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migiwa

みぎわ 水に接する所。水のほとり。みずぎわ。汀、渚、水際



触れる異質な状態、触れなくてもいいところにあるさかい
瞬間のときめき、深み、反射、緻密さ、うねり、表情、感覚


うまれた時から受け入れがたかったものといえば みず だった。

幼少期から今も変わらず、下を向いて髪を流すことができない。
顔に水が一滴かかるだけで泣き叫んでいた。

そんな自分の姿と頭を洗ってくれていた両親の切ない表情が夢に出てくる日が時たまにある。
今思えば、泣き叫んで溢れていた涙で、顔を流れてくる みず という概念を生産していたのでは…と思うとなかなかにおいしい演出を感じる。
もちろん、24歳になったのだから今は泣き叫んだりしていない。

私の家は祖母の関係により、生まれながらにしてスイミングスクールに通わなければいけない家系だった。
妹も従兄もポテンシャルがとびぬけていたため、あっという間に一級を所持している生徒と同じレーンで泳ぎ、選手コースに行ってしまった。
その5、6年後に私も彼らの追いかけて一級になった。
よかったと思ったのは誰のためなのか。達成感からの良し悪しは今も正直わからない。


塩素タブレットが浮いている水面を編みながらバタフライを泳いでいるなんて、20年前、だれが想像したことか。

顔に水滴が〜。
と泣き叫んでいたころの自分に泳いでいる動画でも見せてあげたい。
ちなみに自分であるからわかるが、全くもって幼少期の自分を説得できる自信はない。

やってみればできるというマインドはここで培われたのかもしれないと思い込んで、行き場のない気持ちを、ぎゅーっと押し込んでみたりしてみる。


大人になり、千歳船橋の温水プールにて、意図せず2時間も水に触れていた時、みずも私もお互いを受け入れた感覚になった。

食べられまいと形態をほどいていくアイスクリームが、ひとに食べられるのを待ちわびているみたいだ。

晴れて みず と両想いだ。 絶対に、そうだ!

2024/01/30
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