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#0-1 ロンリー・シェアハウス


二〇二〇年九月某日、半年遅れて始まるキャンパスライフに備えて生まれ故郷から京都へ移住した。栄えた街からは少し離れた場所にある小さなアパートで、私の人生で初めてのひとり暮らしは幕を開けた。


私の住む部屋は築四十年以上のボロアパートの一室で、六畳ほどのワンルームだ。湿気が溜まりやすい・お風呂が想像を超える狭さ、トイレの蓋がすぐ外れるなど多くのボロポイントがあるが、家賃が安いので許容範囲である。そのなかでも私が一番衝撃を受けたのは、壁の薄さだ。二つ隣の住人の生活音まで聞こえる。夜になるとお隣のテレビの音と隣の隣のいびきが重なり見事な不協和音を奏でている。そのため、隣人の生活のありようは、音で丸わかりなのだ。今回は、テレビの音を奏でているお隣さんの話をしたい。


このお隣さんは大体いつも二十一時頃に帰宅する。ドアを閉める時の音を気にしないタイプらしく、毎日威勢よくドアを閉めるので「あ、今日も元気なんだなー」と安心する。帰るとすぐに水道の音も聞こえてくるので、きちんと手洗いうがいもしているようだ。その次に聞こえてくる音はテレビの音で、テレビ越しのタレントの賑やかな声が壁越しに聞こえてくる。お隣さんはカラオケバトル系の番組が好みらしく、定期的に音声が聞こえてくるのでテレビを持っていない私もどれくらいの周期でカラオケバトルが行われているかを把握できるようになった。そしてシャワー音が聞こえたのちに就寝。お隣さんもいびきをかくタイプらしく、それがまた実家の父親とよく似ている。朝は早いらしく、早朝四時ごろから水道の音が聞こえだす。私は昼夜逆転しがちなので、お隣さんが起きるまでに寝ていないと問題だ、という一つの基準を作った。

そしてお隣さんには私にとって一番謎な行動がある。それは、二週に一回ほど般若心経が聞こえることである。。最初は気のせいかと思っていたのだが、眠れず迎えた早朝に必ずと言っていいほど遭遇するのでどうやらお隣さんのモーニングルーティンのようだ。正直、ちょっと怖い。そんな奇妙なお隣さんは、朝六時頃、また威勢のいい音を放ちながらアパートを出ていく。


こんなに一日のサイクルを把握しているにもかかわらず、私はお隣さんの実像については何も知らない。男性なのか女性なのかも、どこの国籍の人間なのかも、若者なのか社会人なのかも、何一つ知らない。名前ですら、ポストに掲げられた表札の名字しか知らないのだ。しかし、私には姿もわからないお隣さんの生活音が聞こえていて、その存在を確かに感じている。そして私はこの人間関係未満の交流にとても心を救われているのだ。

一人きりの無音の空間は負の感情が倍増するからだ。親元を離れているさみしさ、もし何か起こっても身近に頼れる人がいない不安、社会から追い出されたような孤独感。誰かの生活音はそんな閉塞感から私を解放してくれる。もはや私は独り暮らしではなく、大きな社会のなかで見知らぬ誰かとシェアハウスをしているような感覚なのだ。私は単独行動を好んでいる人間だが、孤独は苦手だ。感染症の影響で人と人との関係が希薄になりつつある今、一枚壁を隔てた不思議な交流をなんだかんだで楽しんでいる。

お隣さんはどんな人なのだろうか。もしかしたらいつかどこかですれ違っているかもしれない。ちゃんと話すことがこの先あるのかすら、今はまだわからない。しかし、もし話す機会があったとしたら、私はきっとお隣さんを赤の他人とは思えないだろう。ともあれ、まだ見ぬ初会話が行われた時には般若心経のことは触れないでおこうと心に誓っている。


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