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「登場人物の気持ち」なんてなんだっていいんじゃないか


2023年1月18日(水)朝の6:00になりました。

いつもきれいにお読みいただきありがとうございます。

どうも、高倉大希です。




登場人物の気持ちを答えなさい。

国語の授業で何度も聞かれたことがあるはずです。

それと同時に「登場人物の気持ちを考えてどうなるんだ?」と思ったこともあるはずです。


「他者の気持ちを想像する練習だ」とか「感情のバリエーションを知るためだ」とか。

まあ、言わんとしていることはわかります。しかし、どうもしっくりきません。


たしかに、その場の状況を鑑みて「仮説」を立てることは、何においても大切です。

しかし、国語の教材では、肝心な「検証」ができません。

「この場面で、この人物は、こう思っていたはずだ」と言ったところで、どこまでいっても「そういう可能性もあるね」から先に進むことができないのです。


こんな考えもあるね!あんな考えもあるね!

人によって考えが違っておもしろいね!



本当に「ちがうね!よかったね!」でいいのか...?

本当にそれがおもしろいのか...?

ずっと疑問に思っていました。


おそらく、「国語」という教科の性質を踏まえると

「登場人物の気持ち」そのものではなく「登場人物の気持ちがどのように描かれているのか」にスポットを当てるべきなのではないかと思っています。

登場人物の歓びや哀しみを、書き手がどのように表現しているのか。

それらを探っていけば、自動的に「感情のバリエーション」を知っていくことにもなります。


アーノルド・ローベル(1972)「ふたりはともだち」文化出版局


たとえば、小学1年生の国語の教科書に『お手紙』という作品が載っています。

「かえるくん」と「がまくん」が登場するアーノルド・ローベルの代表作です。


生まれてこの方お手紙をもらったことがないと嘆く「がまくん」に対して、親友である「かえるくん」がお手紙をしたためます。

ところが、待てど暮らせど、そのお手紙は届きません。

それも当然。「かえるくん」がお手紙の配達を依頼したのは「かたつむりくん」だったのです。

ふたりは玄関先にすわって、そのお手紙が届くのを待ちつづけます。

1日、2日、3日と時が経ち、4日目にして、ようやく「がまくん」の家に「かたつむりくん」が到着します。

お手紙を受け取った「がまくん」は、とてもとても喜びました。


『お手紙』は、こんなお話です。


ここで発生する問いは「かえるくんやがまくんの気持ちは?」ではありません。

「どうして『かたつむりくん』にお手紙を託したの?」です。

どうして、作者であるアーノルド・ローべルは、わざわざ「かたつむりくん」にお手紙を配達させたのでしょう。


それは「ふたりでお手紙を待つ時間」を生み出すためです。

「がまくん」と「かえるくん」は、この待ち時間で、お互いの友情を確かめ合います。


「ぼくはこう書いたんだ。『親愛なるがまがえるくん。ぼくはきみが、ぼくの親友であることをうれしく思っています。きみの親友、かえる」

「ああ、」がまくんが言いました。「とてもいい手紙だ」

それからふたりは、げんかんに出て、おてがみが来るのをまっていました。

ふたりとも、とてもしあわせな気持ちで、そこにすわっていました。

アーノルド・ローベル(1972)「ふたりはともだち」文化出版局


お手紙を配達する人物が「うさぎくん」や「チーターくん」では、この「待ち時間」は生まれません。

お手紙を配達するのは「かたつむりくん」でなければならなかったのです。


アーノルド・ローべルは「かたつむりくん」という最大の仕掛けをもって、ふたりの「幸せ」を表現しました。

手紙の内容なんてなんだっていい。

彼らに必要だったのは「ふたりでお手紙を待ちながら幸せを噛み締める時間」だったのです。


なぜ、この人物が、このタイミングで、この発言をしているのか。

なぜ、この場面で、この言い回しがつかわれているのか。


あらゆる物語は、必然的な偶発性によって進んでいきます。

「登場人物の気持ち」なんてなんだっていいんじゃないか。





サポートしたあなたには幸せが訪れます。