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学びの“孤立”を生まないこと

学びからの逃避

 学習が嫌になる、学ぶことを厭うようになる・・・。きっと誰もが一度は体験することではないだろうか。学習が嫌になることには様々な理由があるとは思うが、その大きな理由の一つに学習していることが「わからない」という思いをもつことがあると考える。

 子どもは誰しも「わかりたい」という思いをもっている。「わからない」という思いが募れば、学ぶことが苦しくなる。周りの子はわかっているのに、自分はわからないという状態が続くのであれば、焦りが生まれる。学習のゴールどころかゴールにたどり着く道筋すら見えない場合は、悩みはいっそう深くなる。それでも子どもは何とかして「わかりたい」ともがいているのだ。

「わからない」が生み出す”孤立”


 「わからない」という思いを抱えたまま学習時間が終わればその子は“孤立”してしまう。一生懸命考えたけれど、どうしても「わからない」ということになれば、その子はわからなさを自分の心の中に抱え、やがて諦めの気持ちをもったり挫折を味わったりすることとなり、学びから距離を取るようになる。学ぶことが嫌になったり、厭うようになったりするとはこういうことだと考える。
 さらに、授業時間に”わからなかった”子どもは、補充学習と称して教師から「宿題」を課されたり、授業時間外の学習に従事させられたりする。これでは、学ぶことは「やらされること」になり楽しいという思いをもつことはない。むしろ学びは子どもにとって負担になってしまうにちがいない。

学びからの”孤立”を避ける


 大事なのはここである。子どもが「わからない」という思いをもった時に、周りの誰かが寄り添ってくれるなら、「わからない」子どもはわからなさを抱え孤立することはなくなる。「わからない」という思いや「わからない」内容を共有し、一緒に考え、ゴールに向かって共に乗り越えてくれる仲間の存在が必要かつ重要なのだ。

 2012年2月に放映された「輝け28の瞳~学び合い支え合う教室~ NHK ETV8」には、「わからない」と言葉を発した子どもに、グループにいる周りの子どもたちや教室の子どもたちがかかわり、寄り添い、一人の子どもの「わからなさ」に心を寄せて乗り越えようとする子どもたちの姿が生き生きと描かれている。
 それは、単に「わからない」といった子どもに対して、周りの子たちが「こうだよ」と自分の考えや答えを”教える”ということ(いわゆる「教え合い」)とは全く違う。
 「わからない」といって、黒板の前にうずくまっている一人の子どもに駆け寄り、その子の「わからない」という苦しみに寄り添い、受け止めようとする多くの子どもたちの姿がそこにあった。それは、誰一人学びから孤立する子どもがいない教室である。


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