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坂元裕二 初恋と不倫 感想#1   ~ようやく本題そしてすぐ完結~

きまぐれからスタートした「初恋と不倫」の感想。当初の想定に反して3部作のシリーズものになってしまった。保険を張るための駄文とサブカルという言葉に対する懺悔文の余計なスピンオフ2作品を先に出してしまったためようやく3作目にして本題である。しかし3作品目まで来た時点で大きな問題が発生している。というのもこのnoteをスタートした日は、「初恋と不倫」を読破したてほやほやで熱量マックスな状態だったのだが、熱は冷めるもので読み終わった直後ほどの熱が無い。おそらくこの本来本題である3作品目が一番つまらない文章になってしまうだろう。映画においてシリーズ作品の3部作の3作目は駄作が多いなどと言われがちであるが、身をもって3部作目に入った私は、そう言われてしまう監督たちに同情する。同じ気持ちだよって。飽きるよねって。いや、なにもわかってない。ごめんなさい。まじ巨匠たちとそのファンに誠心誠意の謝意。ギャル。トイストーリーは3が好きよ。4もあれはあれでまあ角度を変えて観れば、。え、5やるの!?おいおいディズニーさんよ。まあ観に行くけどさ。トイストーリーは、なかなか完結しないけど、この「初恋と不倫」の感想文は、3作目で完結するよ。それでは、冷めた熱の追い炊きが終わり「人形の夢と目覚め」が流れたところで感想の本文へいきしょう。あれね「人形の夢と目覚め」お風呂ができましたの曲ね。てれれーてれれーてれれれーてれれてれれれっれーてれれれ。ね。はい本文。

一つ目の文章の時に普通に感想を書いても仕方ないから「脳内キャスティング」という観点に絞って書くという前振りをしておいたので、それに沿って進めることで前提を改めて書くことは省略する。
とはいえ一応普通っぽい感想も一度書いておこう。一応ね。ちゃんと読んだよって証明代わりに。
この「初恋と不倫」は、「不帰の初恋、海老名SA」と「カラニシコフ不倫海峡」の2作品構成になっている。そしてタイトルに含まれてるのかな?「往復書簡」という言葉が表す通り、本作品は、手紙とメールのやり取りでのみ表現されている作品である。この形式で私が読んだことがあるのは「ルビンの壺が割れた」ですかね。あれも確かメッセージのやり取りのみだったような気がする。読んだのが2,3年前で記憶が曖昧過ぎるので、興味のある方は、ぜひご自身で調べてください。すげえ話題になってた記憶があるので、皆さんご存知かもしれませんが。まあとにかくそれ以来の人物が登場せず、そのやり取りから物語が繰り広げられるものだったが、とても読みやすく、とても楽しく読めた。私は、坂元裕二さんの作品の大ファンであるので贔屓というフィルターを外すことが出来ないので、客観的な評価とかは全く不可能だが、やはり坂元裕二好きだな~ってなるものだった。言葉の魔術師とか言われている坂元裕二脚本のドラマや、映画でなされる軽快な会話のテンポ感は、「往復書簡」という形式でも躍動していた。この手紙や、メールでのやり取りからなされる表現においては、一方通行のやり取りが連続して行われるとでも言おうか。言いたいことが言えてないな。んー人と人の会話であると相手の話の途中に割り込んだり、相槌があったり、そういうことが行われるが「往復書簡」の場合そのようなことはなく、一方ずつ、もしくは、片方が一方的に送り続けるなど断続的なやり取りがされている。かな?一見そのような断続的なやり取りではテンポが出づらいはずなのに。なのになのに。やはり坂元裕二にかかるとその制約すら新しいリズムを産み出している。先ほど触れたとおり、一方ずつがメール、手紙を交互に送り合うタイミングもあれば、片方が一方的に送り続けていたり、返信がないことで安否が不明になったり、と人物の心情や、行動の変化を「往復書簡」のシステムを逆手に取り表現することで読み物として新しいリズム感が生まれていたように感じる。本当にあっという間に読み終わった。

そして以前より触れていた「脳内キャスティング」の話に戻す。結論から言うとこの「初恋と不倫」では、脳内キャスティングが不可能だった。どこまで実写化の妄想をしようとも脳内で再生されるのは、目元が陰になり、口元からしただけが見えている男女だった。こうなったのは、やはり「往復書簡」という形式をとっていたからこそなのではないだろうか。テキストにするという行為は、人間の表現ではあるが、直接的に身体から発されてる声や、匂いや、その他もろもろとは違い、何層にもなるフィルターを通して行われることである。私も今この文章が浮かんでいるのは、脳。(ほんとは心とか降ってきてるとか言った方がかっけえけど)動かしているのは、指。出力されているのはPC。的なね。つまり感情の発生源からすごく遠いのだ。テキストは。そうなると意図していない他の解釈が生じたり、っていうは、SNS社会ではもはや当たり前のことにはなっているように感じるが、それと同じように表現においてもかなり感情の発生源から遠いように感じて人間味を感じづらく、この俳優さんぽいかなーってところまでいかなかったのではと。ただ、逆言えば、人間の温度感みたいなのが、薄れる文字のやり取りにおいても、その作中の二人の人間性や、癖が感じられるようにされているやり取りの工夫は本当にとんでもないものだと思った。特に物語の軸から少しずれたところのやり取りの面白味は尋常じゃなく、「坂元裕二感」満々で最高だった。ついでに勝手に坂元裕二を称賛するポイントを個人的に足したいのだが、坂元裕二の作品におけるメッセージには、あざとさがないように感じる。テレビドラマをみていて稀に感じる違和感の一つにこのキャラクターがこの状況でこの言葉いうか?しかもなんか急に説教くさいなーどうした?的なことがある。いわゆる説明的すぎるとか、メッセージの灰汁が強すぎて、登場人物の発しているセリフの向こう側に脚本家の影が見え隠れしている気がする瞬間がある。だが坂元裕二の作品のメッセージは、ちゃんとそのキャラクターが言いそうだし、それを言うまでの心情の移り変わりみたいなことが細かく描写されていることが多く、そういう会話やり取りの巧妙さに「坂元裕二感」を感じてもメッセージには感じない。なんと上品なこと。きっととんでもない視野の広さをもっておられるのだろう。だってあれだけ魅力的な女性たちが多く登場するのだから。そしてこれは、完全に私個人の意見なので。共感して欲しいわけでも、もちろん批判して欲しいわけでもない。まあ軽く流してほしい。とにかくいい意味で脳内キャスティングが出来なかった作品だった。それほど本として良いものだった。脳内キャスティングができないけど、めっちゃ面白いのが本作の最大の魅力かもしれない。

なんかのインタビューか連載か忘れたけど、もしかしたら人違い記憶違いになっているかもだけど、坂元裕二さんはあてがき(人物イメージして書く的な意味、満島ひかりさんとかにってこと)が多い?することがある?全然曖昧で申し訳ないが、そんなことだった気がするので、もしそれが私の勘違いでなく、事実であれば、この作品は、どうだったのだろう?あてがきなのだろうか?それともあてないがきなのだろうか?脳内キャスティングしながら書いたのだろうか?なんてことを読み終わった直後、幸福感とちょっと胃もたれする感じ(これも坂元裕二の特徴な気がするけど)と共に考えていた。なんとも素敵時間をありがとうございました。あとここは、ネタバレになりかねないけど、この本を読んでいて「おすぎとピーコ」の事務所が別なことを知りました。明日使えるうんちくまでくれてありがとう。坂元裕二。

はあなんか疲れたシリーズ作品の3作品目はやはり面白くならないか。面白くなかったか。ごめんなさい。暇だったら別シリーズも始めようかな。意外と楽しいし。こんな感じでお粗末な感想をお粗末な文章でやっていくなら続けていけるかな多分ね。もし読んでくれる人がいなくても楽しいし、いたら楽しいから。いいねnote。本以外にも色んなことをテキトーに触れていくつもりです。ねむいです。タバコ吸って寝ます。またいつかお会いしましょう。


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