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#1 台風とクラムボン

地球温暖化が進む現在にしては短い酷暑が終わり、台風の季節がやってきた。毎年どこからともなく発生し、甚大な被害を及ぼしたり及ぼさなかったりする台風の進路が懸念されるなか、私もまた台風のように突然現れては過ぎ去っていく甚大な痛みに襲われていた。

2021年9月17日AM3:00、腰に鋭い痛みが走った。数多ある痛みの表現技法のなかで、あえて擬音をつけるのならキリキリ、じんじん。冷や汗をかくような痛みだった。そしてこの痛みの感覚を、私は既に知っていた。そして思った。

「あ、これはまたやらかしたな」

痛みの正体、それは腎盂腎炎だった。一つ前の記事で夏休みの初めに人生で初めての入院を経験した日記を綴らせてもらったが、
(詳しい内容はこちらからhttps://note.com/fish_eyes/n/ne0b66156298f)
この時の入院原因になった「細菌感染系の病気」は、この腎盂腎炎に限りなく近いものである。あえて「限りなく近いもの」と表現したのは、お医者さんから正確な病名を伝えられてないからだ。はっきりはわからないが膀胱及び腹膜並びに腎臓に細菌が上り、炎症を起こしておりました、ということだった。

一度発症してからかなり気をつけて水分補給はしていたのだが、やはり疲れが出たらしい。痛みを感じ取ってからは鎮痛剤を飲んでも眠れず、ひたすらのたうちまわる時間が一晩続いた。こんな時、一人暮らしの寂しさは計り知れない。いくら他者とのゆるい繋がりのなかで社会に生きる実感を楽しんでいるとはいえ、この時ばかりは「人間は死ぬ瞬間孤独なのである…。」と呟かざるを得なかった。緊急事態を一人でなんとかできるようになることが大人になるということなのなら、私は一生子どものままな気がする。結局実家の両親にアドバイスをもらい、以前もお世話になった町医者に朝イチで駆け込んだ。

しかし、病院にかかったからといってすぐに状態が良くなるわけではない。原因がわかり、抗生物質を処方され、その薬が効いてはじめて症状は落ち着くのである。落ち着かない腰痛に寝不足と低気圧が加わった私の状態はかなり悪く、病院でもしばらく横にならせてもらっていた。

天井を見つめる。まわらない脳内に支配されている視界は、いつしか無数の光の粒が飛び交うようになっていた。子どもの頃、暗いところを見続けたあとに明るいところへ視界を移すとよく起こっていた現象に近い。私は、この光の粒たちを「クラムボン」と呼んでいた。義務教育期間の教科書で学んだ宮沢賢治の『やまなし』に出てくる謎の生命体、私のなかではこの光の粒たちが一番イメージに近かったのだ。
「クラムボンは、笑ったよ。」「クラムボンは、かぷかぷ笑ったよ。」
このフレーズが頭の中によぎっていた時、私の意識は別の世界に飛ばされかける寸前だった。そんな抜けかけた魂を看護師さんに強引に戻され、診断を受けた。やはり腎盂腎炎の再発だったらしい。ままならない視界のまま薬を貰い帰宅、服薬して症状が落ち着き泥のように眠った。

2021年9月17日PM16:30現在、昨晩から今朝にかけて起こった台風のような出来事を文章に綴っている。今回の台風は今晩がピークだが、私のピークは過ぎたようだ。深い孤独感から抜けた先、もうクラムボンたちは姿を消していた。

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