私のネガティブを救わないで

 世の中には、ポジティブな人間が大勢いる。そして、自分以外もポジティブにしてやろうという野心を持つ人間も大勢いる。

 私はそういう人間が大嫌いだ。



 ポジティブな人間はどこにでもいる。会話の中でひとたびネガティブをちらりと覗かせれば、彼らはすぐさま飛んでくる。頼んでもいないのに自分の持論をひけらかし、解決策を提示してくる。眉を少し上げた、余裕の表情で。

 私はただ、ネガティブなままでいたいだけ。ネガティブな考え事をしていたいだけ。なのに、彼らはゴミ拾いみたいな善の心で、私のネガティブを消そうとするのだ。


 ネガティブなことを考えるのは燻製に似ている。燻して燻して燻し続けて、自分が納得のいくくらい燻し終わったら完成する。とことんネガティブのどん底を味わうかもしれないし、考え抜いた結果、逆にポジティブになるかもしれない。完成品のかたちは人それぞれだが、共通して言えるのは「自分が満足するまで考え抜いた」から完成するということだ。

 そうやってできたネガティブの燻製は、人の性格を大きく捻じ曲げてしまうかもしれない。でも、それでいい。それで性格が捻じ曲がってしまうなら、そういう人間だったということ。自分が自分だけのために考えたいと思い、自分の気持ちの底まで探りたどり着いた答えは、とても尊いものだ。

 それをポジティブの人間は、どんな状況でもネガティブは悪とみなし、ポジティブに矯正しようとしてくる。燻製が目的であろうとも、そこに煙が立っているという状況が許し難いのだ。
 そしてなぜ、彼らは煙を消したがるのか。それは「煙を消した」という功績が欲しいからである。人が好きで燻製を作っているのに、それを途中から邪魔をして、あたかも良い事をしたかのように振る舞う。なんと迷惑なことだろうか。

 これの恐ろしいところは、ネガティブを助ける行為が「良い事」として広く知れ渡っていることだ。「良い事」として知れ渡っているこということは、これを拒むことは「悪い事」となる。ネガティブを助けられたとき、それを拒んだ場合は、こちらが悪者になる。助けを受け入れても、燻製は完成せず、助けた本人は「良い事をした!」と満足気だ。助けを拒んでも、受け入れても、釈然としない未来が待っている。私はこれが許せない。


 これを読んでいるポジティブな人間に伝えたい。勝手にネガティブになっている人間を放っておいてほしい。助けを求められたときだけ、救うか救わないかを選んでくれ。なぜあなたに、ネガティブな人間を救いたいという気持ちがあるのか、今一度考えてくれ。そこには必ず利己的な理由が存在する。

 もし、それでも、あなたが助けを求めていないネガティブな人間を救おうというのなら、それは加害かもしれないという自覚を持ってほしい。その人の大切な何かを奪う可能性かある、という自覚をもってなお、その人を救いたいという気持ちがあるのなら、そこで初めて自発的にネガティブな人間を救ってくれ。

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