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【25】 このごちゃごちゃした感情に名前をつけたい

おはようございます(朝じゃない)。

雪白真冬です。

前に、私が好きと感じる文章についての話をさせてもらいました。

この回では、noteを投稿されている方の中で、わたしが読みやすいと感じる文章や、好きと感じる文章があると書かせていただきました。

今回はこの【10】の続きのような形で、「好きな文章」についてテーマ投稿します。

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最近はとある方の文章がすごく好きで、ふと気がつくとその方の文章を読んでいます(最近はあまり投稿されていないみたいなので少しだけ残念ですが)。

大変恐縮ながら、「風埜いろはさん」が創りだす文章にとても惹かれています。
(許可も取らずURLを貼らせていただいております。すみません。)

※毎日投稿をしているわたしですが、この投稿は数日かけて作成しております。【10】の投稿では完全にギブアップしたこの謎に、今回は答えが出るまで迫っていきます。

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ひとことで好き、と片付けたいろはさん(すみません下の名前で)の文章なのですが、文章を読んでいると、なんとも形容できない、不思議な感情に襲われるんですよね。

正と負の感情が混じり合って、うごめきながら、どんどん膨張していく。

その感情が外に出たがっているのだけど、その感情の発散方法をわたしは知らない。

枕に顔をうずめて、大声で、「あーーーーーー」って言いたくなるような(最上級の尊敬の意です)感覚なんですよね。

けど、後味はすごく幸せな気分になるから、他の記事も読んでみたくなって、同じことを繰り返す。

好きな文章の中でも、とびきり心を動かされた文章に出会ったときの、わたしの反応です。

わたしは小説が好きなので、いろんな小説を読むのですが、もちろん好きな作家さんはいて、この人の文章が好きなんだよね、って感情を抱くことがあります(辻村深月さん、宇山圭介さん、七月隆文など)。

そんなお気に入りの作家さんの中で、特に印象的な言い回しや、構成に出会ったときなんかも同じような反応をしております。

ちょっと気持ち悪いですよね。

少し話がそれましたが、さきほど正と負の感情という表現を使いました。

一丁前に負の感情も感じてしまっているわけです。

自分の中で情報を整理して、感情の正体を書けるだけ列挙しようと思います。
・なんでこんな凄い文章を書けるの?っていう嫉妬
・こんな文章、訓練したところで自分に書けるの?っていう諦め
・文字でこんなに人の心を揺さぶれるの?っていう羨望。そして驚き。
・読んでいて楽しく、気分が高揚してくる満足感。

書いてても恥ずかしいというか、なんと言うか。

わたしの中ではこれらの感情が一気に生まれて、一気に膨張して、なんとも筆舌に尽くしがたい満足度で満たされるのです。

心はぐちゃぐちゃで、楽しいでもない、悔しいでもない。嬉しいでもない、いや、もしかしたら今言った全てが混じっているだけかもしれない。顔は自然と笑顔になるのだけど、心には嫉妬がいて、対極にある感情たちが自分の心で暴れていて。

でも、そのごちゃごちゃがずっと続くわけではない。まるでぱんぱんに水を含んで膨らんでいく水風船が、膨張しきれなくなって突如として弾けるかのように、感情の発散は一瞬のうちに訪れる。

気がつくと惚けていて、脳内麻薬が絶えず身体と心を支配していて。少しの間は何も考えられない。現実から離れて、別の世界に意識だけ飛んで行ったかのようで。

大袈裟な表現に見えるかもしれないけど、わずか数秒の間に、わたしの身体の中を駆け巡る”何か”が確かにあって、

わたしはこの感情に名前をつけられない。

言葉で表現したいのだけれど、それができない。

この感情の答えを知らないから。

でも、最後には必ず、

わたしもこんな表現者になりたい。

この想いが、わたしの心の中に残っている。

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もちろん、いろはさんの文章は読みやすくて、読んでいるときに止まったりすることなく、読んだまま頭の中で内容がイメージできます。

読みやすさ、でいえばわたしも訓練すればマシになるかもしれない。

でも、感情を揺さぶる文章だけは真似できない。

だってそれはいろはさんが持つ個性なのだと思うんです。

感情を揺さぶられるのは、その人の「個性」を感じたから。

【10】でも書きましたが、わたしが好きと感じる文章には往々にして似たような「個性」が存在していると思います。

いろはさんが文章について記事を挙げられていました。

この記事に、「自分が好きだと感じる文章は」の問いに対する答えがあるような気がしました。

正確には答えじゃなく、答えに辿り着くために大切な何か、ですけど。

(以下引用)上手に書くことよりも「読み取った情報」や「心を動かされたストーリー」、「知らなかった感情」等を頭の中で巡らせ、その気づきを自分の言葉に変えて表現することが最も大切だからである。

何か思ったことがあっても、気づきの時点では、同じ内容に気づく人がいるかもしれない。

つまり、ここでは「個性化」されていない。

でも、自分の言葉に変えて表現するときに、個性が現れるんだと思う。ここが、一番大切な部分。

その人が感じたことを、その人なりの言葉で色付けしていく。

【10】で触れた、「言葉選びの秀逸さ」は間違いなくここが要因だと思う。

その人がこれまで生きてきた中でたくさんのインプットがあって、たくさんの選択肢の中からその言葉が自然と出てきた。

わたしは、多くの人が使わないような表現をする人が好きです。

ちょっとふわっとしているしているけど、言葉にするとそんな感じ。

人生観の部分にも出ているけど、わたしはみんなと一緒のものがあまり好きではない。

洋服のブランドも、みんなが着ているブランドはできる限り着たくない。同じブランドなら、あまりみんなが着ていないようなやつを選ぶ。

なので、一般的には少し変わっている表現が散りばめられている文章の方が好きです。

それを語彙力が豊かな人だとするのかどうかは難しいところですが、色んな言葉で、個性的な表現をするひとが好きです。

言葉の引き出しが多いと読んでいて面白いんですよね。自分の想像を斜め上の表現がやってくるので。

文章を読む時、わたしは文章の少し先を予想しながら読んでいると思うんです。このあとはだいたいこんな感じで続くのかな、という感じで。ただ、その予想を良い意味で裏切ってくるのが、わたしが”個性的な表現力を持ちあわせている”と感じる人かもしれません。

なんか、心に響くし、残るんですよね。

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少し長くなりましたが、言葉の秀逸さは”予想の斜め上をくる言葉の引き出し”かなと感じました。

もうひとつの「文章のリズム」については、ほとんどが読みやすさで良いと思っています。強いていうなら、言葉の秀逸さと同じ、予想される展開から良い方向にずらしてくる。これがわたしが好きなリズムなのかもしれません。

ともすれば、わたしが面白いと感じる文章の根源は、わたしの予想の斜め上をいくか、に帰着されることになるのですが、

なんか凄い上から目線だなって感じてしまいました笑。わたしはそんなえらいことを言える文章力を持っていません。でも、ただ謎に迫っていくとおそらくはそういうこと。

人様に大体的に言えることはではありません。わたしはまだあまり人に見られない駆け出しのnote投稿者ですので、このタイミングでこそっと投稿しておこうと思います。

長くなりましたがそろそろこの辺で。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

雪白真冬








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