           聴えますか。こちらはU星。月の裏面、前衛都市とも呼ばれます。わたしのことがわかりますか? そうです、あなたはいま盲目で、わたしが誰なのか、どんな眼をしているか、どこから来たのか、何も見えない。ただ、目蓋の内か外かもわからない場所で、黒くうねる線を見つめているだけ。あなたがなぜ盲目なのか? それはわたしにもわかりません。まだ、書きだしだからじゃないかしら。あるいは、恋は盲目と言いますでしょう。だから、あなたはわたしに恋しているのでしょう。恋は小説の書きだしに似ています。大丈夫

          U星よりIをこめて -『水玉自伝』外伝-

          『KERA』と最近のこと

          「検察庁法改正案」反対のツイートを投稿したことで、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅに対する誹謗中傷(なかにはかなり偏見に満ちた職業差別も)が集まっている。きゃりーちゃん本人がファン同士の言い争いを避けたいとの説明の上、該当ツイートを削除したことから、「ものが言えなくなる過程を見せられているようだ」と評する人も多くいた。 その文脈から、Twitterでは「#きゃりーぱみゅぱみゅさんを応援します」とか、「#きゃりーぱみゅぱみゅさんを攻撃しないでください」というハッシュタグが作られて、

          夢のなかで聴いたおそろしい歌を思いだした話

           ある日の夢。  戦争中であるらしい。私はある質素な建物のなかで、知らない人たちと身を寄せあっている。  異郷の者である私を匿ってくれているらしい彼らは、ひとつの民族であるという。多くの者が、枯れた植物を編み込んで作ったような、簡素な笠を被っている。掘り起したばかりの土か、あるいは草か果実のような、熱帯気候の匂いのようなものが漂っている。  私のもとに、小さな愛らしい子どもを抱えたひとりの男が近づいてくる。笠を被っていないその男も民族の一員であるらしく、にこにこと笑いかけな

          夢のなかで聴いたおそろしい歌を思いだした話