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3 突然の訪問者②

 (突然の訪問者①の続き)
 今日もそんな仕事が終わり、自宅のアパートの玄関を開ける。すると見慣れない靴が無造作に二足置かれていた。僕はそれを見るとふと思い出して夢中に短い廊下を駆け出し、部屋のドアを開けた。すると座っていた若い二人の男は同時に振り向いた。
その懐かしい顔が目に入った瞬間、疲れ切った僕の表情は一気に笑顔でこぼれた。
「おかえり」
「ただいま。そして九州へようこそ」
「こっちに着てもう1週間以上は経つよ」
僕達は笑いながら握手を交わした。
 
 二人は僕より1つ歳下で、東京の私立大学に通う現役探検部部員だ。長身で色白な飯田はとても行動的な人物で知らぬ間にインドの大地を歩いている。長い髪を後ろで縛る堀田は誰よりも文学を愛し、時をおり煙草を吸う姿はどこか昭和の文豪そのものに見えてくる。そんな二人はいろんな大学の探検部関係者が集う集会で知り会った。今では学生時代の大切な友人だ。共に酒を飲みながら政治や社会を批判しては熱くなり、誰かの失恋話ではゲラゲラと笑った。彼らを表現する時、令和より昭和レトロな学生の方が似合っている。シャレた渋谷の通りよりも、奥多摩の森を歩くことを好み、終わりを知らない新宿の明かりよりも真っ白な砂浜で満点の星空を見ながら眠りにつき、日の出と共に目を覚ました。それは僕も同様だ。初めて出会ったとき、似た空気を感じた二人と意気投合し、あっと言う間に仲良くなった。そして僕の大学の卒業式当日には、みんなでカヤックに乗って僕の為に卒業ツアーとして神田川へ繰り出しては、水面でオリジナルの卒業証書をプレゼントしてくれた。そんなちょっぴり変わった体験を共有した二人が来てくれたことは本当に嬉しかったし、なぜか今の自分には心強く感じた。 
 
 この日は僕の帰りがそろそろだろうと見込んで二人は夕食のラーメンを作る準備をしていた。キャンプで使うシングルバーナーで炙った小さな鍋はゴトゴトと音をたてる。豚骨風味の匂いは少しずつ部屋を覆っていった。あっという間にできたそのラーメンは、器として使うコッヘルに移され僕の手元に置かれる。コショウと乾燥ネギを適度にふりかけて。
「召し上がれ」
と腕を伸ばして飯田が言う。
湯気をまとった麺を勢い良く口に頬張った。
「おいしい。いい味加減だね」
「そのうちラーメン屋やるからお金ちょうだい」
飯田が無邪気に嬉しそうに言う。
「金とるほどは旨くない」
そう言うと三人は笑った。卒業をして以来会う半年ぶりの再会は、こうして笑い声と共にはじまった。久々に会う二人はあまり変わりもなく依然のままだった。それはそれで僕をどこか安心させた。強いていえば飯田が以前より髪を少し伸ばしてオシャレな髪型に見えるのと僕の顔が明らかに二人より黒くテカっていた事ぐらいだ。
「はやちゃん、どうだい仕事は?」飯田は聞いた。
「とにかく現場は砂漠のように暑いんだ。その中を雑用係のごとく色んな機材をもって現場を歩きまわっているよ。なんだか仕事というより人生の修行だね。朝は早いし」
そっかと飯田は呟やく。
「君が働いている事が信じられない」
そう堀田は言った。
「僕も信じられないよ。多分まだ僕は学生と社会人の間にいるのかな。悲しいけど少しずつ社会人に染まっていくんだろうね。今晩だけは学生に戻りたいけど」
堀田はタバコに火をつけながら、
「いつかは学生という時間は終わりを迎える...。当たり前の事だけどなんかはやちゃんを見てたらそれがより僕達には現実的に感じるよ」
「そうだね。楽しい時間はいつか終わるように」
飯田は付けくわ得るようにそう囁いた。
開けたままの窓から吹き付ける風はどこか日焼けした肌には寒く感じる。半年前まで学生であった僕と今の社会人の僕とでは立場は大きく変わってしまった。表面に表さないが二人からすると少し僕は遠い存在になってしまったのかもしれない。そう思うとどこか寂しく切ない気持ちにさせる。
「今晩は飲もう。二人が来るからお酒とつまみを買ってきたよ」
「ありがとう」
袋から酒を取り出し、コップに注ぐと僕らは乾杯をした。
 
「ところで二人はどこに行ってたんだい」
「トカラ列島の諏佐之瀬島だよ。詩人に会いに行ったんだ」
堀口は真面目な表情をしながらそう言った。
そして、その話を聞くとそれはとても好奇心そそられる旅だった。
まず福岡空港に着いた二人はそのままバスで須江インター付近に行った。そして、大きく「鹿児島方面」と書かれた紙を持ちながら、灰色の空に向けて元気よく腕を伸ばす。
「つまりヒッチハイクをしたんだね」
「そうさ、何百台のも車が僕らの前を通り過ぎて行ったけどね」
午前10時頃から始まった他力本願なバックパッカー的なヒッチハイクは瞬時に困難に陥いった。
「なかなか止まらないものだよ。車から僕たちが見えないのか、それとも僕たちの存在は彼らから否定されているのか。開始2時間ぐらいでそんな事を考え始めたよ...」
真夏の暑さも加わり更に二人を苦行へと導いた。それでも交代しながらその時を待った。
一台のハイエースが止まったのは開始から5時間後の午後3時頃だった。
「本当に嬉しかった。1年間の浪人生活が終わった時と同じぐらいの嬉びを感じたよ」
飯田は嬉しそうにそう話す。
止まった車の灰色の作業服を着た細身の一人の中年男性は、「八代までならいいけん」と優しく声をかけてくれてくれたらしい。その男とは、会話していくうちに意気投合してなんと鹿児島本港まで送ってくれたようだ。
「まさか鹿児島本港まで連れてってくれるとは思わなかった。本当にありがたい」
堀田は回想しながらそう語った。
着いたその日は大きな広場で寝袋を広げて寝たようだ。夏だけあってそれなりに快適だったらしい。そして翌日、フェリーに乗りこんだ。
鹿児島県のトカラ列島に属する諏佐ノ瀬島(すわのせじま)。絶壁の崖と煙を上げる島中央部に聳え立つ御岳の山は、どこか人を寄せ付けさせない自然の生気を感じさせる。そんな印象を与える島だが、面積27㎢に70人ほどの島民がおり、観光業と漁業が主な産業となっている。そして一本の滑走路と小さな港は外界と繋がる唯一の手段だ。
「携帯は通じないし、フェリーは一週間に一本。本当に外界から断絶された場所だった。基本的にはテントで暮らしてた。魚が食べたくて釣りをしたんだけど、何かに引っかかったと思ったら竿ごともってかれたよ。ものすごい引きだった」
飯田は興奮気味に話す。詩人に会ったのは島に来てから三日目の事だった。堀田がスマホから一つの写真を見せた。
「この老人がその人」
茅葺屋根の家を背景に一人の老人と二人の若者はとびっきりの笑顔をしている。それなりの年齢ではあるのは見てわかるが、日に焼けた肌の色、鍛えられた肉体は同時に若さをも感じさせる。
「彼は言ったんだ。私はヒッピーではない。自然と共に生きたい。ただそれだけなんだ」
かつてこの島はヒッピーの聖地として知られていた。1960年から70年代のヒッピームーブの中でヒッピーの入植があいつぎコミューンが形成されてた。途中、リゾート開発が行われようとすると彼らは抵抗した。結果的にはリゾート開発は白紙に戻る。だが、ヒッピー達も過酷な自給自足の中で少しずつ人数を減らしていったと言う。堀田が小さな一冊の本を取り出す。そこに描かれた海とカモメの絵のイラストが印象的な表紙を引き立てていた。
 
「これがその詩人の詩集なんだ。サインも書いてもらった」
僕はその詩集を手に取り読み見始める。そして幾つかの詩を読んでは目を閉じる。するとどこからか地球の鼓動が聞こえてくるような気がした。海の潮の香、風の音、土の匂い。ああこの人はもう自然と一体になっているんだ。自然から離れる人が多い世の中で、唯一この人の感性は自然と共存しながら生きる野生そのものなんだ。そんな漠然とした気持ちは涙となって僕の頬を流れる。
「難しいけど、読んでたらなんか泣きそうになった」
「もう泣いているじゃん」
堀田が見つめながらツッコミを入れる。
「そうだね」
彼らはこの老人とどんな話を交わしたのだろうか。とても気になったが尋ねるのは辞めた。何だか聞いてしまうと元に戻れない、そんな気がしたからだ。二人は厚く固められた社会と言うステレオタイプを越えて、日常では遭遇することのない超絶な感性を吸収してきたのだろう。僕は堀田からくすねたタバコに火をつける。気づけば高揚する頭の中で白い煙をじっと見つめていた。そしてその煙はそれから少しずつ見えなくなっていった。
 「外に出よう」
時刻は午後11時を回っていた。二人の旅の話で時間を忘れていた。飲みかけのチューハイを片手に僕らは外を歩いた。団地と一戸建てがひしめく住宅街をのんびりと歩く。真っ暗な闇はまるで世界に僕らしかいないような気持ちにさせる。時折ぽつんとたたずむ白い光を放つ街灯は、まるで自分の役割を知っているかのように思えた。真夜中の外は案外涼しい。昼間の現場の暑さはまるで嘘のように感じる。僕はなんだか解放されたような清々しい気持ちになった。10分程歩くと田園地帯にたどり着く。道端に三人は腰を下ろしては田んぼをしばらく無言で眺めていた。草むらからは虫の声が聞こえ、空には雲がうっすらと伸びている。夏が終わろうとしている。隣に座る飯田は突然ハーモニカを鞄から取り出した。
「何か吹くね」
心強く感じたその音色は直ぐに「カントリー・ロード」であることがわかった。僕と堀田は飯田の奏でるハーモニカの音に合わせて歌い始める。
「カントリーロード、この道、、、」
僕は歌いながらどこか懐かしい気持ちに満たされていた。瞼を閉じればみんなで飲み明かしたあの日々が蘇ってきそうに思えた。だけど現実は、九州の人通りのない田んぼのわきを通る道に座り、歌を歌っている。どこからか漂うノスタルジアと目の前に広がる現実は明らかに矛盾となって僕を覆いつくした。
いつの間にかハーモニカの音色は聞こえなくてなっていた。僕はただ呆然と田んぼを見つめている。
堀田は僕に聞いた。
「次は東京にいつ帰ってくるんだい」
「年末には帰れると思う」
「そっか。じゃあ帰るの待ってるよ」
「うん。帰ったらまた会ってくれよ」
「もちろん」
飯田と堀田は口をあわせてそう答えた。
まるで秋風になびくススキのように空では静かに雲が流れ、稲穂もゆっくりと風に合わせて揺れる。そして三人は時に身を任せた。
 朝6時半、僕は車で現場に向かう。少しずつ車の速度を上げていく。後部には二人が乗っている。ついでに近くの駅まで送ることにした。駅のターミナルで二人を降ろす。僕も降りて別れの挨拶をする。
「二人ともありがとう。あまりおもてなしできなかったのが申し訳ない」
「そんなの良いんだよ。帰ってきたらたんまり奢ってもらうから」
そう堀田は笑いながら言う。
「別に今生の別れじゃないんだ。そんな悲しい顔しないで」
飯田は僕の顔を覗き込みながら心配そうに言う。
「そうだね。昨日はとても楽しかった。仕事頑張るね」
苦笑しながらそう答える。
「じゃあ、またね」
僕は二人の手を離した。
「うん、また会おう」
飯田と堀田は大きなザックを背負って再び新たな目的地に向けて旅立っていった。車内からバックミラー越しに少しだけ二人の後ろ姿を見詰める。すると一瞬いるはずもない三人目の後ろ姿が見えた気がした。
「さて行くか」
エンジンをかけて、ギアをドライブに入れた。
そして静かにアクセルを踏む。
 その日の夜、現場から帰ってきた僕は自分の部屋を見渡す。それは服やゴミで散らかり荒れたいつも通りの部屋だった。だけど確かにここへ二人がやって来て共に夜を過ごしたんだ。何だか不思議と信じられなかった。まるで飯田と堀田という突然の訪問者は、この世界の外からやってきたようなそんな不思議な気持ちがした。ふと昨日撮った写真を携帯で見直す。写るその笑顔は確かに現実の世界そのものだった。眺めていたら嬉しさが込み上げて、思わずにやけてしまう。
「日報書かなきゃ」
僕は現実に戻り、PCを立ち上げるとお茶を飲みながら事務作業を始める。
二人の訪問者は今どこにいるのだろう。もう東京に帰ったのだろうか。そんな事を頭の片隅に考えながら、僕はこの終わらない日常を生き抜いていく事を決意した。(完結)

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