見出し画像

「自分はわかっている」ということを黙っていられるか


2023年1月24日(火)朝の6:00になりました。

書くことの習慣化は「書かないと気持ちがわるい」までいけば勝ちです。

どうも、高倉大希です。




太宰治に『風の便り』という作品があります。

後輩作家と先輩作家の手紙のやりとりを通して進んでいく物語です。

「あなたの真意をわかった上で、わたしは意見を述べている」ということを、それぞれがそれぞれの比喩を用いながら表現していきます。


自分は、君の手紙を嘘だらけだと言いました。それに対して君は、嘘なんか書かない、どこがどんなに嘘なのかと、たいへん意気込んで抗議していたようですが、それでは教えます。自分は、君の無意識な独り合点の強さに呆れました。

太宰治(1974)『風の便り』新潮社


このようなやりとりの中に「自分はわかっているということを、相手にわからせたい」という人間の欲望が見え隠れしています。


「最近、めっちゃいい隠れ家カフェをみつけたんだよね!」に対して、「あ、そのお店知っている!」と答えることが必ずしも正解だとは限りません。

相手は「知らないはずだ」という前提で話を組み立てようとしているのに、「知っている」のひとことですべてを台無しにしてしまいます。


もちろん、知っているのに知らないと答えることが、絶対的な正解だというわけでもありません。

自分の欲望だけで、反射的に「自分はわかっているということを、相手にわからせたくなっている」ということがあるかもしれないという話です。


診療においては、「防御」の周波数合わせを行う患者は、すごくこちらの言っていることが伝わっているなぁみたいな、打てば響くような反応を感じることが多い。

尾久守侑(2022)「偽物論」金原出版


こちらは、自分を守るために「わかっている」と言ってしまうパターンの事例です。

「わかっていない」という事実がバレないように、一生懸命「自分はわかっている」ということをアピールします。


わかりました。だからもう大丈夫。

わかりました。だからもうこれ以上は踏み込んでこないで。


これらもまた、無意識にやってしまっていることがあるのかもしれません。



以前、こんな記事を書きました。

性格によって発言を決め、性格によって行動を決める。わたしはこういう人だから。

言動を決める際の「自分の性格」の優先度が高すぎると、身動きがとれなくなってしまうという記事です。


自分の言動が何によって決まっているのか。

どのような癖がついているのか。

これらを認知できるようになると、自分がコントロールできる範囲も広がるのだろうなと思います。





この記事が参加している募集

#自己紹介

230,057件

サポートしたあなたには幸せが訪れます。