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最近観たドキュメンタリー(旧作新作・劇場配信問わず)【2024年5月、6月】


マリウポリの20日間

(映画館で鑑賞)
感動的な映画を観て泣くときはとても良い気分になり、実に清々しいものだ。

しかし、この映画を観て流した涙はとても自分にとって苦しいものであり、体験したこともないようなしんどい感情であった。映画館の巨大なスクリーンに映し出される、確実にこの地球の何処かで起こっているリアルな惨状に目を背けたくなった。それでも刮目して心に刻み込まなければいけないという責任感が上回り、嗚咽しながらも逃げずに最後まで鑑賞した。如何にロシアが最初に行った侵攻が非人道的であるかがよく分かる。命懸けでマリウポリに留まったジャーナリストの使命感に感服するばかりでなく、医師や看護師が、亡くなった人や運び込まれた人をしかとカメラに収めるように促す姿勢に意外性を感じると共に、報道の重要性を理解していると受け取れた。戦争の悲惨さを目撃することは入り口であり、平和の希求や問題解決の深みへ到達するため第一歩になると考える。

正義の行方

(第七藝術劇場にて鑑賞)
当時、その地域を騒がせた殺人事件とその後の捜査、疑惑が残りながらも裁判によって死刑判決が下され、異例の早さで執行に至った一連の流れに迫ったドキュメンタリーである。問題はその人が本当に犯人であったか、事件の真相は如何なるものか、死刑制度の有無、そんな落ち着き方をしない。警察、死刑囚の家族、メディア、それぞれの立場の言い分が紹介はされるが、真実を見極めることが本質ではなく、それぞれが寄りかかっている「正義」は一体何なのか?そこに迫っている。被害者は勿論、死刑執行された人間の命もある。そこにどれだけ真剣に向き合っているかについて、温度差も感じ取れる内容になっており、それ故に問題作とも言えようが、確実にドキュメンタリー映画の傑作だ。

ナチ刑法175条

(第七藝術劇場にて鑑賞)
これは1999年に製作された映画とのことだが、LGBTについて考える映画週間とのことでミニシアターで上映されていたらしい。悪名高いナチの映画を観るたびに新たに彼らの悪行を知ることになるのだが、今回もその系統を裏切らない。タイトルにある「刑法175条」はかつてドイツに存在した同性愛を禁ずるという何とも人類の歴史の汚点ともいうべき法律であった。実際、ナチが政権を取る前に存在はしていたものの有名無実化し、ヨーロッパ諸国の中でもかなり先進的なLGBTの街と化していたのがベルリンであった。その法律が再び効力を持つようになったのが、ある特定の集団を対象にして”ルサンチマン・プロパガンダ”を煽って人気を集めるヒトラー台頭以後であった。ユダヤ人迫害だけでなく、共産主義者も、身体障碍者も、エホバの証人信者も、そして同性愛者も弾圧されていたのだ。生き残った当時のゲイやレズビアンの方々はこの映画に証言者として登場する。彼ら彼女らは歴史を振り返らないことを一番に危惧する。過去の過ちに目を逸らしだした途端に人間は再び同じ道をたどる。これは昔ドイツで起こった出来事ではない。現在日本で起こっていることだ。

94歳のゲイ

これは実在する日本人の方を追ったドキュメンタリーである。94歳の方が若いころの日本はLGBTに対する理解の欠片もなかったのである。辞書では同性愛を異常性愛と書かれていたのだ。一種の症状、病気と考えられてきた同性愛者は治療のために無理やり自己を隠して異性と結婚してきたのだ。今では同性愛の人々は数にして少なくない割合であるとされている。その昔、一生誰にも打ち明けられず苦しみ、周りと同じようにふるまうことで自分自身を打ち消してきた人間がどれほどいたであろうと考えると胸が相当に痛む。人間以外の動物でも同性愛はあるとされている。プラトンの著書にも同性愛は登場する。日本でも戦国大名は愛する男を戦場へ連れて行ったとされている。何もおかしいことではないし、自然なことである。少しずつ変わってきてはいる、キリスト教圏でも日本でも。それでも未だにLGBTへの差別の風潮がある社会は情けないとしか言いようがない。

「三里塚に生きる」「三里塚とイカロス」「きみが死んだあとで」

(U-NEXTで鑑賞)
代島治彦監督の学生闘争を扱ったドキュメンタリー三部作。一番印象に残った「きみが死んだあとで」について語る。これは1967年10月8日に起こった第1次羽田闘争について、当事者たちの証言をもとに製作したドキュメンタリーである。重要なのはこの闘争によって一人の学生が命を落としているということである。機動隊員が数人がかりで棒によって滅多打ちにして殺したのだ。それを警視庁がまともに公表するわけでもなく、味方の車両に轢かれたのが死因だとした。(ドキュメンタリーを観るたびに警官への不信と憎悪が募る(呆))
佐藤榮作という人間は日本の中でもかなり悪名高い罪深き元首相だと私の中で位置づけられているが、コイツの南ベトナム訪問を阻止しようとしたのがこの闘争のきっかけである。あのベトナム戦争には多くのアメリカの若者や学制が反戦運動に身を投じたが、日本国内でも命を懸けてそれに立ち向かったものがいて、その証が悲しきかなこの死なのであった。観る者すべてがどう行動していけばよいのかについて考えさせられるはずだ。果たして暴力闘争を行うことだけがすべてなのかということも含めて。

日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜

(Amazon Prime Videoにて鑑賞)
言語化の難しい摩訶不思議な領域と空間に閉ざされた「日の丸」を多くの人に問いかける街頭インタビュー形式のドキュメンタリー映像で、どうやら昔TBSで放送された企画を現代に再現したものらしい。戦争の記憶が生々しいころ、また経済発展を遂げ人々は物質的・資金的に満足を得たころの、日本人の空虚極まりない行動様式に一石を投じ、分かりやすく浮かび上がらせようとしたのがかつてTBSで行われたものだろう。

これに関してはよく分からないが、最初観ているときの印象は、昔行われた過激な挑戦に触発された奇抜な若者がそれの焼き直しをしているだけで、大した精神性をも受け継がずファッションにしてしまっているのではないか、とまで感じてしまった。終盤を観ればそれなりにリスペクトをもってそれに挑戦していて、現代にこれをやることの意義を見出しているのだと受け取れなくもなかったが、ドキュメンタリーを作るならもっと傑作を頼むよ。

革命する大地

(シネ・ヌーヴォにて鑑賞)
歴史については詳しいつもりでいたが、南米の政治の歴史については全くと言っていいほど知らなかったことがこの映画を観て分かった。フランス革命、ロシア革命、キューバ革命など、国家転覆が起これば歴史の教科書に英雄のごとく名を刻むこともあるが、果たしてそれらが上手くいったのかの答え合わせは今を生きる我々がするべき責務なのである。これはペルーで起こった革命を今の視点から再評価するものだが、どうしても歴史の検証には限界があるということも感ぜずにはいられなかった。IFの世界線はどうしても見ることはできない。ただこの映画を観てもっと歴史や政治学について学ぼうという気持ちにしてくれたし、現在も巨大な権力に声を上げている人たちの存在を確認することも出来て良かった。

ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶

(U-NEXTで鑑賞)
あの戦争は大変なものだった、誰もがそうは言うし何回も聞いたセリフだが果たしてどこまで内実について分かれているかは本当に重要だと思う、言っている人間も含め。ある程度映画を観ていれば分かることもあるし、漫画やアニメになっているものもある、NHKのドキュメンタリーを観てもすごく勉強にはなる。この映画を観て改めて戦争の惨状を知ると同時に、分かって気になることの恐さも知った。原爆も酷かった、各地での空襲も酷かった、沖縄戦の惨状については多くの人が理解できているのだろうか。井伏鱒二の小説には軍人を馬鹿にするような節で書いてあることがしょっちゅうあるが、それが何故なのかこの映画を観て分かることがある。日本軍が守るべき日本人をどう扱っていたのか、それは劇中にも語られる。実際にそれを目の当たりにした人間たちの心に刻まれた傷が思い浮かばれる。

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