一体誰が戦争をしたがってるのか?
ロシアウクライナ戦争が終結しないうちにイスラエルでも戦争が起こっている。
遥か彼方、日本から第三者的にしか見られないなりに疑問に思うことがひとつある。
恐らくこの疑問は多くの人に共感してもらえることと思う。
一体誰が戦争をしたがってるのか?
もちろん各々の国民ではあるまい。
例えば今から日本とどこかの国が戦争しますと言われたところでワイのような末端国民は「そうだ!やれやれ!」などと珍好プレーのようなヤジは飛ばさないことは約束出来る。
なぜなら戦争を始めるということは自らの生活が脅かされる一大事であり、エンタメとして見れるほどゆとりは持てないからである。
したがって自らの生死を賭してまで戦争を応援(ヤジ)する気はさらさらない。
大多数の国民は恐らくワイと同じような考えを持っているのでは無いかと思う。
そう考えると戦争を起こしたいのは大多数ではなくごく少数の人間ということになる。
この世界はごく少数の人間によって決められていることが多すぎる、なんなら自分たちの生死すらである。
この世界に生まれ落ちた時から今まで自分で決めたことはどれだけあるだろうか。
そう自らに問いかけた時、胸を張って決めたと言える事がほとんどないことに愕然とする。
高校進学は誰が決めた?
就職先は?
どうしてその人と結婚しようと思った?
なぜ税金を納めるのか?
消費税を10パーセントに決めたのは?
いつ死ぬのか?
いつまで生きられるのか?
今日の夕ご飯の献立は?
しょうがないよなそういう世界なんだもの。広い目で見たら自分で決めたって事になるなんて大人びたものの見方は逃げの口実じゃあないか。
全てが予定調和、目に見えないルールにコントロールされる人生。
あ~あああ~ヤンナッチャッタ。
番狂わせなんてのもなかなかオツじゃない。この生に置いて1度でいい、どんな些細なことでもいい、奴らをだし抜けたら本望である。
めでたしめでたし。
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