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兄や両親の今後とか

今週末は実家支援で地元に戻った。

兄の体調がすぐれなくなって以降毎月1回は必ず帰省して支援する生活をはじめてもうすぐ2年になる。

兄はかなり回復して元の状態まで戻ってきたものの、両親の方が兄の介護もままならないぐらいに歳をとってきているので、ヘルパーさん等の助けを借りながら、兄を含めた3人の自宅での生活が1日でも長く続けられるように今できることを考えて環境整備をしていくのが喫緊の課題だ。

そんな中で今回兄にはグループホーム(障害者支援施設)に1泊2日でお世話になることにして、両親に関係する支援を今週末は集中することにした。
そのグループホームは評判が良くて、兄の回復に伴って1年前から毎週平日2日昼間にデイサービスでお世話になっている施設で、月1回程度の宿泊を加えながら将来的には入所するというイメージを家族内で共有している。

そして先程(日曜日の夕方)、その施設まで兄を迎えに行ってきた。
僕自身は施設内に入るのははじめてのことで、兄が職員さんと僕の前に現れたのだけど、兄の顔をみながらなんとも複雑な感情に苛まれたのだ。

やはり施設は施設なので自宅とは違う。
周りには色々な人たちがいて、自分の思い通りにはいかないだろう。
それは健常者と言われる我々の社会でも同じことなので自分とは違う他人と求める求めない関係なく交わり続けるということが生きていくということなのだとわかってはいるが、自分の気持ちや感情を言葉にできない兄の想いは我々側が勝手に想像するしかない。

離れて暮らしている僕がいうのは無責任なのだけど、やっぱり最後の最後まで自宅にいられるやり方がないものかと思ってしまった。

いつが父がボソッと言った言葉が頭から離れない。

『自分たち(両親)がいなくなった後は今までみたいな生活にはならないとは⚫︎⚫︎(兄)もわかってくれるよ』

ただもしかしたら兄は施設での生活も悪くないと思っているかもしれない。

だからこんなことを思うのは独りよがりの考え方なのかもしれない。

単に僕が兄離れできていないだけかもしれない。

残された時間はそう多くはないけれど、たくさんたくさん考えて、みんなで話し合って、後悔しないあり方をみつけていきたい。

最終便の飛行機の中でそんなことを思いながらこのnoteを書いている。