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子供は自分とは別人格だね

似ていることがあるからこそ自分の感覚で子供が思っていることを想像してしまう

これは間違いなのだ。

一人の他人として子供の考えを想像し、
確認をした後、対応策を発想してもらい、
誘導するということをしないと伝わらない。

ある日、泣いて帰ってきた。
「あー、先生に怒られたの」
「へー、なにがあったの」
「話してみて」
「なんでそこに至ったのか」
「もう一度話してみて」
「改めて何が問題なのか考えてみよう」
「んー、そうだね。自分の感じた順番に話してみて」
「へー、重要だと思ったことの順番が違ったんだね」
「ちなみに先生の言う順番に変えてみたらどうなると思う」
「そうそう、相手がどう感じると思う」

「ということは順番を変えて、少し相手の伝えたいことを聞いてから対応を考えてもいいんじゃないかな」
「少しは自分のためになる話をしてくれるかもしれないよ」
「それが正しいと思わなかったら、後でまた私に話してみて、
何か役に立つ部分があるかもしれないからね」


そんなやり取りで遠くから全体像を気づける状態にしていくと
お互い緊張感の生まれない距離感で経験から見通せる想定される結果の気づきを与えられる。

他人でもなく、自分の分身でもなく、同じ部分もあり、違う部分もあり
もどかしい気持ちはあるけれども
子供はあくまで私とは別な人なのだというスタンスで関わる。

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