日記/夜が好き

 くるくる回る地球が、太陽から放たれた光を受けている。光が当たり始めるときを朝と名付け、動き出す合図にしている人間。あたりまえのことなのに、奇跡的なものを感じる。

 もし太陽が光の代わりに甘い香りを放っていたなら。きっと人間は甘い香りが濃くなってきたら起き、薄まってきたら眠る。仕事も、甘い香りが濃くなったら始まる。鼻がつまりがちな人は社会不適合者とみなされる。おそらく私は、チョコレートやドーナツを素直に好きにはなれない。


 夜は、なんの役にも立たないことを考える時間を私に与えてくれる、許してくれる。

 私は夜が好きだ。


 私はネガティブな性格だ。自分のダメなところばかりに目が付いてしまうし、何かを始めようとするとき、やらない理由ばかり思い浮かべてしまう。空想をするときですら、悪いことばかり考えている。実はそれが嫌いという訳ではなく、ネガティブなことを考えているときの「エグみ」みたいな味が好きだ。

 しかし、空が明るいときはネガティブなことを自分からあまり考えることができない。なぜか。なんとなく、場違いというか、申し訳ない気持ちがあるから。照りつける日光はまるで「頑張れ!」と応援するかのように、前向きで現実的な人の味方だ。眠気眼を朝日でこじ開け、本日も良い一日を!とじわじわと気温を上げる。人間の活動を活発にするように無理やり操作しているみたいに。

 それに比べて、夜はどんな感情も受け止めてくれる。寝てたっていいし、起きてったっていい。前向きになってもいいし、後ろ向きになってもいい。明日から使える現実的なことを考えてもいいし、一生使うことのない無駄なことを考えてもいい。なんの期待もせず、どんな感情にも無関心でいてくれる。だから安心して、大好きな「エグみ」を気が済むまで味わうことができる。それを許してくれる。


 夜の景色も好きだ。昼の世界はすべてのものを平等に照らし見せてくれるが、それが夜になると、まるでくり抜いたみたいに、人間の作ったものだけをキラキラとしたかたちで見せてくれる。

 マンションやアパート、一軒家の付いていたり付いてなかったりする明かりや、人の目をひこうと工夫を凝らされたお店の看板。さまざまなかたちの街頭。人工物の明かりのすべてには、人間の生活や思いが宿っている。
   ふだんは景色に扮しているものたちが、光という借りもので、自分のからだ以上の大きさで、存在を主張している。それを、汲み取るも汲み取らないも自由。夜は、そんな素敵な舞台を用意してくれる。


 夜へのラブレターを書いているうちに、夜そのものも終わりを迎える。今は火曜の深夜1時。明日は仕事。睡眠というかたちで、自分から夜への別れを決断しなければならない。ずっとこうやってネガティブなことや役に立たないことを考えていたいが、そろそろ寝ないと。おやすみなさい。




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