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代表インタビュー:渡邉知 「つながりを事業にする会社へ」<前編>

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渡邉 知 -Satoru Watanabe-
株式会社ファイアープレイス 代表取締役/イグナイター(点火役) 
[出身]宮城県仙台市
[学歴]東京理科大学 理工学部経営工学科卒業
[職歴]
1999年~ (株)電通国際情報サービス(ISID)/人事部採用グループ・経営計画室2008年~ (株)リクルート、大手企業の人材採用・育成支援部門営業
2011年~ 同じゃらんリサーチセンター エリアプロデューサー/研究員
2014年~ (株)ISI-Dentsu オープンイノベーション研究所
2015年~ (株)ファイアープレイス設立 

なぜ渡邉知はファイアープレイスを起業したのか

出身は仙台市。小さい頃から負けん気が強く勝負ごとにこだわる方でした。関東の大学に入り、就活を始めた1998年は、日本を代表する証券会社、山一証券が倒産して大手神話が崩れ始めた時代です。その2年前にWindows95が発売され、就活も、紙からインターネットにエントリー方法が変わるタイミング。世界が変わっていくワクワク感がありました。

大きい会社で大きい勝負がしたい、という想いと、インターネットという得体の知れない未来に底知れない魅力を感じ、「電通×テクノロジー」を体現する会社=電通国際情報サービス(以下ISID)への入社を決めました。

ISID入社後は人事部採用担当を8年、経営計画室で1年。そして、社会人10年目になる年に、リクルートに転職しました。それまでが、「人が訪ねてきてくれる」職域だったので、「自分から人を訪ねたい」と感じるようになったことが転職動機です。

リクルートでは、大手企業の採用や教育を支援する営業職に就きました。その後、東日本大震災をきっかけに「地域」や「コミュニティ」に強い関心を抱くようになり、旅行サービスの「じゃらん」の部署へと異動。中央省庁や地方自治体、地域のステークホルダーの皆さんと連携しながら、今の言葉で言う、「地方創生」の仕事に取り組みました。

電通とリクルート、合わせて17年の会社員生活は、仕事も仲間も、本当に恵まれていたと思います。けれども、頑張れば頑張るほど、会社から与えられた目標を達成すればするほど、ゴールが見えない階段を上っているような虚無感がありました。「自分は何のために仕事を頑張っているのか」わからなくなっていった。

目的がなかったんです。

それまでの私にとって、会社や仕事はステイタスであり、生きるための手段であり、誰かと何かを比較するためのモノサシでした。けれども、比較すればするほど、勝負すればするほど、自分は何者なのか見えなくなっていく。目標を達成しても、その先にある目的がないから終わりがない。「ああ、俺は目的がないまま働いていたのか」と気付いたとき、絶望しました。

ファイアープレイスという会社は、自分の生きる目的を見つけるために起ち上げました。会社に所属し続けたその先に「生きる目的」が見つかるイメージが持てなかったから、「生きる目的」そのものの会社を作った。私の原点です。

つながり、場づくりの原体験は西海岸

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起業直後は色々なことがありすぎて苦笑、正直、記憶が曖昧なんです。ただ、社名と、現在の事業内容 (つながりの創出)に紐付く原体験ははっきりしています。アメリカ・西海岸を、友人たちと一緒に、約2週間キャンピングカーで横断した旅です。

当時はまだ会社勤めで、先にお伝えしたように、どこかメンタルが摩耗していて—— そんな時、友人が企画してくれた旅。あの2週間が、今思うと人生のターニングポイントになった気がします。

ロサンゼルスに集合して、サンフランシスコまで横断する旅。目的地を毎日インスピレーションで決めて、途中で食材を買って食べたい時に食べ、飲みたいときに飲む。キャンプ場に着いたら、大きな松ぼっくりを拾って火を点ける。そして、満天の星空の下、火を囲んで語らう。寒くなったり、酔いが回った人からキャンピングカーの中に入って寝る。そして翌朝から、また旅をする。すごく人間っぽいな、俺、生きてるな。そう感じることばかりで、道中は毎日幸せでした。

日々のしがらみや、やらなきゃいけない事から外れて、本能のままに食べて寝て、仲間と対話して、温かさや寒さを肌で感じる。久しく感じていなかった自由と人間的な感覚を取り戻したんです。

生きる目的を追求するために作る自分の会社。どんな社名にしようか、何を事業内容にしようか何度も考えました。その時、真っ先に思い浮かんだイメージが、皆で毎晩火を囲んだあの旅でした。ファイアープレイスを社名にし、あの時感じた人との「つながり」を事業の核にしようと決めました。松ぼっくりの火は、私にとってつながりの象徴なんでしょうね。

 ほぼ同じタイミングで、何のために生きるのか、働くのか、あれだけ悩んでいた目的を言語化することもできました。「しあわせになるため」。もの凄くシンプルなことなんですけど、その言葉が閃いた瞬間、鳥肌が立つほど視界が開けて、めちゃくちゃ腹落ちしたんです。生きること、働くことの目的は、私自身が幸せになるため。幸せとは日々の豊かな人間関係、人とのつながり。つながりは価値だから、事業にする。つながりを創り、育み、深めることで生きていく。ファイアープレイスは、つながりを事業にする会社です。

「場づくり」の先にある「つながり」を事業にする。その軸は絶対にブラさない。

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実は、つい最近まで、「ファイアープレイスって何の会社?」と友人知人に聞かれた時、「場づくりの会社」と答えていたんです。西海岸で友人と一緒に火を囲んだあの「場」、そこに価値があると考えていたからです。

けれども、約1年前、親しい事業パートナーから「場づくりの会社ってナベさん(私です)は言っているけど、私は違うと思うんですよね。場づくりは手段であって目的ではないですよね?何のための場づくりなのか、目的を言語化した方が良いと思うんです」と言われて、はっと気付きました。

目的がないまま働いていた昔の自分。「生きる目的」を作るために起こした会社のミッションが、手段であってはいけない。ファイアープレイスは何のために存在しているのか。その目的は、つながりを創り、つながりを深め、しあわせを増やすことで社会全体をより良くしていくこと。

私は幸せになりたいです。大げさかもしれませんが、人間は皆、幸せになるために生きていると信じています。幸せになる。そのために、つながりを大事にする。つながりは価値だから事業にする。会社も私も、存在する目的、生きる目的が見つかりました。この先何年経っても、そこは絶対にブレない自信があるんです。

>>>後編に続く


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