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車輪の歴史を紐解くと「車輪の再発明」の恐れ方を間違えていることに気づいた

僕は養殖の生産管理サービス(業務システム)を作っています。物凄く簡単にいうと、タイやブリを育てる生産者さんに給餌量や水温を記録してもらい、データをもとにした意思決定ができるよう支援している感じですね。2023年8月にサービスをリリースして以来、手探りながらも営業を始めました。中には導入に至らないケースもあってその一つに「すでに自社開発をしている」というパターンがあることが分かってきました。

ある生産者さんの話を聞いたときに僕はふと思いました。

「これほとんど発想同じじゃん。もしかして車輪の再発明してる?」

どこに突破口があるのかとあれこれ考え始めると、車輪の歴史が気になり始めたので少し調べてみました。手っ取り早く結論が知りたい方のために、結論から書きます。

1.普遍的な原理原則を再発明する意味はない
2.車輪ですら前提条件を見落とすと普及しない
3.車輪だけでは技術革新は起きない
4.車輪の要件は車体によって決定される
5.車輪は何度も再発明されてきた

この5つが今の僕が車輪の歴史から持ち帰るべき教訓だと思っています。気になる人は少し長いですが、私の拙い文章にお付き合いください。BtoBの場合、既存の仕組み・サービスからスイッチングしてもらうのに苦心する場合は多いと思います。サービスを企画・開発する中で僕と同じように悩んでいる人にとってヒントになるものが少しでもあれば嬉しいです。

車輪の再発明

「車輪の再発明」とはある種の皮肉です。車輪は人類の最古かつ最重要な発明です。現代の我々は昔の人が考えてくれた車輪のという基礎技術をもとに馬車や車を設計・開発できます。効率よく開発をしたいなら、車輪そのものを発明するところから頭を使うのは賢いやり方ではありません。わざわざ自分で作る必要なんてないんだから、他のことに時間や労力を使った方がいいんじゃないか、という話になりますよね。再発明したものが既存のものより役に立たないなんてことになれば、「四角い車輪の再発明」とさらに揶揄されることになります。笑

ITのソフトウェア開発やAI開発では便利なライブラリやフレームワーク(プログラムをまとめて使いやすくしたもの)がすでにたくさん開発されています。これらの道具をある種、車輪のように使いまわした方が開発スピードは上げられるんですよね。AI開発したいならphthonでPyTorchやPandas、TensorFlowを使った方が速いよね、みたいな感じ。

生産管理というとだいぶ手垢のついた領域に一見思われがちですが、養殖業界には実は使い勝手のいい生産管理サービスがほとんどありません。車輪っぽいものが調べてもない。実際に興味をもってもらったり、導入に繋がったりするときは「やっと車輪を見つけた」みたいな感じの反応が多いですし、僕たちの中にも車輪を作っているという意識が少なからずありました。

スイッチングが進まない生産者さんの話を聞いたところ、やっていることや機能そのものは非常に似ていると思いました。言ってみれば、車輪を持っている相手に車輪を売っている構造になっていたんですね。僕たちは車輪を発明していたつもりだったのに、気づけば局所的(一般市販はされていないから)には再発明をしてしまっていたわけです。

変わらないもの

車輪には、数千年の歴史があります。それだけ長い時間を経ても、車輪は依然としてものを移動させる方法として広く使われ続けています。車輪と車軸の組み合わせによって構成され、車輪が回転することによって物体を効率的に動かせるという基本的な仕組みは変化していません。でも同じ車輪でも、新幹線と自動車と自転車とベビーカーでは素材も大きさもデザインも全く違います。

変わらないものに目を向ける」というのは僕の信条のひとつです。一次産業で起業したのも「食に関わる産業がなくなることはありえないから」です。食べないと死ぬので。VUCAの時代だからこそ、普遍的な領域で芯を食った事業が創れれば生き残る確率を上げられます。

車輪っぽいものが他にもある以上、車輪や車軸のようなエッセンスが生産管理の場合は何なのかを経営者の端くれとしては見極めておくべきです。それを知るためにはどんな車輪が生まれ、どんな車輪が淘汰されてきたのかという発展の歴史を紐解くのが一番手っ取り早そうです。

車輪の歴史を紐解いてみる

車輪の起源

車輪が優れた発明なのは、小さな力でモノを運ぶことができるからです。車輪がなければ、以下のいずれかしか方法がありません。

  1. 物を持ち上げて移動させる

  2. 物を地面・床面に接触した状態で押したり引いたりする

持ち上げ続けるのも大きな力が必要だし、後者も摩擦が大きいのでやはり大きな力が必要です。しかし車輪があれば、はるかに小さな力で押したり引いたりするだけで移動ができます。

車輪の起源は、一説には紀元前3500年頃まで遡ります。5000年以上も前のことです。古代メソポタミアのシュメール人が木製の円板に軸を挿して車輪として使い始めたのが起源のようです。その後、ヨーロッパから西南アジア、インダス文明、中国文明と徐々に広がりました。

車輪の進化と発展

スポーク型車輪は紀元前2000年頃には考案されており、最古の例はアンドロノヴォ文化のチャリオット(戦車)だそうです。

Amazonでチャリオットの像が売られてた…!こんなの乗りこなしてたのか

スポークは中心部から外側の輪に向かって放射状に伸びる棒のこと。スポークがあることで地面からの衝撃をやわらげることができます。古代ローマ時代には木製の車輪の外周に鉄の輪を焼きはめる画期的な手法が取り入れられ、鉄のタイヤが登場。耐久性が向上しました。以降、鉄のタイヤの時代が1900年も続きました。

車輪に変化が訪れたのは19世紀のことです。時代は産業革命の真っ只中。産業革命は工業生産力の増大と大量生産、資本主義の発展、都市への人口集中など社会構造を根本的に変えましたが、その中でも特筆すべきことは蒸気機関車の発明による交通革命が起こったことです。人・モノの長距離移動が可能になったことで原料・製品・石炭を安価に輸送することができるようになりました。この長距離移動を支えたのが他でもない車輪です。重さを支えるため鉄の車輪が発明されました。

19世紀は自転車が生まれ、発展してきた時代でもあります。二輪自転車の起源となるドライジーネ(足で直接地面を蹴って走るもの)がドイツで発明されたのは1817年のことです。鉄の車輪の周りにゴムの輪を付けた「ソリッドタイヤ」が誕生するのは1835年こと。1839年にはペダル式の自転車が考案されました。空気入りタイヤに針金スポークの車輪が発明されたのは1870年頃。空気入りタイヤが世に広まったのは、1888年にスコットランド出身の獣医師J.B.ダンロップが息子の自転車用に使用して実験したことがきっかけでした。この空気入りタイヤをミシュラン兄弟が初めて自動車に採用したのが1895年。以降、自動車でも空気入りタイヤが普及していきます。

長時間走行と摩擦

車輪を長時間、高速に回転させ続けるためには、摩擦によるエネルギー損失や発熱を減少させ、耐久力も向上させる必要があります。車軸を正確かつ滑らかに回転させるために使用される軸受(ベアリング)やタイヤもまた、産業革命以降で進化してきています。

ボールベアリング

レオナルド・ダ・ヴィンチは世界初のころ軸受(転がり軸受)の絵を1500年頃に描いていますが、長年作ることができませんでした。世界初の実用的なころ軸受を発明したのは時計職人のジョン・ハリソンで、1740年代中頃でした。ころ軸受によって回転摩擦が低くなり、高速回転にも耐えられるようになりました。産業革命で工業化が進み、1800年代後半にはベアリングも大量生産が可能になりました。ベアリングを用いた車軸の登場により、移動・運搬の手段は大幅に発達し、産業の発展を陰から支えました。

また初期のタイヤは耐久性が低く、長時間走行するとゴムが焼けて煙が出るという問題がありましたが、1912年にカーボンブラック(ゴムの添加剤)、1920年前後にすだれ織りコード、1948年にラジアルタイヤなど次々に技術が発表され、タイヤは耐久性や強度、性能を飛躍的に向上させてきました。

車輪の普及には条件があった

車輪が普及し、発展してきた歴史を見ると、全人類が5000年前から車輪の恩恵にあずかることができたかのように思いがちですが、実はそうではありませんでした。オルメカ文明やマヤ文明をはじめとする新大陸の文明では15世紀のインカ文明まで車輪が実用化されることはなかったようです。平坦な道路がない未開発地域でも、20世紀に入るまで車輪が輸送手段に使われることはありませんでした。

便利で人類にとって重要な発明である車輪にも、普及には条件があったんですね。条件は2つです。

  1. 荷物を運べる家畜が得られるか

  2. 平坦で固い道路があるか

メソポタミアにおける荷車の出現はロバの家畜化とほぼ同時ですし、新大陸には荷車をひける家畜がいませんでした。また、車輪の弱点のひとつは凹凸です。直径の2分の1以上の障害物は原理的に超えられません。輪の直径の4分の1の高さが超えられる段差の限界といわれます。軟らかい地面も車輪の弱点です。コンクリートに比べ、泥道では回転の抵抗は5~8倍、砂の上では10~15倍だとか。

産業革命はなぜ転換点となったのか

車輪の歴史を紐解くと、産業革命前後で進歩のスピードが劇的に変わっていることに気づきます。車輪が発展する歴史において産業革命が重要な転換点だったことは間違いありません。なぜそんなことが起こったのか、もう少し考えてみたいと思います。

蒸気機関という新たな動力源が変化をもたらした

車輪普及の条件のひとつは「荷物を運べる家畜が得られるか」でした。家畜がいなければ人間が荷物を運ばなければならないので、手で持って運べばいいじゃないかという話に落ち着きやすかったのでしょう。

産業革命は蒸気機関という動力源の革新によってもたらされました。蒸気機関は紡績や織機、交通機関に利用されたわけですが、重要なことは人力や畜力、水力・風力に替わる動力として蒸気機関を活用できたということです。要するに産業革命をもって家畜がいるかは車輪普及の条件ではなくなったのです。

家畜の畜力や人力が必要なくなり、より大きな動力が得られるようになったことで理論上は一度に大量に人や物を移動させることができるようになりました。車輪の普及条件そのものが畜力に制約されなくなり、車体そのものの要件も変わったことで、車輪が満たすべき要件も変化したのです。耐久性や摩擦が車輪の課題となったのも、蒸気機関による長距離大量輸送が可能になったからにほかなりません。

周辺技術が進歩し、作れるものが増えた

産業革命で変化したのが車輪だけだったら、鉄道も自転車も自動車も生まれていなかったと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチが世界初のころ軸受(転がり軸受)の絵を1500年に考案していたのに、その技術は数百年もの間、実装されることはありませんでした。技術力が足りなかったという話もあるし、技術の活用先になる乗り物がなくて作る必要がなかったという話もあると思います。

この軸受の技術開発の領域もまた産業革命で大きく進歩しました。フリードリヒ・フィッシャーが1883年、同じ大きさで真円のボールを製造できる機械を開発したことは、軸受製造の産業化にとって重要なことだったのではないかと思います。

耐久性の高い鉄製の車輪が開発されただけではなく、車輪が得意とする固くて平たい鉄の道(=鉄道)が敷設されり、車軸と車体の間の摩擦を下げるためのベアリング(軸受)の技術が進歩したりと、車輪を取り巻く周辺領域でも技術革新が起きたことで初めて交通革命は現実のものとなったのです。

車輪の歴史から何を学ぶべきか

ここまで車輪の歴史を振り返ってきましたが、エッセンスとして活かせそうな教訓は何なのか、ということをここからは書こうと思います。ようやく冒頭の結論に戻ってきましたね。

1.普遍的な原理原則を再発明する意味はない
2.車輪ですら前提条件を見落とすと普及しない
3.車輪だけでは技術革新は起きない
4.車輪の要件は車体によって決定される
5.車輪は何度も再発明されてきた

1.普遍的な原理原則を再発明する意味はない

5000年以上の歴史を振り返っても車輪の原理原則は変わっていません。
・車軸と車輪は常に組み合わせて使われる
・車軸のまわりを車輪が回転することで地面上を簡単に移動できる
・車輪の回転により摩擦を減らすことができる
これだけ普遍的な構造を再発明するために時間や労力を使うのは無駄です。過去の偉大な発明は自分で調べて学ぶことで、車輪の原理原則を再発明する構造にならないように注意する必要があります。

2.車輪ですら前提条件を見落とすと普及しない

車輪にも普及条件があり、この条件を満たせなかった文明では車輪が実用化されませんでした。オルメカ文明で車輪を作る会社を作っても車輪は売れなかったわけなので、お客さんにはなり得ない人の条件を見極めておかないと商売でも苦戦を強いられます。どれだけ良くて革新的なサービスを作っても、誰にでもサービスを受け入れてもらえるわけではありません。

3.車輪だけでは技術革新は起きない

特に産業革命以降は顕著だと思いますが、長距離移動を実現させるためには空気入りタイヤやベアリング、鉄道などといった車輪以外の関連技術の進化も同時に必要でした。車輪も鉄製になり発展しましたが、それだけでは蒸気機関車は誕生しませんでした。優れた技術を集約し相互につなげることで初めて交通革命は実現されました。

4.車輪の要件は車体によって決定される

産業革命で鉄の車輪が生まれたのは、木製の車輪だと蒸気機関車を創るという要件を満たせなかったからです。車輪の要件は車体、つまり最終的に創りたいものが何なのかによって変わります。荷馬車なら調達コストが安い車輪がいい車輪ということになりますし、自動車なら摩擦での摩耗が少なくて車の取り回しがしやすい車輪がいい車輪ということになります。

鉄道と自転車では車輪の原理原則は同じでも、形や素材が異なります。鉄道の車輪は大きな重さを支える必要があるし、自転車の車輪は地面からの衝撃や空気抵抗を抑える必要があります。必要な要件が違うから車輪の形が違うのです。

5.車輪は何度も再発明されてきた

木製の車輪の外周に鉄の輪を焼きはめた鉄のタイヤが生まれたのは、木製の車輪だと損傷しやすく、すぐに交換しないといけなかったから。産業革命で鉄の車輪が生まれたのは木製の車輪だと重さを支えきれず車輪が変形してしまうから。スポークが考案されたのは地面からの衝撃が直接伝わると乗り心地が悪いから。ベアリングやカーボンブラックが発明されたのは、長時間走行をすると摩擦によるエネルギー損失や発熱が故障の原因になるから。

車輪は基本的構造を維持したまま幾度も改良され続けてきました。そしてその改良の裏には当時の車輪の限界と課題がありました。人類はそのたびに新しい発明をし、その課題を乗り越えてきました。車輪の再発明を恐れて車輪の改良を何もしなかったら、人類の車輪はいまだに木製のママです。

養殖業の「車輪」

なんとなく車輪の歴史のエッセンスが見えてきたところで、もう少し自分の事業に寄せて、車輪という概念と養殖の関係性を考えてみたいと思います。特に今回のモヤモヤの出発点は「興味をもってくれた生産者さんがすでに自社開発で似たようなものを作っている」ことにあるので、ここの意味や捉え方を歴史的な観点から考えてみて、何らかの視点を得ることをゴールにしたいと思います。わりとあるあるな状況だと思うので、読者の方ご自身の事業だとどう考えられそうか文脈を置き換えて読んでいただければと思います。

生産管理は車輪そのもの

給餌量やへい死数、水温を記録するというのは魚を養殖したいと思っている人なら誰でもやることだと思います。これらのデータは養殖生産における「車輪」そのものです。車輪なくして自動車は走らないし、生産管理なくして養殖はできません。生産管理が必要かなんて疑う余地もないし、生産管理でとるべきデータをウジウジ1人で考えるのも無駄です。できるだけたくさんの現場の話を聞いて生産管理の勘所がどこにあるのかを探りにいった方が速いです。

スマホを使えない人には価値が伝わらない

「2.車輪ですら前提条件を見落とすと普及しない」で触れたように、車輪がどれほど素晴らしい技術でも車輪を使える環境がなければ実用化はされません。僕たちの場合、サービスを利用してもらう前提条件はスマホが使えることです。スマホを持ちたくない人たちやスマホの使い方をドコモショップにいって教えてもらいたい人たちはお客さんには残念ながらなりえないと思います。そういう人たちに営業しても双方理解ができず、疲弊するだけです。

蒸気機関車を作って生産管理を民主化したい

生産管理のソフトウェアをSaaS型で提供するということは、生産管理を民主化するということです。一部の都市部でしか馬車が使えない世界ではなく、たくさんの人が1台の蒸気機関車を利用することで運賃を下げ、切符を買えばだれでもより速く確実に目的地にたどりつけるようにする世界を創るということです。

よく引用されるアフリカの諺にこんなものがあります。

早く行きたければ一人で行け
遠くへ行きたければみんなで行け

陸上養殖と海面養殖では飼育の仕方も管理のやり方も違います。魚種によって給餌方法が違えば、リスク管理の方法まで違います。飼育される魚種の種類が多く、少量多品種で生産されるのが日本の養殖業の大きな特徴です。生産者の誰もが満足して使える便利な生産管理サービスを作ることは決して簡単なことではありません。

早く行きたいだけなら、Excelで自社最適な仕組みを作ることだけを考えれば良いと思います。実際に「生産管理システムを自社開発している人」は自分が飼育している魚種にだけ対応すればいいので、比較的速く簡単に個別最適化された仕組みを開発できているように感じます。

でも遠くにいきたいなら、馬車じゃダメなんですよね。長距離をみんなで移動できる別の乗り物が必要で、そのためには馬車の木製の車輪だと車体を走らせることはできません。蒸気機関車用の鉄製の車輪を作らないといけない。車輪は再発明されなくてはならない。そこには難しさも、面白さもあると思います。時間もかかります。たくさんの知恵と技術も必要です。でもそっちの方が楽しそうだから、僕は蒸気機関車を作る方に賭けています。

協業先は蒸気機関車を一緒に創る仲間

蒸気機関車を作りたいなら、圧力計や速度計のような計測機器も必要だし、車体も燃料も必要です。生産者さんが培ってきた過去の経験や勘、他のICT技術も組み合わせてデータのプラットフォームとして機能させていくことで初めて、我々は初めて車輪ではなく、蒸気機関車を創れるようになります。僕たちだけで蒸気機関車を作ろうとは最初から思ってないです。

水産業ではSaaS型のサービスの普及が遅れているように思いますが、アメリカの企業ではいまや1社平均130のSaaSツールが契約されています。

大切なのはデータがまとまり、繋がり、意思決定にすぐに活かせるという顧客体験です。複数のサービス間でデータが散在していては、入力の二度手間も発生しますし、活用・分析も進められません。データを効率的に統合・管理するための場所が今の養殖現場には必要です。

「同業他社は競合だ」「他社とは組まない」みたいなスタンスの養殖関係者(特に自動給餌器メーカー)も見かけますが、正直考え方が古いんじゃないかなと思います。養殖業の市場規模は業界外の人が思っている以上に小さいです。IT系全部で将来伸びても30億とかそこらです。そんな小さい市場でお客さん奪い合ったり、自社に閉じたサービスだけを提供して囲い込みしたりしていても仕方なくないと僕は思います。市場小さいんだから、みんなで市場そのものを作ってパイを大きくしていく方が生産的じゃないでしょうか。

顧客とも対等な関係でありたい

お客さんには価値を提供し、対価としてお金をいただくわけですが、だからといって僕はお客さんが神様だとは思っていません。というかお金さえ払えば神様になれると思っている人にはそもそもサービスを売りません。顧客もまた一緒に蒸気機関車を創る対等な仲間です。

蒸気機関車に乗る人たちが切符代を払って座席のクッションや吊革にフィードバックをくれるおかげで、より乗り心地のよい蒸気機関車に改善できます。新幹線ができるまで誰も蒸気機関車に乗っていなかったら、時刻ダイヤだって最適化されていなかったかもしれません。

車輪ではなく、切符を売る

車輪と車輪を比較してもあまり意味がありません。大事なことはその車輪を使って結局何を動かしたいのか?という話です。

冒頭で「生産管理システムを自社開発している人に断られがち」という話を書きましたが、木の車輪で馬車を走らせている人に鉄の車輪を売り込んでいたのだなと車輪の歴史を振り返りながら思いました。「いや、もう車輪あるから要らない」「そんなことやるだけ無駄」と言われても当然です。だって車輪は車輪なんだから。馬車を持っていない人にも、馬車を持っている人にも、鉄の車輪ではなく、蒸気機関車の切符を売るべきでした。

もちろん、馬車の車輪にオシャレな彫刻を掘りたい人もいるし、自分の馬がかわいくて馬車を手放したくない人もいるので、そういう人は別に無理して蒸気機関車に乗らなくてもいいと思います。

でも明日新橋から横浜に行きたいのに馬車で移動する時間がない人とか、馬車を買う資金や技術がなかった人とかは蒸気機関車に乗ったら幸せになれるよね、という世界観で車輪を作り続けたいなと僕は思います。作って作って作り続けて、みんなでいつかリニア新幹線が創れるようになったらいいな。

おしまい。

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