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21世紀の精神障害者 2

こんばんわ。ただいま午前2時眠れない・・・と言ってもだいぶ寝れない状況には慣れては来ている。もう睡眠障害は10年以上だ。鬱的なものだと体力気力持っていかれるが、今回はそうでもないようだ。といっても寝なきゃいかんのだけど。


私は精神障害等級3級(ADHDと鬱)の手帳をいただいている。持っているから何か便利ということはあまりないのだけど(交通機関が少し安くなったりするが、発行自治体の隣県に勤めているためあまり恩恵なし)
じゃあなぜ発行してもらったかというと、自分の今までの生きづらさの証がここにあるという自分なりの納得と、取り巻く環境への証明書みたいな意味合いが大きい。


こう書くと配慮してくれ感が強く出るかもしれないが、一つには周囲の方々にいろいろ、やっちまうことがあるかもしれないのでごめんなさいと先に謝る感が強い。だいぶ落ち着いてきてそんな大事にはならんとは思いますが一応いきなりぐったりとか、パニクったりと爆弾はこれからも抱えるので。


もう一つは生まれ付き人とは違う感性や個性が、誇らしくもあり生きづらくもあったけど、ほぼ、この障害で説明がついてしまう。つまり自分は特別でもなんでもなく、脳の作りがちょいとずれた人間で、自分に対して過度に調子に乗るなという戒めだったりもする。


(閑話休題)
昨年、夏までは20数年会社のど真ん中で係長的な役割を突っ走ってきたが
一昨年あたりから症状が悪くなり、降格、ヒラ社員に20年ぶりに戻った。
大いにこざかしいプライドが傷ついたし、何より200万近く年収が下がる。家族を養っていくには結構きつい。
もっとも、ぼろやだが親父が建てた家なのでローンは0円。借金がないので何とか回せて行けている。


半年くらい経過した今思うのは、これって役職定年を5年くらい早くしたんだなというのと、何より快適なのは「意思決定に参画しない≒判断しない」のは夢のようだ。私にはこれが重荷だった。20代の上昇志向を過ぎ、だんだん落ち着いてきた時に、漫然と会社のトップをとるのが自分の人生ではないと思っ。しかし、その会社の重要な意思決定に役職有での参画はやはり苦痛でしかない。なので結果オーライである。


とまあ、そんな感じで日々を暮らしている。今朝も早く起きてしまった。本でも読むか、ユーチューブでストレッチするか、5時からのズーム坐禅会の前に坐るか。なかなか楽しい日々であると今は思える (続く)


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