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夢のなかで聴いたおそろしい歌を思いだした話

 ある日の夢。
 戦争中であるらしい。私はある質素な建物のなかで、知らない人たちと身を寄せあっている。
 異郷の者である私を匿ってくれているらしい彼らは、ひとつの民族であるという。多くの者が、枯れた植物を編み込んで作ったような、簡素な笠を被っている。掘り起したばかりの土か、あるいは草か果実のような、熱帯気候の匂いのようなものが漂っている。

 私のもとに、小さな愛らしい子どもを抱えたひとりの男が近づいてくる。笠を被っていないその男も民族の一員であるらしく、にこにこと笑いかけながら私に子どもを見せてくる。

 彼らには絶対的な信頼を寄せる歌があるということを、私はなぜか当たり前のように知っていた。たとえばお祈りのときや小さな子どもをあやすときには、かならずその歌を歌うことになっているのだ。
 私がその歌を歌うと、男は子どもをあやしながら、喜んで一緒に歌いはじめる。

 けれども私はそのとき、頭のなかに直接情報を流し込まれるようにして知る。
 この歌を歌うときには、この民族の大人はかならず笠を被っていなければ、見えない精霊に頭を持っていかれてしまうのだということを。

 私がそれを知った途端、男は静かに青ざめて、ゆっくりと自分の頭をおさえる。なにも知らずにキャッキャッと笑っている子どもも笠を被ってはいないが、まだ頭を持っていかれる年齢ではない。私は異郷の者で、この民族の生れではないから、問題ない。
 男は静かに青ざめたまま、両手で頭をかかえて何処かへ去ってゆく。さっきまでそれぞれに歓談していた周りの人々が、いまは目を見ひらいて彼を見ている。おそらく彼らには、精霊が近くまで来ているのがわかっている。
 私は目を覚ます。やがて頭を失う男の、じわじわとした焦りに満ちた顔が、まだ私の視界にこびりついている。

 明瞭な夢だった。目が覚めかけるときにはまだその歌のメロディを覚えていたのだが、目が覚めきるとすぐに忘れてしまった。

 しかしその歌のメロディを、つい先ほど、突然思いだした。
 沖縄の民謡にありそうな、下駄を鳴らして散歩する音のような、熱帯気候の地によくあうメロディだった。


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