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笑わない力


2023年4月21日(金)朝の6:00になりました。

いま鳴いた烏がもう笑う。怒れる拳、笑顔に当たらず。

どうも、高倉大希です。




「笑う角には福来たる」ということわざにもあるように、日常生活において笑顔はとても大切な要素です。

とにかく明るく笑っておけば、案外うまくいく場面が意外とたくさんあるものです。


一方で、「笑わないことも重要なのではないか」というのが今日の本題です。

なんでもかんでも笑う人は、どうも信用ならないのです。


ともに笑いを味わえるかどうかが、人間関係において決定的にたいせつな、何かなのだ。
山口路子(2021)「サガンの言葉」大和書房


できごとに対して笑うということは、「わたしはこれをおもしろいと思っている」と表明しているのとおなじです。

要するに、おもしろくもないできごとに対しておなじように笑っていると、ただの「笑いがわかっていない人」になりかねないわけです。


自分がボケをかますときもおなじです。

基本的なお笑いのルールとして、自分で自分のボケに笑ってはいけません。

まじめな顔をしながら突拍子もないことを言うからこそ、笑いが生まれるのです。


「四十にして惑わず」というのは、四十になったら惑わなくなるということじゃないんです。四十になったら、惑うのは年のせいじゃないことがわかるということなんですよ。
糸井重里、邱永漢(2011)「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」PHP研究所


ここ最近、ラッパーの呂布カルマさんがテレビに引っ張りだこになっています。

彼は、ここでいう「笑わない力」をもっているタレントです。

すこし怖そうな見た目も相まって、すべてがおもしろみに繋がります。


むしろ逆に、そんなタレントが笑っていると「あ、本当におもしろかったんだな」と、視聴者は思います。

もしくは、当人に対して「人間味があっていいな」だなんてことを思うのです。


どうしようもないことを好きなように書く。その瞬間は純度の高い阿呆になれる。それを繰り返すと、自分が阿呆の膜に覆われていく。阿呆の膜に守護されている時だけは恥ずかしいことから解放される。阿呆の膜のなかで無呼吸の自由演技を続ける。
又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


笑うことは、それはもうとても大切なアクションです。

ただし、だからといって、なんでもかんでも笑えばよいというわけではありません。


笑わずに、まじめな顔をして言うからこそおもしろい。

そんな「笑わない力」も、時として非常に重要です。






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