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誇れる仕事ができているか

昨日は新卒採用で入社した会社にいるときにお世話になった先輩方との食事会だった。
6、7年ぶりの再会となったのだが、その中のお一人は5年前に胃がんであることがわかり、そこから治療の日々が続いたものの、ようやく今回のような食事会にも参加できるほど回復してきたということだった。

待ち合わせしたお店には私が一番乗りで、続いてその方が来られたのだけど、あった瞬間に「会えてよかった。久しぶり!」と目に涙を浮かべていた。

こちらはとても気恥ずかしくて感情をうまく表現できなかったのだけど、おそらくこれまでの闘病生活で色んなことが起こり、その度にたくさん苦しんだことを経て、この食事会への参加があっただろうことに想いをめぐらすことができなかった僕の想像力のなさや感情の薄い態度をしてしまったことに後から後悔した。

参加者4人がそろうと、会話は当時の仕事の話やこの人は今どうなった等の話題で盛り上がっていく。

参加者の中には僕の当時の上司(課長)もいらしていて、会の終盤にその方がふと僕が退職したいということを自分(上司)に告げた時のことを話し始めた。
「RUOとらが辞めたいと言ってきたときに、全力で慰留しよう思っていたんだけど、辞める理由を聞いてすぐにあきらめたんだ。
RUOとらはこう言ったんだよね。
『僕は自分の子どもに誇れる仕事がしたいんだ』って。
その言葉を聞いて、俺はハッとしたよ。自分は自分の子どもに誇れるような仕事をしているかって。
一回り以上違う若者の言葉を聞いて慰留する言葉が見つけられなかったんだ
。」

僕も自分が言った言葉は覚えているが、上司がそのような心境だったことは当然ながら知らなかった。
若気の至りで大層なことを言ったものだと思うものの、おそらく「子どもに誇れる仕事」と言うよりも、本当は「自分自身がやっていて誇らしいと自信をもって言える仕事に就きたい」ということだったように思う。

当時の僕の状況は第三セクターにいて、公務員でもない、民間人でもない中途半端な立ち位置がそういう思いにさせていた要因であり、そこから民間企業に飛び込んでいって今の自分がある。

「自分に誇れる仕事ができているか」

20年前に言った自分の言葉が胸に響く。
これは僕の中で常に消えることのない永遠のテーマなのだろう。

人に会って話すことで見えてくる世界はたくさんある。

大切にしたい。