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First Step #2 専業主婦後、あなたはどう生きる、シンシアのグッドモーニング with 山口尚美(公益社団法人副所長) 「元専業主婦ジャングルジムのように上ったり降りたりして、いまがある 」  report by Yoko Ukai

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第2回のゲストは、公益財団法人の副所長でもあり、イラストレーターでもある山口尚美さん。(「シンシアのグッドモーニング!」のトップを飾る素敵なイラストは、山口さんの作品)

シンシアさんとの出会いは、2年前の女性誌でびシンシアさん特集記事。続けて著書を読み、専業主婦の仕事をプラスと捉え、キャリアを再構築していった姿に衝撃を受けた。いても立ってもいられない思いでメールを出すと、シンシアさんから誘いがあった。
「ランチしながら、お話ししない?」。そのときの心境を、シンシアさんはこう語る。
「仲間ができた!と思ったの。私が専業主婦でキャリア復帰をしたことを、メディアではまるでヒーローのように取り上げていたけど、そうじゃないのね。ほかにも、復帰して頑張っている元専業主婦たちはたくさんいる。山口さんもその一人。話を聞くと、それはもう、紆余曲折の人生だったの!」
山口さんのキャリア復帰のスタートラインは、生協の配達員。そこから現職に至る20年の歩みとは?

●専業主婦って、何者なの?

山口さんが、シンシアさんの著書の中で最も感銘を受けたのは「専業主婦をビジネスと捉え、仕事をやるように家事をやった」という点だった。
目からウロコの発想だった。今でこそ、管理職としてバリバリ仕事をしているが、「もし、私が専業主婦のときにこれを実行していれば、焦ることもなく、もっと充実して過ごせたかもしれません」。たしかに、彼女の職歴は、大小含めて目まぐるしい。

山口さんが新卒就職したのは、1982年。大卒女子の求人はほとんどない時代だった。情報誌の求人を頼りに、彼女が就職したのはコンピュータ会社。SEとして採用され、3年間働いた後、社内結婚で退職した。

だが、専業主婦になると決めて気がついた。「私、これでいいの?」 
悶々とする気持ちを頭の隅っこに追いやって、彼女は今自分にできることをやろうと決めた。得意のイラストを出版社に持ち込んで、たまに採用されたり。図書館で読み聞かせのボランティアをしてみたり。じっとはしていられなかった。「専業主婦という言葉が大嫌いだったんです。自分はいったい何者なの?洗濯物を干しながら、そんなことばかり考えていました」

あるとき、チラシで、週に一度の生協の配達員の仕事を見つけた。マンションの踊り場で食材を仕分けし、それを一人で車に乗せ、一番下のまだ喋れない子どもをカゴに入れて同乗させての配達だった。小遣い稼ぎくらいの仕事だったが、「何もやらないでいるよりいい」という思いだった。
そうするうちに、求人募集がある年齢制限ギリギリの40歳が近づいていた。

現状にひと区切りをつけたいという思いのなか、イラストを本格的な仕事にできないものかと、その道のプロにアドバイスを求めに行った。そこで言われたのが、「あなたはいったい、何を描きたいの?」。厳しい一言だった。落胆して帰宅するや、涙がどっと溢れた。
だが、もっともだとも思った。なぜなら、本気でイラストレーターを目指す人たちは、出版社詣でを百、二百と繰り返し、落とされても腐ることなくトライし続けていたからだ。「私は、出版社を回ると言ってもわずか数社。コンペに応募しても、一度落ちただけでやめてしまっていたんです。今にして思えば、誰かに、諦めるきっかけを与えて欲しかったのかもしれない」

●細切れの仕事を一つひとつ頑張り、つなげて

しかし、すぐに気持ちを切り替えた。図書館で仕事や再就職に関する本を次々と借りて読み、情報を集め、本気で再就職を考え始めたのだ。そこで興味を引かれたのが、当時、国が推進していたIT講習会のサブインストラクター。これなら、かつての経験を生かせるだろう、と。

まずは関連NPOに所属して、そこから派遣されたITの補助職員を皮切りに、小学校へのパソコン導入のお手伝いや高校のパソコン授業のサポートと、ITインストラクターとしての実績を小刻みに積んでいった。そのうち、この仕事は自分に合っていると、確かな自信もついてきた。
一方で、ほぼ半年で終了する細切れの仕事を繰り返していくことに疲れ、先の見えない不安定さに焦燥感が募った。長く続けられる仕事はないものか……。すでに40代後半に入っていた。

その間に、彼女は転居。新しい環境でパソコン教室に勤め始めたが、一年もせずに潰れてしまうという不運に遭遇。すると、NPOの知人から、そこのファミリーサポートセンターの仕事を勧められた。だが、その仕事は、やりたかったインストラクターではなかった。迷った。三人の子どもたちにはまだ教育費がかかるので、身分はアルバイトでも、決まった収入を得られるのは安心だった。
それに、職場に入れば、パソコンスキルが役立つ場面もあるかもしれない。彼女は、こう覚悟を決めた。今は、自分がやりたいことよりも、求められるところで頑張ろう、と。

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●所長からアルバイトへの急降下!?

ところが、人生万事塞翁が馬。しばらくして職場の所長が異動になり、その職柄が山口さんに回ってきたのだ。驚いたが、成り行きに任せ、その後8年間所長を務めた。
しかし、再び思わぬ展開が待っていた。同じNPOの新設の公共施設へ異動することになったのである。しかも、そこでの身分は、まさかのアルバイト!行き違いがあったとはいえ、所長からの急降下である。(この話が出た時には、ZOOMのチャット上では驚きの声が上がった)
「なぜ? やめようとは思わなかったの?」とシンシアさん。
「えっ、どうして?と思いました。でも、ほかに仕事を探すのは大変。しがみついてでも頑張ろうと思ったんです」

それでも、努力を見ている人はいる。やがて、この胆力が報われる日がやってきた。副所長が辞めることになり、嘱託職員のオファーを受けたのだ。彼女は二つ返事で引き受けた。長時間フルに働いても、家庭と両立できるという自信もついていたからだ。心配ない、私は大丈夫。

その後、彼女の職場はこのNPOから、現職場である公益財団法人へと異動。このとき、彼女は嘱託社員から正社員へ、そして現職である副所長に就く。「これも、ある意味では成り行きだったんです。9時〜22時で開けておかなければいけない職場で、どの時間帯にも管理職が必要だったんです。人員が足りないということで、やらない?と(笑)」。

こうして、生協の配達員からスタートして20数年、山口さんは今、正社員、しかも管理職というフィールドに立ち、人を採用する立場にいる。
山口さんは、常に流動的な状況にさらされ続け、だが、その時々の仕事の誠実にこなして実績を積み上げて来た。このしなやかさは、ひょっとしたら、専業主婦が背負ったハンディをむしろ逆手にとって鍛え上げてきた地力なのではないだろうか。

●専業主婦の時間に、積極的な意味を見出していけば

一度は諦めた道も、インストラクター時代に研修で習得したイラストレーターのスキルで新たな道を拓いている。今ではブログやInstagramから仕事のオファーが来るようになった。
シンシアさんいわく、「山口さんは、時代のフロントランナーだね。だって、副業を先取りしてるもの。元専業主婦が先端を行ってるなんて、すごいよね」

最後に、シンシアさんが尋ねた。「山口さんにとって、専業主婦を選んだことは正しかった?」山口さんは、こう答えた。
専業主婦は、なるべくしてなったと思います。でも、あの時代に戻ってこの本を読んでいたら、子育ての時間をもっと楽しみ、主婦業をビジネスと割り切って、もっと積極的な意味を見出していたと思います。ずっと不安だったのは、このままだと、社会に戻れないかもしれないという恐怖心があったから。でも、精一杯主婦業をやっていれば、50歳でも職場復帰できるんですよね」

今後については、「65歳まではこのまま。その後は具体的に考えていませんが、イラストの活動をもう少し広げて行きたいですね」。と、けしかけるように、シンシアさんが言った。「STEMって知ってる? 今、日本ではパソコンに強い人が圧倒的に足りないの。どんどん採用してるから、挑戦してみたら?」。山口さんの瞳が輝いた。

【聴講者から山口さんへの質問】
Q : 仕事が思うようにいかない時、そのモヤモヤの気持ちをどう解消しましたか?
A : 子どもが3人いたので、忙しくて落ち込むほど考える暇がなかったんです。今は、仕事が終わったら、仕事のことは忘れる。気持ちの切り替えをしています。

Q : 単発の仕事を続けている時、モチベーションを保つために心がけていたことは?
A : その時、その時、目の前の仕事を一生懸命やろうと。そこで結果を出せるくらいやらないと、次はないと思っていました。また、自分に嘘をつかないようにということも心がけました。この二つを心がけていれば、必ず道はひらけてきますよ。

Q : 一度、所長からアルバイトに格下げされた時、それでも続けた理由は?
A : とにかく、しがみついたんです。辞めるのは、悔しい。それに、年齢から言って、仕事はそうそう見つかりません。今、私は採用する側になっていますが、嫌なことがあるとすぐにやめてしまう人がいるんです。でも、納得がいかないまま、負けるのは嫌だと思いませんか? 

Q : 私も子どもが3人いますが、その世話でパワーを消費してしまい、気力が萎えて、自分のためのインプットができません。どうされていましたか?
A : そういうこと、私もありました。子育てで精一杯で、ほかのことが一切できない時期があったんです。でも、無理やり気力を振り絞ってやるより、低空飛行で行くしかないと割り切って過ごしていました。

次回のゲストはリーマンショックの時も、震災の時も、仕事を失い、派遣社員から正社員(管理職)になられたYoko Chosaさんです!


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