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3月24日(金):「居場所」の変遷

ここ最近は政府が進めようとしている学校や家庭以外の子どもにとっての「第三の居場所」づくりに向けたモデル事業に端を発して、コモンのことやコミュニティに触れてきました。

本日はこれまでとは少し違った角度の社会学から居場所について掘り下げてみたいと思います。

書籍「孤独と居場所の社会学(阿比留久美著)」によれば、もともと居場所という言葉には「居るところ」「居どころ」との意味を持つだけで、特にそれ以上の意味合いはなかったといいます。

ただ、冒頭で触れたような政策をはじめ、私たちが自分の居場所の有無を考える際には「ありのままの自分でいられる場所」や「ほっとする場所」のようなイメージで捉えていることが大半です。

このようなイメージが付帯してきた背景について同書では1980年代に不登校の子どもが昼間に行くことのできる場所としてのフリースクール・フリースペースが設けられ、その活動のなかで居場所という言葉が使われるようになった経緯を説明しています。

そうした場の必要性が認識されるようになり、今度は学校側でも物理的な学びだけに限らず精神的な面での環境設定が意識されて「居場所」のワードが学校側にも取り込まれ、さらには学校の枠を出て社会全体へと敷衍していった経緯のようです。

先のような流れで居場所が「ありのままの自分でいられる場所」や「ほっとする場所」のような意味を帯びて、それが社会全体で使われるようになっていったことは、裏を返せば個々にとっての前述したような場が揺らいできたからに他ならないと思います。

これについて同書では社会が流動化するなかで所属や他者との関係性が変わり、個々人が自分のアイディンティティをどう保つのか、どこでアイディンティティの承認を得るのか、といったアイディンティティを巡る観点が挙げられています。

それとあわせて新自由主義のなかで自分の好きなように生きる自由が保障される一方で自分の選択した結果を一身に引き受ける自己責任化した社会が、自由でありながらも孤独を生みやすい点にも言及をしています。

子どもにとっては他にも核家族化や両親の共働き、遊ぶ場の減少や公園等の空間でできることの制限、塾通いの低年齢化などの種々の要因も絡んでいるだけに、居場所をめぐる問題は一筋縄ではいきませんね。

前掲の書籍「孤独と居場所の社会学」によると居場所づくりに向けた動きはこれまでにも継続的に行われてきたのがわかります。

例えば2000年代に入ると国レベルの政策として「地域子ども教室推進事業」(2004年~2006年)で実施された「子どもの居場所づくり新プラン」が実施され、2000年代後半には厚労省による生活困窮者自立支援制度の「生活困窮世帯の子どもの学習・生活支援事業」でも「学校・家庭以外の居場所づくり」を進める旨の説明があるといいます。

これらは一例ですが、その後も類似した形で政策が組まれ、かつ自治体レベルでも地域ごとに様々な模索がなされてきたようですが、それでも孤独の度合いは今なお深まっているように思えます。

こうした状況を踏まえるとハコモノ行政として公園を新設するだけで事が解決に向かうとは言い難く、多面的な取り組みをする必要性が再確認できました。

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